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どう転んでも  作者: 桧斐 六子
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2.パターンB:彼女に恋人がいる

「じゃあ、達樹君、企画書お願いね」


「はい」


(この笑顔に弱いんだよなぁ・・)


達樹は書類を受け取りながら心の中で苦笑する。企画部の先輩、崎村今日香は達樹が入社した時には既に5年目の大先輩で、達樹の指導係をしてくれた人だ。仕事ができて面倒見もいい。


達樹の初めての企画プレゼンの時も、今日香が絶妙のタイミングで質問をし、それがキーワードとなり、おかげでよりわかりやすいプレゼンとなったのだ。上司にも褒められて、達樹にとっては上々のスタートとなった。そしてその頃から、達樹の心から彼女が締め出せなくなった。


(年上なんて全く興味なかったのに・・)


入社以来3年以上片思いをしているのだ。しかも、自分の気持ちを伝えるつもりはない。報われるはずのない恋だとわかっていたからだ。もう26なのに、教育実習の先生に恋する中学生男子みたいな自分が滑稽だとも思う。


(でも仕方ない。先輩には彼氏がいるんだから)


今日香には何年もつきあっている彼氏がいる。どうやら社内恋愛らしい。それがわかった時にはもう好きだった。


そう言えば、いつも右手の薬指に華奢なゴールドのリングをつけていた。あれはきっとその彼氏からのプレゼントなのだろう。今日香を好きな気持ちはこれまでになく強かったが、それだけに彼女を悩ませるような言動は絶対にしたくなかった。彼女が彼氏と幸せになるのなら、自分は今の仲の良い後輩ポジションでいい。そう思っていたが・・。


「あれ?先輩、いつもの指輪は・・?」


後輩の女性社員が今日香と話していた。達樹は何気なく聞き流していたが、後輩女子のその一言で固まった。


「ああ、忘れて来ちゃった。なんだか手が寂しいよ」


今日香は屈託なく笑っている。後輩女子もそれ以上突っ込まず会話は終わりになった。けれど、達樹の心臓はドクンと大きく鼓動した。


(な、なんだよ。忘れたって言ってるじゃん。落ち着けよ、俺)


達樹は自分の机で動揺を押さえこもうとしていた。後から思い出せば、この時、既に何かが動き出していたのかもしれない。


その日の企画部は仕事が終わらず大幅な残業となっていた。それでも21時になる頃には、ようやく目途が立ち、オフィスには達樹と今日香が残るだけだった。そろそろ集中力も限界だ。達樹も帰ろうと支度を始める。そこへ今日香が声をかけた。


「達樹君、もう帰る?だったらちょっと食べて帰らない?付き合ってよ」


「あ、はい、いいですよ」


2人は一緒にオフィスを出て、近くの居酒屋に入る。企画部で飲み会とかはあるけれど、今日香と個人的に食事をするのは初めてだ。達樹は嬉しいような緊張するような複雑な思いで今日香と乾杯した。


お酒も入ってだんだんリラックスしてくると、だいぶ口も滑らかになる。運ばれてくる料理をつまみながら盛り上がった。たわいのない話で大笑いをしていると、


「今日香」


突然男性が2人のテーブルに近づき、声をかけてきた。びっくりして目を上げる。


「俊哉・・」


「チーフ!こんばんは」


2人の声が重なる。同じ企画部の風間チーフだった。いつもは穏やかな人格者と評判の風間が、達樹の挨拶は完全に無視で、なぜか険しい顔を今日香に向けていた。


「お前、なんでこんなところで男と2人で呑んでるんだ」


「男って・・残業終わりでがんばってくれた後輩に夕飯をごちそうしているだけじゃない」


風間のえげつない糾弾に、今日香は何とか笑顔で答えた。けれど、風間の表情は険しいままだ。


「俊也、外に出ましょう。達樹君、ちょっとごめんね」


今日香は言葉少なにそれだけ言うと、席を立った。風間と外に出ていく。達樹は1人で残された。気になるが、自分は部外者だ。仕方ない。


「・・ごめんね。達樹君、嫌な思いをさせたわね」


20分ほどして、ようやく今日香が1人で戻って来た。表情が硬い。


「いえ。誤解は解けたんですか?」


思い切って聞いてみる。自分もこの件に関しては関係者だ。聞く権利はあるだろう。


「ええ。解けたわ」


今日香は薄く微笑む。その割にはあまり嬉しそうではない。


「先輩、もう帰りますか?無理しなくていいですよ」


「ううん。むしろもう少し付き合ってくれると助かる。気分転換したいの」


「先輩の彼氏、風間チーフだったんですね」


そう口にしてから、達樹は三度しまったと思う。プライベートに踏み込みすぎた。しかし、今日香は笑って答えた。


「そう。びっくりでしょ?もう4年近くなるんだけどね。ひたすら隠して付き合ってきた。社内恋愛はバレると面倒だからって彼が言うから。でも・・4年にもなるのに一向に結婚の話も出ない。不倫でもないのに、何でこんなにコソコソしなければいけないの?って考えるようになって・・そしたら彼の気持ちを信じられなくなってきちゃったの」


今日香はきっと誰かに聞いてもらいたかったのだろう。堰を切ったように話し始めた。達樹は黙って聞いていた。


「一回そうなると、人の気持ちなんて脆いものよね。彼といても笑えなくなってしまった。そんな私を見て、彼は私の浮気を疑うようになった。そして・・今の修羅場というわけ。ごめんね、達樹君を巻き込んでしまって」


今日香はそう言って頭を下げた。


「やめてください、先輩。俺は大丈夫ですから。でも・・行き違いは今の時間で本当に解消できたんですか?もっとちゃんと時間をかけて話し合った方が」


「そうね・・。でも、もっと早くお互いの気持ちを伝えあっていなきゃいけなかったのよ。もう元には戻れないところまでズレてしまっていた。だから・・お別れをしてきたわ」


「え・・?」


達樹は耳を疑った。


「そ。たった今、4年間の恋に終止符を打ってきた。失恋したての先輩のやけ酒に付き合ってよね」


心臓がうるさい。耳もガンガン言っている。自分の声も聞こえないくらいだ。達樹は残っているビールを飲み干した。追加を注文する。今日香が喜ぶ。


「いい飲みっぷりだねぇ。私も今日は飲む!飲んで明日から又笑って前に進むわ」



「・・にしても、飲みすぎましたね・・」


翌日のオフィスで達樹と今日香は2人とも二日酔いで頭を抱えていた。午後の休憩がたまたま一緒で、2人は人気のない食堂のテーブルで水のコップ片手に休んでいた。


「確かに、調子に乗りすぎたわ。でも、私には必要だった。おかげでたった一晩で吹っ切れたもの。二日酔いで苦しい時、男のことなんてどうでもいいし」


そう言って今日香は屈託なく笑う。達樹も頭痛がひどいが、その言葉で救われた気がした。


「よかった・・。二日酔いになった甲斐がありました」


達樹も笑う。頭痛に影響ない程度にうっすらと。


「達樹君、本当にありがとうね。お礼とお詫びを兼ねて、体調が戻ったらあらためてご飯をごちそうさせてくれない?今度はこんな風に飲まないと約束する。何が食べたい?マジで何でもいいよ」


今日香が言う。


「本当ですか?何でもいいんですね?」


そう確認する達樹の目が光る。これはチャンスなのかもしれない。達樹は、黙って終わるつもりだった、これまでの3年間の想いを今伝えようと決めた。同じ終わるのなら、伝えて終わりにしよう。


「あんまり高いのは応相談だけどね」


「いえ、高くはない・・です。金銭的には」


「何よ?」


含みを持たせた達樹の言い方に、今日香が問う。達樹は思い切って口を開いた。


「・・先輩が食べたいです」


(ヤバ、これじゃ・・下ネタじゃん!)


渾身の告白だったはずが、今日香の質問につられて変な言い方になってしまい、達樹は内心焦った。告白どころか、怒らせて終わりになるんじゃ・・?


「え?私の手料理ってこと?」


幸か不幸か、今日香にはピンと来なかったようで、戸惑い顔になった。一度口にしてしまったのだ、もう後戻りはできない。達樹は開き直った。


「先輩の手料理も食べたいけど、俺が今一番食欲を感じるのは・・先輩です」


「・・達樹君、もしかしてまだ酔ってる?」


さすがに通じたようだ。今日香の頬がうっすら赤らむ。


「酔ってません。変な言い方してすみません。俺、先輩のことがずっと好きでした。言うつもりなかったけど、目の前でフリーになられちゃったら、行くしかないと思って。今度食事に行くときは、デートで行ってくれませんか?」


「達樹君・・」


「俺は風間チーフなんかより全然ガキだけど、先輩を好きな気持ちだけは負けない自信があります。・・やっぱり・・だめですか・・」


達樹は胸の想いを吐き出したら急に弱気になってきた。しかし、今日香の言葉は予想を裏切るものだった。


「だめなんかじゃないよ・・。嬉しい。でも、私は昨日別れたばかりだから・・気持ちの整理をつけるまで、もうちょっとだけ時間をくれる?」


「本当ですか?もちろん、待ちます。その返事だけで十分です」


玉砕覚悟で告白し、断りの言葉が来るとばかり思っていた達樹は信じられなかった。


「・・ありがとう。・・じゃあ、オフィスに戻ろうか」


「はい。あ、でも1つだけ。先輩、その指輪って風間さんからのプレゼントですか」


今日の彼女の右手の薬指には、いつもの指輪が光っているのでどうしても気になったのだ。


「え?違うよ。これは自分で買ったの。お気に入りでつけているだけ。昨日はつけるの忘れちゃったけど」


「なんだ、そうだったんですね。でも俺、先輩がそれ忘れてくれたおかげで今ここにいる気がします」


「え?どういうこと?」


「いいんです。さ、仕事に戻りましょう」


頭はまだ痛いが、心は別人のように軽い。達樹は今日香に笑いかけて歩き出す。その笑顔に今日香が顔を赤らめていることには気づかなかった。



それから2か月後、オフィスにビッグニュースが流れる。企画部の崎村今日香と、園田達樹が結婚を前提に付き合いだしたというのだ。達樹は今日香への愛情を隠そうとはしなかったので、そのニュースは信ぴょう性ありとして瞬く間に広まった。そのニュースソースによると、今、彼女の左手薬指には新しい指輪が輝いていて、2人はとても幸せそうだということだ。


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