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花言葉は。

作者: ふーる

作中の「彼女」と「白石」は同一人物です。

ご了承下さい

 ある夏休みの終わり頃、僕はクラスメイトを殺した。

 

 山奥の更に奥、誰もいないような場所に、その死体を埋めた。

 

 綺麗に埋めた後、ポケットに入っていた一輪の花を死体のある地面の上に置いた。


 

 その花の花言葉は――。

 

 

* 

 

 

 夏休みの半ば頃、僕はクラスメイトの白石と公園のベンチに座りながらアイスを頬張っていた。

 

「暑いね」

 

「そだね」

 

 アイスを平らげた僕は手元に残った棒を眺めながらそう答えた。当たりの文字はなく、ただの木の棒だった。

 

「ねぇ、三上くん」

 

 白石はアイスを一口齧り、僕の名前を呼んだ。

 

「私の人生最後の夏休み、充実したものにしたい。だから今、私は君とここにいるんだ」

 

「うん」

 

 僕はアイスの棒を空のパッケージにしまい、ゴミ袋に入れてカバンに詰め込む。

 

「どうしても、私は君がよかった。君じゃないと、きっとダメだったんだ」

 

 ポタポタと彼女の持っているアイスが溶けて地面に落ちる。彼女の足元には少数のアリが群がっていた。

 

「それで、何が言いたいの」

 

 僕が彼女の話を聞くのは何回目だろう。雑に先を促すと、彼女は小さく吹き出した。

 

「あのね、きっと君なら、三上くんならできる頼み事があるの」

 

 残りのアイスをバクンと大きな口で食べ終え、彼女はアイスの棒を眺めて小さな声で「当たった」と呟いた。

 

 白石が僕に視線を向けた。でも僕は白石の方を見なかった。

 

「私を」

 

 喉の奥から絞り出したような掠れた声がすぐ側で聞こえてくる蝉の声よりよく響いて聞こえた。

 

「私を、殺してほしい」

 

 ある夏休みの半ば頃、それは突然の告白だった。

 

 

*

 

 

「僕が君を殺せると思うか?」

 

「無理だと思う」

 

 白石はあっさりとそう答えた。そして、僕の腕を引っ張った。

 

「だからこそ、三上くんに頼んだ。簡単に人を殺せるような人じゃダメなの。それに、私は自分の死に方くらい決めたい」

 

 真面目な白石の表情を横目に、僕は大袈裟にため息をついた。

 

「確かに君の手助けはするって、約束したよ。でも、人殺しなんて、そんな」

 

「三上くんは知ってるでしょ。私の病気のこと」

 

 僕の発言を遮り、白石はそう言った。どこか焦っているような感じだった。

 

「知ってるよ、知ってる。でも――」

 

 彼女の腕が僕から離れていく。数秒の沈黙を埋めるように蝉が一層騒ぎ立てる。

 

「三上くん、君が私を殺したなんて、君が言わなきゃわかんないんだよ」

 

 白石は自嘲気味に笑みを浮かべた。細まった目がユラユラと左右上下に揺れていた。

 

「でも、僕は君を殺したくない。君が死ぬのは運命だ。かといって、殺人にする必要は無い」

 

 僕は弱い。

 だからこそ、彼女を殺したくなかった。それっぽく理由をつけて、僕自信が何より傷つかないように。

 

「山奥なら、私が死んでもバレないよ。行方不明でいい。君にしか、私の病気のことは知らない」

 

「親にも…?」

 

「うん」

 

 白石はゆっくりと頷き、カバンの中から何かを取り出した。

 

「私が行きたいとこ、全部書いた。今は遊ぼう。夏休みだよ、せっかくの」

 

 一冊のノートを渡され、ページを開く。

 ビッシリと書かれた目的地とやりたい事。彼女の字は綺麗で、ぎっしりとした一ページもすんなりと読むことが出来た。

 

「…これ、全部?」

 

 パラパラとページをめくると、同じように一ページごとにきちんと文字が書かれていた。どれも一番下の行まで書かれていて、とてもじゃないが全て行ける気がしなかった。 

 

「うん、全部」

 

 彼女は立ち上がり、グーッと両腕を上に上げて伸びをした。

 

 白い制服が太陽の光によって透けて、下にうっすらと見えた肌色から目を逸らす。

 

 今はまだ朝の九時。行こうと思えばある程度の場所は行けるだろう。

 

 あくまで僕は彼女の夏休みを充実したものにするために動いている。決して彼女が満足して死ぬための手助けをしている訳では無い。そう思わないと、頭がおかしくなりそうだった。

 

「それで、どこに行くつもり?」

 

 白石は僕の手からノートをサッと奪い取り、パラパラとページをめくる。

 

「ここ!」

 

 彼女が指さしたのは、隣の県の有名な遊園地だった。

 

 

* 

 

 

「やっぱり、やめよう」

 

 目の前の人だかりに、軽くめまいがした。僕は人混みが嫌いだ。

 

「え、目の前にしてそれ言う?」

 

 白石は僕の発言に驚きながらも嬉しそうに笑っていた。きっとこういう場所が初めてなのだろう。浮かれてしまうのも無理はない。

 

「いや夏休みの平日でこの混みようは意味わからないしマジで子供多すぎるしこんなの酔うに決まってるじゃんそれに」

 

 ブツブツと文句を垂れ流す僕を無視して彼女はズンズン先へ進んでいく。ついていく僕は今にも気持ち悪くて吐きそうだというのに。

 

「ねぇ、アレ!アレ乗ろう!」

 

 彼女は興奮気味に大声をあげた。

 

「無理」

 

 目の前のジェットコースターから僕は三六〇度体向きを変えて歩き出すと、白石はしっかりと僕の腕を掴む。

 

「付き合ってくれるんだよね?嘘つくの?」

 

 ニヤニヤと笑いながら彼女は僕の顔を覗き込む。

 

 そうして彼女は僕を脅し、強制的にたくさんの乗り物に乗せ、たくさんの食べ物を食べさせ、飲み物を飲ませた。

 

 

 *

 

 

 ほとんどの用を済ませ、時計を見ると午後四時になっていた。

 

 体が重く、これ以上動くことなどできそうもなかった。

 

「楽しかったね、三上くん!」

 

 彼女はまだ元気そうで、興奮も冷め切っておらず目がキラキラと輝いていた。

 

「あぁ、多少はね。でももう疲れた。寝たい。時間も時間だし今日は帰ろう」

 

僕がそう言うと、彼女の顔はムッとした顔に変わった。

 

「三上くんの嘘つき」

 

 彼女はスタスタと先を歩いて行ってしまった。慌てて追いかけ、言い訳のような声をかける。

 

「そんな怒ることじゃないだろ。まだ夏休みだって二十日以上もある。また明日だって十分だろ?」

 

 その言葉が、彼女をより怒らせてしまったのだろう。

 

 不意に彼女の足が止まり、ゆっくりと振り返った。

 

 そして、彼女は嗤笑した。

 

「そうだね、夏休みはまだある」

 

 彼女の目に、うっすらと涙が滲んでいた。

 

「でも、それは三上くんにとってだよ。三上くんにとって二十日以上もの休みはとても長い。じゃあ、私は?私にとってこの夏休みは短すぎるの。今年のこの夏休みの期間が、私の寿命なの」

 

 なぜ、彼女が夏休みを充実させたいと僕に言ったのか。なぜ、ノートにあんなにもたくさんのたくさんの行きたい場所を書いていたのか。

 

「…私ね、本当はすごく死ぬのが怖いんだよ」

 

 微かに彼女の手が震えていた。それが怒りからなのか、はたまた恐怖からなのか、僕にはまだわからなかった。

 

「だって私、まだ高校生だよ?十八歳だよ?死にたくないよ。やりたいことも食べたい物も、数え切れないほどあるのに。なのに、なんで」

 

 彼女は縋るように僕へと歩み寄り、僕の両手首を弱々しく掴んだ。

 

「三上くんとじゃなかったなら、私、ここまで楽しめなかったよ。今日はすごい楽しかったの。当たり前に毎日が過ごせて、明日が来るのは、すごい幸せなことなんだよ。だから、私は今、すごい幸せ」

 

 瞬きによって、彼女の目から頬に涙が滑り落ちる。

 

「でも、三上くんは、私と残りの夏休みは一緒に過ごしたくない?」

 

 僕にそう問いかけた彼女は、断られる覚悟をしているような気がした。嫌だ、と言われても取り繕えるようにしている気がした。

 

 肝心な時に言葉が出てこない。半開きになった口からはただただ空気が出ていくだけだった。

 

「嫌じゃ、ない」

 

 かろうじて発した声はガラガラに掠れていた。

 

「そっか」

 

 彼女は僕に背を向け、何回か「そっか」と繰り返し呟いた。

 

「全然、嫌じゃないから。だから、僕と一緒に過ごしてほしい。僕でいいなら、この夏休み、毎日」

 

 背中を向けている彼女は、不意に「くふふ」、と笑ったかと思うと、勢いよく僕に駆け寄ってきた。

 

 ドンッと真正面からぶつかってきた白石の体を反射的に受け止める。

 

「な、なに急に…」

 

 白石は答えないまま、代わりに僕の背中に回した両腕に力を込めた。締める力が強くなる。

 

「私、泣いちゃうかも」

 

 困惑する僕の顔を、彼女は上目で覗いてくる。

 

 密着している状態での上目遣いは男子を殺しにきている。白石は可愛い上に天然だ。多分無意識だと思う。

 

「あの、そろそろ離れてもらって…」

 

 顔ごと彼女の目線から逸らし、口元を手の甲で押さえる。

 

「…三上くん、恥ずかしい?」

 

 彼女は意地悪に問いかけ、また「くふふ」と笑う。

 

「別に…」

 

「嘘だよ、三上くん恥ずかしかったり照れたりすると、絶対に手で口隠すんだもん」


 彼女に言われるまで気がつかなかった。自分の癖を人に知られているのは、なんだかとても恥ずかしい。

 

「じゃ、どいて…」

 

 半ば無理やり白石を引きはがし顔を見ると、彼女はまだ笑っていた。

 

「ちぇっ、つまんないの」

 

 彼女はそう言いながら、満足そうに笑った。

 

「今日は、どうする?」

 

 僕が恐る恐る聞くと、白石は首を横に振った。

 

「今日は、もういいよ。ちょっとワガママだったよね、私。明日またどこか行こうよ」

 

 彼女は頬を掻き、いつもと変わらない笑みを浮かべた。

 

 背中を向けた彼女に、そっと腕を伸ばす。でも、その腕はゆっくりと下がっていく。

 

 僕は彼女を傷つけ、その上、気を遣わせた。

 

「待って」

 

 渇いた口が、勝手に動いた。

 

 振り向いた彼女と目が合うと、喉の奥で言葉が詰まる。

 

「今日…今日、の…夜空いてる?」

 

 彼女は不思議そうな顔で首を傾けた。

 

「予定は特別ないかな、どうして?」

 

 何かを期待しているわけでもなく、ただ純粋な疑問。

 

「星を見たい。…君と」

 

 それはダサくて、カッコ悪くて、なんとも言えないセリフだった。

 

 白石は少し考えたような顔をして、小さく息を吐く。

 

「三上くん、ロマンチックだね」

 

 それは彼女なりの肯定の返事だった。

 

 彼女の隣、歩幅を合わせて道を歩く。時折視界に入る横顔は今日の何より綺麗な笑顔だった。

 


*

 

 

「おぉ、ここの丘すっごい景色いいね!」

 

 少し離れた小さな丘に、二人並んで腰掛けた。

 

 事前に景色がいい場所を調べておいて良かったと思う。

 

「北極星、どれ?」

 

「アレじゃない?」

 

「え、どれ?」

 

「アレだって」

 

「あ、わかった、アレか!」

 

 お互いがお互いに空を指差し、どこにどの星があるのか言い合った。

 

「夏の大三角とか、見たい!」

 

「星座、そんな詳しかったっけ」

 

 僕がそう聞くと、彼女は「んふ…」と困ったように笑った。

 

「なんとなく、言ってみただけ」

 

 彼女はどこか照れ臭そうに頭を掻いた。

 

「ねぇ、三上くん」

 

 彼女は急に真面目な顔で、僕の名を呼んだ。

 

 返事をしないまま、無言で先を促す。

 

「何億人っているこの地球で、どうして私が選ばれたんだろうって、最近よく考えるの」

 

 彼女の言いたいことが、まだよくわからなかった僕は曖昧に返事をした。

 

「世界でたった一人、私だけ。もっといい事だったら嬉しいのに、原因もわからない、治療法もわからないこんな病気、ちっとも嬉しくない」

 

 彼女の横顔から笑みは消えていた。

 

 白石は満天の星空をボーッと見ながら、抱えた膝に顔を埋めた。

 

「今見えている星も、昼間には全然人の目に映らない。見てくれる人だっていない。こんなに綺麗なのに、明るい時は誰も見ないんだよ」

 

 彼女が何を言いたいのか、やっぱりまだわからない。何も答えることができないまま、彼女の声を聞くだけだった。

 

「私の体はもう、誰にも見られることはない。でも、別の姿でまだ、この地球で過ごせる」

 

 彼女の声と同じように弱々しい風が二人の頬を撫でる。

 

「三上くん、君がもし私と同じ病気を持っていたら、私はとても幸せなんだけど」

 

 僕は横目で彼女を見た。彼女は僕の方をしっかり見つめていた。

 

「もしその病気が人にうつるのなら、僕は喜んで受け入れたよ。君はこんなところで死んでいい人間じゃない」

 

 それは本心だった。こんなところで、まだ十数年しか生きていない彼女がこんなところで死んでいいわけがない。

 

 それが神様の気まぐれならもちろん許せないし、運命だとしても許せない。

 

 なぜ僕ではなく彼女なのか。なぜ何億とこの地球に人間いるというのに、彼女を選んだのか。

 

 考えれば考えるほど、腹の奥からフツフツと怒りが湧いてきていた。

 

 なぜ僕はこんなに怒っているのだろう。

 

「嘘でも嬉しいよ」

 

「嘘じゃない」

 

 気分が悪かった。

 

 理由は分からないけれど、酷く気分が悪かった。具体的にどうとか、そんなことは言えないけれどとにかく原因不明の体調不良だった。

 

「よし、明日は動物園に行こう」

 

 彼女はわざとらしく大きな声でそう言った。

 

 遊園地の次は動物園。今年の夏休みは財布の中身が空っぽになりそうだった。

 

「行ったことないの?」

 

 冗談で聞いたつもりが、白石はうん、と頷いた。

 

「ないんだよね。親が動物園の独特な匂いとか動物が嫌いみたいで、連れてってもらったことないんだよね」

 

「楽しみだなぁ」と呟く彼女の顔には、いつもの笑みが戻っていた。

 

「親、厳しいんだね」

 

「ちょっとだけね。私はあんまり好きじゃないけど」

 

 白石の家庭事情は正直どうでもよかったが、彼女が自分のことを話すのは珍しく、それに驚いていた僕は曖昧に「そっか」としか返せなかった。

 

 それにきっと彼女も気の利いた言葉は求めていない。

 

「じゃあ、行こう」

 

 僕は立ち上がり、ズボンについた雑草や砂をはらった。

 

「やけに優しいね、三上くん」

 

「今日はちょっと悪いことしたからね」

 

 白石も立ち上がり、同じようにズボンについた雑草や砂を払った。

 

「じゃあ今日はお互い様だね」

 

「うん」

 

 どちらかと言えば僕の方が悪い気がするが、触れないようにした。

 


*

 

 

 翌日、僕らは動物園の入口に集合した。

 

 白石は昨日と違い、薄いピンク色をしたスカートを履いていた。

 

 少しだけ日に焼けた白石と並んで歩き、動物園の中に入る。

 

「三上くん見て見て!フラミンゴ、猿、ゾウもいるよ!」

 

 その辺にいる子供より彼女は楽しそうに笑い、騒いでいた。

 

「そんなに楽しい?」

 

「当たり前だよ!だってテレビでしか見たこと無かった動物が目の前にいるんだよ、興奮するよ!」

 

 道の横にある動物のクイズや、檻の中いる動物の説明書きも一つ一つ彼女は読んでいた。

 

 僕は暑くて何度もハンカチで汗を拭きながら彼女の後について行った。

 

「三上くん見て、レッサーパンダ!すっごい可愛い」

 

 檻の奥に見えるレッサーパンダに食い入る彼女は僕を隣に呼んだ。

 

「あれだよ、洗い物する」

 

「それアライグマでしょ」

 

「あ、そっか」

 

 白石は恥ずかしそうに笑った。

 

「でも似てない?レッサーパンダってアライグマに」

 

「どことなくね」

 

 昼頃になると、お腹が空いたと彼女は文句を言い出した。

 

 動物園の中の食堂に入り、僕は食券機で焼きそばを買った。

 

「三上くん、遊園地に来て焼きそばって何」

 

「君だってオムライスじゃないか」

 

 彼女が持つトレイの上には湯気の立つ大きなオムライスが乗っていた。

 


「食べてみる?意外とおいしいよ」

 

 彼女はオムライスが乗ったスプーンを僕に向ける。

 

「いいよ、いらない」

 

「そんなこと言わずに、ほらほら」

 

 彼女は尚もズイズイとスプーンを押し付けてくる。

 

「いらないって、自分で食べればいいだろ」

 

 顔を逸らし、スプーンを押し返す。

 

「あ、三上くん照れてるな」

 

 白石はニヤニヤと笑いながらハムッとスプーンを口に含む。

 

「照れてない」

 

「耳赤いよ」

 

 思わず耳に手を伸ばすと、また彼女は笑う。

 

「ウソウソ、冗談だって。わかりやすいね」

 

 小馬鹿にされた気がして、若干イラつきながら無視して焼きそばを啜った。

 

 

 

 夕方になり、僕と白石はそれぞれの家に帰った。

 

 そしてその日から、彼女からの連絡はなかった。

 

 


 *


 

 案外彼女と過ごした日々は、僕も楽しんでいたみたいだった。一週間、二週間と時間が過ぎていき、僕はその期間家から出ることは無かった。

 

 毎日五回ほどスマホのメッセージアプリを開いて彼女とのやりとりを見返し、その度に彼女からの連絡がないことに落胆する。

次第に僕は白石という人物に惹かれていることに気づいた。何も無い時間、ふと頭の中に彼女の笑顔が浮かぶ。

 

 しまいには、母にも「元気がなくなったね」と言われる始末で、ついに部屋から出ることもなくなった。

 

 

 

 夏休み終了まで残り三日になったある日、何気なくスマホを見ていると、通話画面に切り替わる。

 名前の部分を見ると、『白石』と書かれていた。

 

 慌ててボタンを押し、通話に出る。

 

「…もしもし」

 

 緊張か喜びか、僕の声は微かに震えていた。

 

「三上くん」

 

 彼女は僕が出たことにホッとしたのか、応えるまで数秒の間があった。

 

「三上くん、今大丈夫?」

 

 時刻は夜の八時。夕飯は食べ終わっていたし、これといってすることもなかった。

 

「うん、大丈夫だけど。どうしたの?」

 

 白石の声は小さく、電話の向こうから聞こえてくる風の音の方が大きく思えた。

 

「今すぐ、学校の裏側にある山奥に来てほしいの。何も持たなくていいから、なるべく急いで。頂上じゃなくて、山の麓の近く。古い木の看板が目印だから、お願い、早く来て」

 

 彼女はとても急いでいた気がした。言葉も声も、とても焦っていた。

 

 一方的に告げられ、一方的に電話を切られ、僕は困惑したまま家を飛び出した。

 

 学校まで徒歩で十分、その裏の山まではプラス十分くらいだ。

 

 持久力はないが、それなりに体力はあると思う。道を猛ダッシュで走りながら時々小走りで息を整える。

 

 そうして三十分程で山の入口に着くことは出来た。

その頃には足が震え、喉の奥がジリジリと痛んで口の中に血の味が広がっていた。

 

 あの連絡が来なくなった日以来、外に出ていなかったせいで思っていたよりも体力がなくなっていたようで、足がガンガン痛む。完全に明日は筋肉痛になっているだろう。

 

 少し歩くと、白石の言っていた古い気の看板はすぐに見つかった。字が掠れていて、相当昔のものなのか、ちっとも読めなかった。

予想していたよりは近い場所にあって少し安心した。道から外れた場所のせいで、足場が悪く歩きづらかった。

 

「…白石?」

 

 人の気配もなく、ザワザワと木が音を立てる。

その不気味な静けさが、僕は少し苦手だった。

 

 その奥、少し開けた場所を見つけ、顔を覗かせる。

見覚えのある後ろ姿に、また声をかける。

 

「白石」

 

 近づいてみると、その人物は間違いなく白石だった。でも、彼女は振り返らない。

 

「三上くん…?」

 

 彼女はか細い声で問いかける。彼女はまだそれなりに暑い夏だと言うのに厚手のパーカーで、フードを被ったままゆっくりと振り向いた。

 

「なんで、こんなところに…」

 

 聞いた後、すぐに後悔した。

僕はわかっていた。わかっていた。彼女が人の通る道を大きく外れて誰も来ないような場所を選んだのか。

 

「どうしよう、まだ夏休み終わってないよ…」

 

 ブワッと急な強い風によって、彼女が被っていたフードが外れる。


 彼女の髪に、白い花と毛先にまで絡むツタがあった。

 

 彼女は力の入っていない手でパーカーの袖をまくり、相変わらず焼けていない白い腕を見せる。

だが、その腕にも長く細いツタが絡んでいた。

 

「もう、無理か…?」

 

 彼女はゆっくりと首を縦に振った。泣きそうな顔で僕に近づき、ズズッと鼻をすする。

 

「どうしよう、私、やっぱり死にたくない」

 

「君のその体が消えるだけだ。君はその先も生きる」

 

「私じゃない私なんていらない。いなくていい。何、何よ花って。私植物になりたいわけじゃないし、ちゃんと人として生きたい。なんで、なんで姿が変わっても生きなきゃいけないの?」

 

 病名すらわからない、奇病。

彼女がそれを打ち明けたのは、割と最近。

発症した時から、それは手遅れとしかいえない。

 

「完全に君が植物になりたくないのなら、今すぐそこから飛び降りでもすればいい。大した高さもないけど、何回か根気よく飛び込めばそのうち死ぬよ」

 

 僕は、ただ彼女に生きていて欲しかった。

だから、彼女が人間でなく、山にある植物の一つとなっても、僕が彼女に対する気持ちは変わらない。

 

 目の前の弱い彼女は、見たくない。

なんだか情けなく思えて、みっともなく思えて、僕は彼女を突き放した。

 

「三上くんじゃないと、嫌」

 

「じゃあ僕が突き落とせばいい。君が死ぬまで何回でもやってやる」

 

 彼女の最期を泣き顔で終わらせたくない。

これ以上、泣かないでくれ。

 

 そっと白石を抱き寄せ、背後の大木の幹に寄りかかる。

 

「一人で死ななければ、怖くない?」

 

「…怖いよ、怖いに決まってる。それに、三上くんまで巻き込むのは絶対に嫌」

 

 白石はずっと僕の胸元で泣き続けた。

ずっとずっと泣いて、目も鼻も真っ赤にして、僕の着ていた服もビショビショに濡らした。

 

「僕は君を殺してもいい。今なら君を殺すことが出来る」

 

「…うん」

 

「殺したいわけじゃないけど、今じゃないと絶対僕は君を殺せない」

 

「うん…」

 

 ギュッとより強く彼女を抱きしめる。

風で揺れる髪から微かに花の匂いがする。

 

「僕が君を殺す方法、知りたい?」

 

 彼女は無言のまま頷いた。

 

「君の最期を見届けることだ。目の前で人が死ぬんだ、僕が殺したと思われても不思議じゃない」

 

「なんか納得出来ない」

 

「殺し方くらい決めてもいいだろ」

 

 しばらくお互いが黙ったまま、静かな時間だけが過ぎる。

 

「…眠いよ」

 

「寝ていいよ」

 

 彼女が先に口を開き、僕はそっと彼女の頭を撫でる。

 

「…三上くん、おやすみ」

 

 彼女の頭がカクンと下がって、僕の背中を掴んでいた手の力が弱まっていく。

 

「…おやすみ」

 

 僕の返事が彼女に届いていたかはわからない。

ただ、僕はこれでよかった。満足していた。

 

 

 

 グッタリと力の抜けた彼女の体をそっと地面に寝かせ、一時間ほどかけて土に埋める。

 

 ポケットから取り出した花を彼女を埋めた土の上にそっと置く。

 

 その花の名前は、シオン。

 花言葉は『あなたを忘れない』。

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