秘めた想い、共有する心(7)
夏以外であればこの時間になれば夕方だという空になっているだろう。午後5時になり、今日の部活が終わりを迎えるが、空はまだ昼間ではないのかと思うほどに明るかった。今日も暑く、汗でびしょ濡れになったポロシャツが重く感じるほどだ。軽いストレッチをしてからベンチに腰掛けた陽太はタオルで汗を拭きつつ部室へ戻る面々を見ていた。硬式テニス部はかなりフランクで上下関係もどこか甘い。実力主義なのは顧問のせいか、それでもとにかく皆仲がいい。夕方なのに風は温かく、それでも汗をかいている体には涼しく感じた。スポーツ飲料水を一口飲んだ陽太がラケットをケースに仕舞っていると不意に目の前に人が立ったためにそっちへと顔を向けた。
「隣、いい?」
「どうぞ」
さわやかな笑顔、そういう表現が似合う笑顔でそう言い、陽太は目の前にいる女性、先輩であり生徒会副会長でもある飯島雪を見やった。セミロングの髪が汗で濡れている。清楚で可憐という言葉が良く似合う落ち着いた女性、それが雪だった。雪は優雅な仕草でベンチに腰掛けると肩に掛けていたタオルで汗を拭いていく。お嬢様だという話だが、それが仕草に現れていると思う。
「いよいよ再来週だけど、調子良さそうね」
微笑む顔もかなり美人だ。校内で人気ナンバーワンの女子生徒でありながら特定の彼氏はいない。男子の友達は多いがそういった関係になる存在は皆無なのだ。
「調子はいいですね。でも何があるかわからないのが試合です。だから、気を引き締めないと」
そう言って微笑む陽太に笑みを返す。
「さすがね」
「先輩も最後の大会ですし、頑張って下さい」
「そう思うなら応援に来て欲しいなぁ」
雪は首を傾げるようにしつつそう言った。陽太以外の男子であればメロメロになり、勘違いするほどの言葉と表情だろう。
「行きますよ」
「ホントかなぁ?」
「本当です」
「彼女に怒られるんじゃないの?」
「彼女?ああ、茜?何度も言いますけど、あいつは幼馴染ですから」
いつも仲良く一緒にいる茜の存在は校内でも有名だ。可愛く活発的な茜は清楚で大人な雪とは正反対ながら校内での人気は高い。静の雪か、動の茜かと言われるほどに。他に人気があるのは愛瑠であり、そんな彼女たちを含めた日永田ビューティー7と呼ばれる7人はかなり人気が高く、うち3人は彼氏がいる。なので必然的に他の4人へのアタックが後を絶たないのであった。
「そっか」
「そうです」
陽太は微笑み、荷物をまとめた。雪もラケットとバッグを持って立ち上がり、陽太もまたそれに倣った。
「でも、来てくれるなら頑張るね」
「全国、行けますよ」
「一緒にね」
「はい」
陽太は微笑み、雪もまた笑う。その頬が赤いのはようやく赤くなってきた空のせいなのだろうか。部室へ向けて歩き出す中、2人は他愛のない会話をしていた。端から見れば美男美女のカップルだ。かといって羨ましい気持ちはあっても悔しがる生徒はいない。なぜなら、陽太には茜という存在があることが大きく関係している。いくらただの幼馴染だといっても一緒にいる機会が多くなればやはりそういう関係なのだろうと思われているからだ。
「帰り、寄り道しない?」
「生徒会副会長の言葉とは思えないですね」
苦笑気味にそう言うが、断ることはしない。雪は笑い、そうね、とだけ言葉を発した。しばらくの沈黙の中、陽太が空を見上げる。
「カキ氷とかどうですか?」
「うん、いいね。じゃぁ、校門で」
「はい、校門で」
そう言い、2人は別れる。男子と女子の部室は離れている。セキュリティーの面を気にしているのだ。小さく手を振る雪を可愛いと思うが、それ以上の感情は無い。雪もそうだと勝手に決め付けている陽太もまた鈍い男なのである。
「再来週、か」
来週の日曜日は茜の大会がある。それも頭の中にありつつそう呟いて再度空を見上げた陽太は茜空を瞳に映すのだった。
*
「じゃぁ、ここでね」
愛瑠がそう言い、じっと夕矢を見つめる。だがそれはすぐに逸らされ、夕焼け空と似た色に頬が染まった。
「ああ。また、月曜日に」
「またね、あいるん」
「うん。かおりんも。ゆ、夕くんも」
「ああ」
この1日で愛瑠の中でいろいろなことが起こりすぎている。自分がオタクだとバレたこと、香もまたそうだったこと、そして憧れの夕矢とお近づきになれたこと。最後のそれが一番大きいとは理解している。それ以上にプライベートでは名前というか、あだ名で呼びあうことになったことが最大の嬉しさになっている。
「気をつけてな」
「ばいばい」
名残惜しそうにしつつ、両手いっぱいの荷物を持って愛瑠は改札に消えた。夕矢たちとは家が反対方向になるため、もうすぐやって来る電車にのるために先にホームへと向かったのだ。
「じゃ、行こうか」
「うん」
香とは2駅ほど一緒になる。そこで香はバスに乗るためにお別れになるのだ。電車は行ったすぐ後らしく、あと10分ほど待たなくてはならない。2人は扉の来る位置に立つと時間を確認した。
「あのさ、今日、ずっと聞きたかったことがあるんだけど」
「ん?」
電光表示で電車の接近を確認していた夕矢が香の方へと顔を向ける。一瞬ドキッとしてしまう香だが、今見せた表情は夕矢が隠れイケメンだということを認識させるに充分だった。学校で見せる夕矢の表情はどこか軽く、それでいて普段はその大きな目が鋭くてワイルドだ。だが、今日一緒にいた際に感じられたのは陽太の影に隠れてはいるものの、夕矢もまた間違いなくイケメンの部類に入る、というものだった。実際にあの美少女である愛瑠が夕矢に惚れていたのだから。
「なんであんなにクジ運いいの?絶対わかってて引いてるよね?」
取り出したクジが何の賞なのかを言い当てている。それも3回で3回とも欲しい物を選んで当てているのだ。確率ならとんでもなく、偶然とも思えない。夕矢は苦笑し、それから自慢げな笑みを口元に浮かべた。
「言ったろ?ハンズ・オブ・グローリー、栄光を掴む両手だってさ」
両手と言いながら右手をかざしてそう言うが、以前とは違って中二病の妄言だとは思えない。現にその右手は栄光を掴んでいる。
「バカみたいだけど、信じるしかないわね」
「まぁ、お前の秘密を知ったわけだし、俺のも知っていてもらうものまた礼儀か。ギブ・アンド・テイクだもんな、世の中」
そう言い、夕矢は周囲に人がいないことをさりげなく確認し、香に寄り添うような形を取った。そのまま少し身を屈めて小柄な香の耳元に口を寄せていく。香も緊張などなく、興味が先走っているために周りから見ればバカップルに見えることは念頭になかった。
「触れたものに集中したら、その触れてる物がどういうものかわかるんだ。見えなくてもね」
その言葉に半信半疑になるが、クジのことが裏打ちとしてあるために否定できない。
「クジに触れたらわかるてこと?」
「触れて集中すればね。隠れていても、AとかBとかって文字が頭に浮かぶ」
「・・・・私に触れたら、頭の中でその服とか消えちゃうって事?」
「んー、残念だけどそういうのは無理。服に触れたらその下が見える程度。つまり下着に触れればその下は見えるけど、触れた部分だけ。肌に触れても何も見えないんだよ」
「なるほど」
そういうことなら安心できる。服を全て透過されるのであればこうして一緒にいるだけで危険だからだ。
「だから一発クジが流行ったときはキター!って思ったね」
「それでオークションとかで儲けるわけか」
「そういうこと」
クジでいいものを複数当てて、それらをオークションに出す。5百円でその数倍の利益を得ることができるその能力は羨ましい以外の何物でもなかった。
「でも使いすぎるとすごく疲れるんだよ」
「そうなんだ?」
「前に1日20回ぐらいやったら頭痛が酷くて死にかけた」
笑って言うことではないと思うが、香は頷いていた。だが、この能力を有する夕矢とオタク仲間になった香は愛瑠ではないが超ハッピーだと噛み締めていた。一発クジにおいて欲しいものは確実に手に入れることが出来るのだから。夕矢は姿勢を正してにんまりと微笑む。そんな夕矢を見た香はもう1つ気になっていることを口にしようかどうかを迷った。だが言わないことに決める。まずは茜に確かめる必要があると感じたからだ。その後はオタク的な話やカルフェスのことなどを話題にしていると電車がやってきた。乗り込んで電車が動き出せば2駅などあっという間で、別れはすぐにやってきた。
「今日はホントにありがと。あと、カルフェスもお願いね」
「ああ。こっちとしても楽しかった。今後ともよろしく」
そう言い合い、微笑みあう。ドアが開いて香が降り、手荷物を抱えたままで手を振る香に右手を挙げる夕矢。そうして電車が動き出し、香の姿が見えなくなってから夕矢は扉にもたれるようにしてみせた。香の秘密と愛瑠の正体を見られたことは大きい。それは弱みを握ったという意味ではなく、同じ仲間が出来たという素直な喜びだ。ただ、香と愛瑠のそれは秘密にする必要があるために学校で話題に出すのは難しいが。それでも有意義だったと思う夕矢が自分の最寄り駅についたところで電車を降りた。そうして改札へと続くエスカレーターへ向かおうとした足が急に止まる。表情も固さを見せ、動き出す電車から流れてくる風に髪を揺らすだけで体は動かなかった。
「茜・・・」
そう口にし、夕矢は歩き出す。驚いたのは茜がこの電車に乗っていたことであり、茜に内緒で香と会っていたというやましい心からきたものではなかった。茜は少し夕矢を睨むように見つめつつじっとしている。
「よぉ、お前もお出かけだったのか?」
目の前で立ち止まった夕矢がそう言い、小さく微笑んだときだった。
「香と会ってたんだ?」
何の感情もない口調で茜がそう言う。だが表情は暗いままだ。
「見てたのか。ああ、出先で偶然会ってな」
「そっか」
「ああ」
「香とデートだったの?」
「いや、オタクの店に行っただけ。瀬川とは帰りの駅で一緒だった」
「そう、なんだ」
どこかホッとした顔をした茜が夕矢の横に並んでエスカレーターへと向かって歩き出した。そんな茜がそっと夕矢の腕を掴んで身を寄せる。それに少々驚きつつも夕矢はされるがままでいた。
「ホントはね、見てた・・・電車に乗る前から、姫季さんと一緒のところも」
「そっか」
あえて口調も態度も変えない。夕矢のポーカーフェイスは茜のそれとは年季が違うのだ。
「店の帰りに偶然だよ」
「うん」
元気が無い返事に内心ドキドキしつつ茜に笑顔を向けた。一体どこから見ていたのか想像もつかないが、駅からであるならどうとでも誤魔化しは出来る。香と愛瑠の秘密を守るため、それしか頭にない夕矢。
「私もね、あそこにある大きな本屋に行ったんだ。そしたら香と姫季さんと3人で楽しそうにしながら来たから、声、かけづらくて」
「かけてくれても良かったのに」
「そうね」
そう言って微笑む茜はいつもの茜だった。そのままほとんど会話もなく家の前に来て、茜がじっと夕矢の顔を見つめた。
「明日・・・・暇?」
「一応、な」
「そう・・・・」
「なんだ、どっか連れてけってことか?」
「ううん。じゃ、またね」
「ああ」
どこか釈然としないがそれ以上深く追求することでもない。夕矢は自分の家に帰っていく茜を見てから自分も玄関のドアを開けた。最後にもう一度だけ茜の家を見て、それから中に入ってドアを閉じた。