ホワイトデー
「……」
三月十三日。授業を全て終えた俺は、購買に寄り道していた。澪標学校はマンモス校であるのもあって、購買の規模もかなり大きく、大手のショッピングモール程度の品揃えがある。
「……うーむ」
時期が時期である為に、表には菓子類が大々的に陳列されている。全体的に明るい装飾であり、女子受けが良さそうな物が所狭しと並べられているが……うーむ。女子受けは、するのだろうが……どうなのか。
俺は腕を組んで、頭を捻り、暫しの間沈思黙考する。如何せんこういったイベントごとは避けてきた十六歳の春先。この華々しい候補の中から明確な一つを見出すことは、至難の業と言えるだろう。
「お! 奇遇じゃん、伊坂っち!」
そうこうしていると、俺は背後から嫌な奴に捕捉されてしまった。引き攣りそうな頬に力を込め、俺は全力の鉄面皮で振り返る。
「何だ、龍ヶ崎」
「おいおい、何だよ、伊坂っちぃ。お前もホワイトデーのプレゼントを買いに来たのかよー?」
ういうーい、と肘を打ち付けてくるこの男は、最近席替えで隣の席になったバスケ部所属のイケメン糞DQN野郎こと龍ヶ崎光だ。宿題を頻繁に忘れるために、よく俺に写させてくれと懇願に来る乞食でもある。
「でも伊坂っち、こういうの慣れてなさそうだし、結構悩んでるんじゃなーい?」
「……まぁ、確かに悩んではいる」
「へっへー、水臭いぜ。友達のおれに相談してくれれば良かったのによ!」
「友達ではないぞ」
俺の指摘に対して、龍ヶ崎は「へいへい」と手を振っておざなりに応える。こいつは会話する度に図々しさと馴れ馴れしさが増していくな。
「って言うかよ、伊坂っち。良いのかよ、こんなところで見繕って。購買のホワイトデーコーナーで買ったら、どっかの誰かの物と被っちまうし、そもそも相手だって確実に目にしたことのある物がプレゼントになるんだぜい?」
「……お前だって、ここで買うのだろう?」
「そりゃ、そうだべ。女子がクラス全員に配ってる義理チョコへのお返しなんて、その程度で十分っすわ」
不思議な話だ。クラス全員に配られたはずのチョコが俺の元には無いのだが。
それはそれとして、したり顔で語る龍ヶ崎の貌が心底腹立たしいことを除けば、その言葉には些か真実が含まれているような気もする。
「まぁ要するに、伊坂っちが彼女にプレゼントをしたいのなら、もうちっとばかし想いが表れる物を選んだ方がええんでねーの? って話だな!」
「……一条は別に、俺の彼女ではないぞ」
言って「しまった」と自分の失態に呆れ果てる。恐る恐る龍ヶ崎の表情を伺うと、唇が蕩けんばかりにニヤニヤと笑みを浮かべていた。
「あー、そうだねー。伊坂っち、彼女いないもんなー。……一条つくしちゃんが誰と付き合ってるとか、そんな話題一つも出してないんだけどなぁ」
「……うるさい。ここで買うのは止めにする。それで満足か?」
俺はもう何もかもが面倒になり、勢いよく踵を返した。「手作りとかオススメだぞー!」と背後から聞こえてくる絶叫を無視して、俺は足早に下校するのであった。
○
次の日、昼休み。俺は暗澹たる心情で校舎裏へと足を運んでいた。弁当が入ったポーチが、いつもより僅かに重い……気がする。大した重量の物ではないので、これは俺の気持ちの現れであろう。
「……」
蹌踉とした足取りでいつもの場所へと赴くと、案の定一条はいつも通り、既に食事を始めていた。今日は焼きそばパンにハンバーガー、デザートにシュークリームか。相も変わらず大層な健啖家だ。
「やぁ、一条」
震える声で挨拶すると、彼女は一瞬だけ咀嚼を止めてこちらを一瞥し、それからまた無言のまま昼食に戻った。これが一条つくしにとっての挨拶である。慣れたものなので、俺は気にせず隣に腰を下ろして弁当を取り出して昼食を始め――しばらくして「ところで」と、話を切り出した。
「一条……家事が出来る男は素敵だと思わないか?」
「…………はぁ?」
ちょうど焼きそばパンの咀嚼が終わった辺りで話しかけたので、一条から素っ頓狂な声を引き出すことに成功した。まぁ、あれだ。会話のきっかけは何でも良いのだ。
「近年は男女の役割も、随分とボーダーレス化している。少子高齢化、介護、様々な問題が孕む現代社会……『男子厨房に入らず』とも言っていられないだろう?」
「…………まぁ……そ、そうね?」
え、なに突然……と言わんばかりの怪訝な表情で、一条は一応首肯してくれた。そんな彼女の目の前に、俺はポーチからある物を取り出す。
「と言う訳で、クッキーなるものを制作してみた次第なのだが、加減が分からず作り過ぎた。処分するのも心苦しいので、食べろ」
「…………」
俺が押し付けたクッキーが入った包みを受け取り、一条はぽかんと口を開ける。じっと透明の包みに入ったクッキー(作成、俺・監修、母親)を見つめた後……俺の腹を思いっきりぶん殴ってきた。
「うぉおおお!? な、何だ、突然!」
絶叫と共に回避するが、一条はなおも踏み込み殴り込んで来る。
「うっさい……何かムカつく」
「何がそんなに気分を害したんだ!? た、確かに外見は不格好なんだが、味は悪くないと思うぞ!」
だいたいレシピを見ても『バニラエッセンス:少量』とか言われて大概意味不明で困ったものだ。何だ、少量って。何と比べてどう少ないのだ。母親の監修が無かったら間違いなく完成に至らなかっただろう。
「何で、あんたの方が……わたしより、こう……なのよぉ!」
「何だってー!?」
一条は何かを呟いていたが、襲い来る彼女の拳を回避するのに精一杯で聞き取れず……しばらく意味不明な理由で殴りかかってくる一条から逃げ続けるはめになる俺であった。
その後、しれっとした表情で俺が渡したクッキーを食べ尽くした一条。
……ホワイトデーのプレゼント、これは成功の部類と言えるのだろうか。そんなことを考えながら、俺はぜぇぜぇと息を切らし、校舎裏の影に寝そべって空を仰ぐのであった。