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体育の授業

 ようやく冬の寒さも落ち着き、春休みも近づいた今日この頃。四時間目の授業は体育であった。俺の所属する高等部一年五組は持久走とのことで、男女合同授業となり、皆揃って体操着に着替えて第三グランドに集まっている。

 俺としては苦手な部類の授業だ。それは俺が元来の運動音痴であること、それと友達の居ないソロプレイヤーであれば自然と直面する大きな問題にも起因する。

 体育教師により振り下ろされる刃――一撃を以って俺達〝ぼっち〟を屠る威力を備えた言葉の暴力である。あぁ準備体操が終わった、そろそろであろうか――俺は拳を握り締め、その瞬間に備えて精神を集中する。

 準備体操を終えた俺達の前で腕を組む体育教師は、生徒たちの様子を確認して、朗らかに笑って言い放った。


「じゃあ次! 二人組を組んで柔軟体操だ!」


「――ッ」

 心が軋む音がした。

 そう、通常であれば親しい友人と……もしくはそれに準ずる人物を見つけ、ペアを組めば良い。しかしそこは〝ぼっち〟――親しい人物などクラス内に存在する筈もない。そして最後に一人残ろうものなら、体育教師から「誰か伊坂をペアに入れてやってくれー」などと全員呼びかけられ、最大限の屈辱と羞恥を受けるはめになる。

 なればこそ、俺は矜持など水道の三角コーナーでも投げ捨て、唯一会話を交わすことのある龍ヶ崎の元へと疾く走らねば――ッ!

「ッ!」

 出席番号の関係で、俺と龍ヶ崎との立ち位置はかなり遠い。そして奴はバスケ部の輩、友人が多い。俺は立ちはだかる有象無象を突破して、あの糞野郎の元へと急がねばならないのだ。故に地面を蹴り飛ばし、あの不愉快な茶髪を目がけて、「組もう!」と話しかけようとした、そんな瞬間であった。


「好い加減にして、一条さん!」


 切り裂くように響く声に、俺を含む生徒達は動きを止めた。声の方向に視線を向けると、我が一年五組の委員長・(あがた)さんが一条に向けて叫んでいる。

「先生が二人一組になって柔軟するように指示しているんだから、それに従ってよ!」

「……別に良いでしょ、どうせ女子の数は奇数なんだし。あなたは他の誰かと組んで、わたしは一人でゆっくり柔軟運動しているわ」

 デコが広くて目力が強い委員長に叱られて、辟易した様子で溜息を吐く一条。長い黒髪は後ろで纏められ、ポニーテールになっていた。

「お、伊坂っち。良いところに来たにゃ……彼女のピンチみたいだぜ? 助けてやったらどうなん」

 ニヤニヤとした龍ヶ崎の言葉に、俺も一条と同じような深い溜息を吐き出す。

「一条は俺の彼女でもないし、そもそもどう見ても一条が悪いだろう。何故俺が助けてやれねばならんのだ」

「えー、でも前に委員長に一条が責められていた時は、颯爽と助けて入ってたじゃん」

「あの時は、縣が仲間を引き連れて一条を囲んでいたからだ。数の暴力に訴えた時点で、彼女の言葉に正当性は失われていたが今回は……ん?」

 さらりと言われて思い出しながら答えてしまったが、今の龍ヶ崎の台詞には明確におかしな部分が存在した。

「おい、龍ヶ崎……お前、あの時にいなかっただろう?」

「にゃーん。オレっち、何と忍者の末裔。どこからでも情報は入ってくるのでござる。にんにん」

 体操服姿で人差指と中指を立てる龍ヶ崎。話しているとこちらのIQが低下していく気がしたので、すぐさまその場から歩き出した。「お、遂に王子様、出陣でござるな! ひゅーひゅー!」という龍ヶ崎の鼓膜が腐りそうな煽りを無視して、俺は言い合う一条と縣の元へ向かう。

 一縷の希望を託して体育教師の方を伺うが、知らぬ存ぜぬを決め込むように、口笛を吹きながらグランドに白線を引いていた。……まぁ、期待はしていない。この口論は間違いなく一条が悪いのだが、具合の悪いことに一条つくしは理事長である一条尊空の孫なのだ。迂闊に手を出せないと判断したのだろう。あぁ、大人というのは、そういうものだ。問題を揉み消そうとせずに放置しているだけ、好感が持てるというもの。

「――さて、少し良いか?」

 騒ぎを聞きつけて集った野次馬を掻き別けて、俺は口喧嘩を繰り広げる二人の間に割って入った。

「あぁ、なに? 優しい彼氏さんが助けに来てくれたってわけ?」

 俺の顔を見るなり、縣は唇の端を歪ませる。その貌からは明確な不快感が漂っていた。

「彼氏じゃないぞ? なぁ、一条」

「えぇ。こんな根暗糞男が彼氏なんて、自殺ものだわ」

「はっはっはっ、こいつ~」

 さりげなく笑いながら一条の足を踏もうとしたら、予想されていたようで回避され、脛を蹴られた。痛い。

「……で、なに? イチャつきたいんなら、授業が終わってからにしてくれない?」

「いた、痛たたた、って……え? 何? イチャつくとか意味が分からないが、困っているから来ただけだ」

「はぁ、優しいんだね。一条さんが羨ましいよ」

 皮肉気に眉を左右非対称に歪ませて、鼻で笑う縣。あぁ主語を付け忘れていたから、上手く伝わらなかったのだろうか。

「という訳で縣……俺と一緒に柔軟体操をしてくれないか?」

「「はぁ?」」

 疑問の声は縣と、俺の後ろからもう一つ……信じられないとばかりに俺を凝視する、一条のものだった。

「ちょ、ちょっと!? 何であんたがこの女とペアを組むのよ!?」

 今まで憮然とした表情をしていた一条が、眉毛を吊り上げて俺に詰め寄る。予想外のことだろうが、そんなに怒るようなことでもないと思う。

「いや、何でも何も、俺はペアを組む相手が見つからなくてな。仕方ないから女子と組ませてもらおうと思っただけだが……一条はどうやら柔軟体操をやりたくないらしいから、縣委員長にお願いをした所存だ」

「~~~~ッ」

 俺の受け答えに一条は歯噛みにして、それから腕を組んで「ふん! 勝手にすれば!」と眉間に皺を寄せてそっぽを向く。

「と言う訳で縣、男子側であぶれてしまったので、一緒に柔軟をしてくれないだろうか」

「べ、別にワタシは良いけど……え、なに? アナタどっちの味方なの?」

 ちらちらと一条に視線を向けながら、縣は俺を疑うように視線を向ける。

「別に、どちらの味方でもない。俺自身が独りぼっちで困っているから助けを求めているだけだ」

「ふーん……」

 俺の言葉を聞いて、縣は口元に意味深な笑みを浮かべた。顔は俺の方を見ているが、その勝ち気そうな瞳は俺の後ろで不機嫌そうに佇んでいる一条を見ているのだろう。

「伊坂は一条さんじゃなくて、ワタシに頼るんだ。へぇ~」

「…………」

 言いたいことは山ほどあるが、全てが台無しになってしまうので、俺は黙っている。

「ごめんね、一条さん。伊坂を取っちゃって」

「……別に。要らないわよ、そんなの」

 それだけ端的に言って、一条は体育教師の元へと向かっていった。どうせ「体調が悪くなったから保健室で休む」とか申請しているのだろう。

「さて……で、伊坂。アナタは何を企んでいるの?」

 一条が校舎の方へと向かって速足で向かっていくのを見届けて、縣は俺にジトッとした視線を向ける。

「何も企んではいない。ペアを組む相手が欲しかっただけだ」

「……まぁ、何でも良いや。一条さんのあんな表情が視られてスカッとしたし、何も訊かないでいてあげる」

「痛み入る」

「さて……じゃ、一緒に柔軟体操しようか」

 気持ちを切り替えるように快活に笑って、縣は俺に手を差し出す。こっちが彼女の素なんだろうなぁと、一条に関わったが故に怒ってばかりの印象がついてしまった彼女を気の毒に思いながら、俺は縣の女の子らしい小さな手を取るのだった。



 四限目の体育が終わって、待望の昼休みが訪れる。体育の持久走によって痛み付けられた我が肉体は限界を迎えており、今すぐに栄養を補給せねば昇天してしまう勢いであった。

 そういった訳で、俺は足早に弁当を片手に校舎裏に向かうと、予想外にも一条は、いつも通りパンをもぐもぐ食していた。

 いや、いつも通りではない。不機嫌そうに脚を組み、俺を冷たい眼光で睨み付けている。怒っている……のだろうか。どこが彼女の逆鱗に触れたのか知らないが、このままというのも居心地が悪い。

 俺はよっこいしょ、と腰をアスファルトに降ろして弁当の包みを開けながら言った。

「……教師にクラスメイト。あれだけの人数がいる中で、ああいった口ぶりは止めた方が得策だ。理事長のフォローも厳しくなってくるぞ」

「……なに? あの女や教師の面子を守って、わたしを助けたとでも言いたいの?」

「いや? 俺はペアになる相手がいなかったから、縣に助けを求めただけだ」

 肩を竦めて俺が言った台詞を、一条は「嘘よ」と一蹴した。俺の顔を、蔑んだような笑みを浮かべて見下ろす。

「少なくとも、あんたは他人に『独りぼっちで困っている』なんて言う奴じゃないでしょ?」

「…………………さぁ、どうだろうな」

 流石に一条を舐め過ぎていたということだろう。よくそこまで分かったものだ。

「ふん……気に食わないけど、まぁ良いわ。それより!」

 一条は食べ途中だったパンを包装の中に戻して地べたに置き、立ち上がって俺の前に立つ。

「あの女に負けっ放しってのも性じゃないわ。ここでするわよ」

「……ひゃい?」

 ご飯を口に運んでいた箸を咥えたまま、俺は変な声を上げてしまった。そのまま硬直して動かない俺に対し、一条は握り拳を振り翳す。

「だーかーら! するの! 柔軟体操!」

「…………………なんで?」

「あのいけ好かない真面目デコ女とはやったのに、わたしとは出来ないっての!?」

「いや、そうは言っていないのだが……」

 地団太を踏んでワガママを言い放つ彼女に、俺は久々に困惑した。俺が体育の授業の際に一条ではなく縣を優先したのは、確かにプライドを傷つける行為であったかもしれないけど……別に柔軟体操の有無は問題の外ではないのか?

「……まぁ、良いか」

 俺は空腹に堪えながら弁当を置き、立ち上がって一条と向き合う。彼女は口元に得意気な笑みを浮かべていた。

「で? 柔軟って何をする訳?」

「お前は毎回体育の時間に何をしていのだ」

 俺は嘆息しながら、今日行った体操の内容を思い出す。まずは身体の側面を伸ばすストレッチだったはずだ。手を握って引っ張り合うことで、互いの腋から下の鍛え辛い筋肉を伸ばすのだ。

「まずは、互いに手を握って横並びなる」

「分かったわ」

 俺が右手を差し出すと、一条は息揚々と左手で俺の手に重ねた。すべすべとした彼女の手の平の皮膚の感覚が、俺の指の神経を包み込む。指と指が絡み合い、まるで互いに結び合うようだった。

「…………」

 ここに至って、俺の脳味噌がようやく働き出した。

 これは……その、俗に言う所の……あれではないのだろうか……いやいや、意識のし過ぎだ、ただのストレッチなのだし、恥ずかしがることもないはず……熱くなる頬を誤魔化しながら一条を一瞥すると、彼女の頬もリンゴのように真っ赤になっていた。

「……」

「……」

 本来ならここで横並びにならなければいけないのだが、人気の無い校舎裏で指と指を絡ませ合っているという現実が、身体を先に進ませない。手汗が酷い。これは俺の汗なのか、一条のものなのか、判断がつかない。

「……一条」

 俺が擦れた声で呼びかけると、彼女は俺を縋るように凝視してきた。それが意味することは……まぁ、何となしに分かって、俺は勢いよく手をひっこい抜いた。

「こ、こんなもので良いんじゃないか!? う、うん! 良い! 十分お前は縣に勝利している! 完全勝利だ!」

「そ、そうね! こ、これは、もう勝ちと言って良いかも!」

 訳の分からないことを口走りながら、俺は一条の表情を正視することが出来ず、俺は座り込む。

「さぁって、弁当食べるぞ。早く食べないと昼休みが終わってしまう」

「わたしも、まだまだデザートも残っているわ。急がないと!」

 そんな風に、何かに言い訳するように、俺達は気まずい空気の中、昼休みの時間を過ごすのであった。



 次の日。春休み目前の、最後の体育の授業。準備運動と柔軟を行ったら、後は自由にサッカーでもドッジボールでもやって良い、という先生の指示が下った。

 そして準備体操が終わった後、俺は一条の動きを眺めていた。彼女は何度も躊躇しながらも、縣に声を掛けていた。そこから何度か言い合った後だろうか……驚くことに、二人は柔軟を始めたのだ。

「ほっほっほ。さっすが、彼氏だ。全て計算通りですかな。彼氏が獲られちゃ、流石の一条も敵わないって訳だ」

「そんなことはない。あいつも少しは大人になっただけだろう」

 俺と龍ヶ崎はその驚愕すべき光景を見ながら、身体の側面の筋肉を伸ばすストレッチをしていた。

「それと、何度言えば良いのだ? 俺は一条の彼氏ではない」

 俺は強めに引っ張ると、龍ヶ崎は「うごぉ!」とうめく。しかしめげることはなく、彼は更に言葉を続けた。

「えー、でもこの前なんて仲良く手ぇ繋いでいたのに?」

「…………はい?」

 俺が驚きの余りに手を放すと、龍ヶ崎はペロっと舌を出した。

「何せ忍者の末裔だしね。何でも知っているのさ」

 にんにん、とお道化る龍ヶ崎を睨みつけると、「ははははは」と乾いた笑みを浮かべて、合掌して頭を下げる。

「すまんこ。偶然見ちゃった☆」

 その日、体育の授業が自由であることを良い事に、龍ヶ崎の記憶が無くなるまで痛めつけたのは、言うまでもない。

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