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春、音色。

作者: たこいか

国語の授業中、先生が教壇に立ってカマキリとクモの話をしている。

二匹は、クモの巣にかかった蝉を巡って争い、結果相打って両者死亡。蝉だけがその間に抜けだして難を逃れたという。

僕は佐藤メガネ。他の児童らより、ちょっとだけ頭のいい普通の小学四年生。

ああ、今日も実にくだらない。くだらない毎日。くだらない級友とくだらない遊びをして楽しむふりをして、くだらない大人のくだらない話に適当に相槌を打つ。

こんな世界で唯一くだらないものがあるとくるならそれは──


国語の授業が終わり、日直の仕事である黒板拭きを終えた、隣の席の鈴木ナイキ──こいつもくだらない──が、僕に馴れ馴れしく話しかけてくる。

「なあ、メガネくん。方眼紙忘れちゃったんだけど、貸してくれない?」

「まったく、仕方ないなナイキくんは。次からは自分で持ってくるんだぞ。」

次の授業は算数か。まったくもってくだらないな。

予冷が鳴って、また退屈な時間がはじまる。ああ、早く放課後にならないだろうか。


放課後、日直が教室の掃除をはじめる。鈴木ナイキは手際が悪く、教室のほこりを箒で舞い上げていく。

そんなくだらない男を冷めた目で見つめるのは僕だけじゃなかった。

もう一人の日直である、斎藤リボンちゃんだ。

そう、この娘だけが、この世でただ一人の女神。前世で僕と共に禁断の果実を口にしたに違いないイヴ。

この日をずっと待っていたんだ。リボンちゃんと二人きりになれるかもしれないこの日を。

僕は前もって用意しておいた偽のラブレターを、あたかもナイキの机から取り出したかのような素振りでヒラヒラと彼に見せる。

「あれ、ナイキ君。机の中にこんなものが入っていたけど君のものかい?」

「何だい、それ。僕のじゃないな。手紙のようだけど。」

そういって彼は訝し気に手紙を受け取る。

「僕にも見せておくれよ。」

「……いや、だめだよ!見ちゃだめ!リボンちゃん、少しだけお掃除を任せてもいいかな?」

「いいけど……どうかしたの?」

「ううん、なんでもない!すぐに戻るよ!」

そういって彼は自慢の健脚で教室の外へと駆け出して行った。

唖然といった様子でその後ろ姿を見つめるリボンちゃん。」

計画通りだ。

計画通り、ここにリボンちゃんと僕との二人きりのラブロマンス空間を作り出すことに成功したぞ。

愚かなナイキめ、いつまでも来ない待ち人に恋い焦がれていればいい。

さあ、後は僕の想いを彼女に伝えるだけ。

大丈夫、何も問題は無い。彼女もまた、僕と同じ目をしている。

世の中全てくだらない、そんな目を。

そんな彼女なら、僕のことも認めてくれているはずだ。

告白してやるぞ。僕ならできる!

「ね、ねえ、リボンちゃん。」

「なあに?」

少しずつ距離を詰める。心理学上相手から見て左に立った方が異性として意識しやすいんだとか。いや、右だったか?

「リボンちゃん、僕と…」

「メ、メガネ君と…?」

「僕と付き合ってくれないか?」


永遠にも感じる沈黙が流れる。

何分すぎた?時計の針はまだ秒針が3つ程進んだだけだ。壊れているのだろうか。

目を合わせられない。彼女の健康的な膝に視線を預けて、なんとか俯かないように首を固定している。

時が経つにつれ動悸が激しくなっていく。体が今にも爆発しそうだ。

やってやったぞ。遂にあのリボンちゃんに告白した!

突然のことで戸惑うのも無理はない。ここで答えを急かしては、他の子どもらと同じだ。

大人の余裕を持って待とう。

いやしかし、長すぎやしないか?

もしかして聞こえていなかったのか?

「リボンちゃ

「ごめん、私、自分より背の低い男に興味無いから。」

ぴしゃりと言い切って教室を出ていくリボンちゃん。

廊下を遠ざかっていく足音が聞こえなくなったころ、僕の中にどす黒い靄が込みあがってきた。

「何でだ!何で僕じゃダメなんだ!小学生なんだぞ!女の子の方がちょっと早く成長期が来るんだから、ちょっとだけ背が低くたって!ちょっとだけ背が低くたって!ちょっとだけ背が低くたっていいじゃないか!!」

肩で息を切らす。

口から出たのは思いの丈か、火炎放射か。このまま街を破壊しに行こうか。

さっきまでリボンちゃんがいた場所、リボンちゃんの席に視線を落とす。

リボンちゃん、何故。

すると僕の視線に、あるものが飛び込んでくる。

それはそう、

リボンちゃんの、

リコーダー。


これだ。

もう、これを舐めるしかない。

それしかこのやり場の無い感情を収める手段は無い。

都合のいいことに彼女は現在失楽園。

放課後の教室、ひとりぼっちになれたのは怪我の功名か。

ゆっくりとリボンちゃんの机に歩み寄る。

引き出しからそれを取り出し、おぼつかない手つきでケースから抜き取る。

リボンちゃんの名前がかわいらしく書かれたそれに、

僕はすがるように、口を近づけ……、

「ただいま!」

教室のドアを勢いよく開けたのはほのかに頬を紅潮させたナイキだ。

「お、おお、おお、おかえり」

リコーダーを光の速さで机に戻す。

平静を装え。相手は子供だ。

「おや?メガネ君。まだ帰ってなかったんだ。」

「あ、ああ、うん、君のことを待っていたんだよ」

「そうなんだ、ありがとう。ところで、リボンちゃんは?」

「え?ああ、なんか、ほら、帰ったよ。仕事、終わったとかで」

「へー、そうなんだ。ん?何か隠し事してる?」

「え?いや、全然?とこれで君こそ何してたんだよ」

「いや、何でも無かったよ。じゃあ、帰ろうか。待たせちゃってごめんね。うまい棒奢るからさ」


そして翌週の放課後。僕はまた同じ場所に立っていた。

選ばれしものしか抜くことのできない聖剣の前に。

今日こそ、今日こそ邪魔されずに、

リボンちゃんの、

リコーダーを、

舐める!

「ナイキ君、ちょっと今日先に帰っててくれないかい?」

「え、いいけど。どうかしたの?」

「いや、ちょっとおなかが痛くてね」

「あー、そうか、わかったよ。じゃあ公園で先に遊んで待ってるから。」

「ああ、悪いね」

誰もいなくなった教室。

静寂。

音の無い教室で、僕の心臓だけが高鳴る。

廊下を確認する。

人気は無い。

やるなら、今だ。

昨日とは違い機敏に慣れた手つきでリコーダーを取り出す。

血が止まるほどきつくそれを握りしめ、口元へと運ぶ。

口とリコーダーの間には、緊張感で張り詰めた空気。

荒くなった息がかかるほどまでリコーダーが近づく。

全身から汗が吹き出し、手はかすかに震えている。

そして、ゆっくりと、僕は、リコーダーを


口につけた。


それまでの静寂を切り裂いて、鳴り響く縦笛のけたたましい音。彼の荒々しい息が吐かれる度、リコーダーは悲鳴にも近い声を鳴らす。ああ、素晴らしい、素晴らしい音色だヴィーナスよ。口に含んだ途端、舌の上に広がる甘いフレーバーと、鼻に抜ける爽やかな、そして甘酸っぱい香りのハーモニー。

有頂天となった僕は、様々な姿勢で、我を忘れてそれを吹きまくる、いや、嘗めまわす。

「そんなにおいしいかい?」


時間が止まる。

さっきまでの躍動が嘘のように体が強張る。

それに反比例するかのように心音だけは耳障りになり続く。

目を見開いて横目で声の主を確認しようとする僕に、彼は言葉を続ける。

「そんなにおいしいかい?僕のリコーダーは。」

教室の扉の陰から、半身でこちらをみつめ、にたにたといやらしい笑みを浮かべるナイキの姿がそこにはあった。

彼を一瞥してから、おそるおそる視線を手元へうつす。

うっ血する程握りしめた手を、やっとのことで離したリコーダーに書いてあったのはナイキの名前であった。

号哭。全身の血が逆流する。

穴という穴から汗が涙が吹き出す。嗚咽。胃は痙攣しているが、頭だけはいやに冴えていて、今日の給食が何だったかなんてことを考えている。

「うおええええええええええ、うえ、うえ、うおえええ、ごほっごほっ、う、クサ!うげえ」

「ははあ、さっきまであんなにご満悦だったのに、随分な変わり身だね、メガネ君!」

ナイキは手を後ろで組んで、わざとらしく僕を見下ろすようなしぐさをする。

「そんな、そんな、おかしいじゃないか!何故わかったんだ、僕がリボンちゃんのリコーダーを舐めることが!」

「方眼紙さ」

「……方眼紙?」

「そう、ラブレターに使われていた紙が、君のくれた方眼紙と同一のものだったんだよ!」

「しまった、うかつにも奴に方眼紙を貸したことを忘れていた!裏紙を使った方が小学生らしさを演出できるかもと気を使ったのが裏目に出るなんて!……だが、だがおかしいじゃないか!これが君のリコーダーだというならば、リボンちゃんのリコーダーはどこにあるというんだ!」

その問いを待っていたとでも言うかのように不敵な笑みを浮かべるナイキ。

「ここさ」

彼は後ろ手に持っていたそれを僕の前に突き出す。斎藤。確かにそこにはそう書かれていた。

「ば、馬鹿な。まさかお前も……」

「ははは、その通りだよ。でも気づくのが少し遅かったねえ!」

そう言ってリコーダーを口に近づけるナイキ

「やめろおおおおお!」

僕の言葉を遮って、数刻前に僕が鳴らしたものとは似ても似つかない綺麗な旋律が教室に溢れる。

浄化の呪文を聞かされる悪魔のように、僕の顔はひきつっていることだろう。

悲鳴をあげるも、もはやそれは声にならず、教室にはただ美しい卒業ソングのメロディーが反響するのみだ。

季節はもう春になる。

新たな命の芽吹きが、小学校を包み込んでいる。

春。

始まりと終わりの季節。

残酷な温かさが、とある少年の朽ちた野望を撫ぜた。



「男子ってほんと、バカよね。」

放課後の教室。

馬のように四つん這いをさせられたナイキの上に彼女は座っていた。

「汚らわしい。不幸中の幸いは、お兄ちゃんのリコーダーを間違えて持ってきていたことね。」

リボンちゃん。斎藤リボンちゃんの苗字が描かれたリコーダーを、彼女は大きく振り上げ、勢いののったそれで僕の臀部を叩きつけた。低いうめき声が漏れる。

この戦いに勝者などいない。

それは、例えるならそう、

おごり故に相打った、クモとカマキリであろうか。

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