秘めた想い、共有する心(4)
好きだと、今まで何回言われてきたのだろう。自分は相手のことなど良く知らない、だからその全てを断った。いや、よく知っている人からもそう言われたが断っている。何故そうしたのだろう。そこまで考えて、茜は口まで湯船に浸かった。ぶくぶくと泡を吐き、のっそりと水面から口を出す。
「好きです、かぁ」
そう言われることに悪い気はしない。人に好かれるということは自分は悪い人間ではない、そういう風に評価されていると思えるからだ。みんな自分に正直にそう自分に伝えてきている。なのに自分は、そう思い、湯船を出た。シャワーで髪を流しつつ、好きという気持ちを考えた。
「めんどくさい感情」
呟いてシャンプーを手に取った。めんどくさい、確かにそう思う。多分、それは自分が素直でないからだ。かといって素直にもなれない。なったところでどうなるものでもないからだ。茜は考えることを止めて髪を洗い出す。ただ、ここ最近の揺れるような想いに戸惑いながら。
*
無事期末テストも終了し、ホッとする。手応えが充分な陽太でさえホッとし、しかしすぐに気を引き締め直した。テストが終われば県大会へ向けて最後の練習が控えているからだ。今日から早速再開される部活に向けて動き出す陽太に茜が近づいた。
「やっと終わったね。手応えは?」
「連日の勉強会のおかげかバッチリさ」
爽やかなその笑みに茜もまた微笑んだ。周囲にいるクラスメートはそんな2人の雰囲気に恋人同士のそれを感じ取っている。
「私も今回はいい点だと思う」
「なら、大会もいけるだろ?」
「陽ちゃんもね」
その言葉に笑い、陽太はラケットを挟んだ鞄を机の上に置いた。この後は午前中を自由に過ごして弁当を食べ、それから部活だ。
「お弁当、一緒しようよ」
「屋上は暑いから、中庭にするか?」
「うん」
もうカップルの会話にしか聞こえない。茜は香も誘っていいかを陽太に確認し、了解を貰ってから2人で隣の教室へと向かった。夕矢のデキも聞いておきたいからだ。そんな茜の足が教室の入り口で止まる。不審に思った陽太が茜の横で止まれば、かなり親しげに、それでいて顔が近い感じで楽しそうに会話をしている夕矢と香の姿が目に入った。
「感情が顔に出てるぞ」
耳元で陽太にそう言われるが、茜は表情のない顔を陽太に向けた。
「どんな感情よ?」
「親友を取られたっていう感情」
その言葉に小さく微笑む茜が歩き出す。陽太はそんな茜の背中に苦笑し、それから教室の中に入った。
「よぉ」
2人に気づいた夕矢が顔をあげ、それから香が手を振った。
「手応えどう?」
「バッチシ、かな」
香の言葉に満足げな顔をした茜だったが、苦い顔をした夕矢を見たのを見逃さない。
「何、その顔?勉強会したのに手応えないの?」
「普段しないことをしたから調子狂ったんだよ・・・ま、普通なデキだろうけど」
夕矢はそう言いながら鞄を机の上に置いた。帰宅部の夕矢はもう帰るだけだ。茜は香を昼食に誘い、香はそれを快諾した。夕矢は鞄を担ぎ、帰る意志を示す。
「じゃぁ、頑張れ諸君、さらばだ」
「いいよねぇ、帰宅部は・・・どうせ寄り道するんでしょうけどさ」
「コンビニで一発クジするだけだよ」
その言葉にピクリと反応する香を見逃さない陽太はテスト初日の夕矢と香の言動にある答えを見出していた。
「あんたのクジ運ハンパないもんね。絶対ほしい物を引けるってもう変態だし」
「変態?天才の間違いだろ?」
「なのに宝くじは当たらないんだからねぇ」
小バカにしたような言い方だが、夕矢は涼しい顔を崩さない。そのままじゃあなと去ろうとした時だった。
「あ・・・」
香が何か言いたそうに夕矢の背中に声をかける。夕矢は少し振り返ると小さく微笑み、そのまま帰っていった。そんな香の様子に小首を傾げた茜が香の横に立つ。
「どうしたの?なんかあいつに用とか?」
「ううん、そうじゃなくって・・・さよなら言いそびれたから」
「改まって言うことないって、あんなバカにさ」
「かな?」
「うん」
そのやり取りを聞きつつ陽太は香の心情を察していた。夕矢と香の関係はおそらく自分の読み通りだという自信がある。ならば自分が口を挟むことはないと決め、ジュースを飲みに2人を誘うのだった。
*
金曜日の夕暮れはどこか浮き足立っている。特に明日からの土日は部活がないせいか、それが顕著に現れていた。茜は最後の百メートルを走り終えて呼吸を整え、それからストレッチを開始する。香とペアになりつつ柔軟をこなし、東の濃くなった紺色の空を見上げていた。
「今日も暑い夜になりそうね」
ぱたぱたと各女子部員の記録を書いた紙を揺らしつつ顧問であるコーチが近づいてきた。ポニーテールがトレードマークであり、その巨乳と可愛さとで男子生徒はおろか、独身男性教師の人気を掴んで離さない人物だった。しかしながら、左手の薬指にきらめく指輪が男たちの希望を打ち砕いていたのだが。20代も半ばを過ぎているが、その運動能力はかなりのものだ。現に茜たち短距離選手と混じりつつ一緒に走りながら声をかけていたほどに。
「池谷コーチは彼氏と熱い夜、でしょう?」
「まぁね」
四宮穂乃歌のその言葉にも笑顔を返せる大人の余裕だ。冷やかしの声にも笑顔で対応し、コーチである池谷愛もまた軽いストレッチをしていく。実際、明日からの休みはコーチの私用によるものだ。そう言われても仕方のないことだった。
「いよいよ結婚ですか?」
「かな?」
「でももうプロポーズされたんですよね?」
「そう。だから明後日は顔合わせで明日は準備。といっても、彼の家族とはもう馴染んでるから今更改まる必要ないけど」
「でもコーチのお父さんが怒ってるとか?娘はやらんって」
こういったネタには興味がつきない穂乃歌にさすがの愛も苦笑を漏らす。
「残念ながら家族ぐるみで付き合ってるからそういうのないよ。高校の頃からの付き合いだしね」
大人の余裕か、軽くかわしてストレッチをしている部員の状態を確かめる。それから遠くに目をやれば、男子はまだ走っているようで、数名がトラックを向こうからやって来ていた。
「いいなぁ、私も早く彼氏欲しいよ」
ストレッチを終えた穂乃歌の言葉に苦笑し、愛は1つ背伸びをしてみせる。
「穂乃歌はがっつきすぎだって」
呆れた口調の茜に、穂乃歌が目を細めてそっちを見やる。
「茜はいいよね、幼馴染でイケメン、そしてテニスの王子様の小泉君がいてさ」
「いやいや、陽ちゃんとはそういう関係じゃないし」
「幼馴染だし、気心も知れてるしさ。昔約束したんでしょ?お嫁さんにしてねって」
「ない」
茜は素っ気なくそう言うとストレッチを終えた。立ち上がる茜の横に香も並ぶ。
「幼馴染がみんなそうだと思うのやめてよ」
その言葉に愛がくすりと笑った。それに気づいた茜と穂乃歌がそっちを見やれば、困った顔をした愛がまだオレンジに染まっている西の空へと顔を向ける。
「私の彼氏にも幼馴染の女の子が2人いるけど、どっちも選ばなかったよ。子供の頃からそういう感情はなかったみたいね。だから河合さんの気持ちもなんとなくわかる」
そう言い、どこか複雑そうな表情を茜に向けた。その顔に親近感が湧いたのは何故だろう。
「ノロケだ」
「だね」
穂乃歌と香がそう言いあい、他の部員も頷く。愛は苦笑しつつ全員に集まるように告げた。そのまま終わりの挨拶を交わし、今日の部活は終了となった。
「先生って、彼氏の幼馴染と・・・上手くいってない、とか?」
去ろうとした愛の背中に茜がそう問いかけた。愛は振り返り、まじまじと茜を見つめてから小さく微笑みを浮かべる。
「ううん、友達だよ。2人とも高校からの親友だけど、仲はすごくいいよ」
「彼氏とも?」
「うん、良好だよ」
愛はにこやかにそう言い、職員室へと戻っていった。今の話題でみんなが盛り上がる中、茜だけが浮かない顔をしつつ西の空に向けるのだった。
*
明日の部活がなく、授業もない。完全休養日が2日も出来た茜は香でも誘って遊びに行こうと考えて連絡を入れたがフラれてしまった。用事があるらしい。仕方なくどうするかを考え、窓の方へと目をやった。クーラーが動いているために窓は開いていないが、もし開いていたならばそこから見えるのは陽太の部屋だ。陽太は大会を間近に控えているために土日も部活であり、とても遊びに誘える状況ではない。ならば、残るのはいつも暇であろう夕矢だが、ここ2年ほど2人だけで出かけたことなどない。陽太が一緒か、他の友達と出かけることが主だったからだ。それに2人だけで出かけることを意図的に避けていたのもある。穂乃歌たちと遊ぶことも考えたが、さっきの愛の話もあったせいかここは久々に夕矢を誘ってみようと考えた。スマホを手に取り、ラインを起動させて手が止まる。普段はラインをよくするが、こう改まって遊びに誘うのは緊張してしまうのだ。デートに誘っているようで変に意識してしまう。茜は画面を切り、今度は電話番号を表示させる。だがなかなか通話ボタンが押せない。いつもの自分でない自分に戸惑いつつ、それでも意を決して通話ボタンを押した。コールボタンが心臓の音を早める。相手はあの夕矢なのに何故こんなにも緊張しなくてはいけないのか、そんな風に夕矢に腹を立てていたら電話が繋がった。
「も、もしもし?」
緊張が声に出る。
『んあ?なんか用か?』
普段の夕矢が電話の向こうにいた。あれだけ緊張していた自分がバカらしく思うと同時に夕矢に対してふつふつと怒りが湧いてきていた。
「なによその反応は!」
『今、ゲームしてんだよ・・・で、何?』
素っ気無いにもほどがある。茜の中の緊張は消え失せ、いつもの茜がそこにいた。
「明日、暇でしょ?どっか遊びにいかない?」
すんなりと言えた。やはりさっきは変に意識しすぎていたのだろう。
『あー、明日は用事があるんだ』
「どうせゲームでしょ?」
『うんにゃ、デートだ』
その言葉にさっきまで落ち着いていた動悸がまた早まった。思考も上手く働かない。あの夕矢の口からデートという言葉が出るとは思いもよらなかったからだ。
「デ、デート?誰とよ?」
『んなもんいちいちオメーに言う必要あんの?』
「ある!」
何故か大声を出す。ムキになっている自分に気づきながらもどうにも抑えきれないのだ。
『うっせーなぁ・・・耳元で怒鳴るなよ、手元が狂うんだからさ』
「誰とデートなわけ?」
『お前にはないものを持った美女だ』
「・・・・・・悪かったわね、ぺったんこで」
『へぇ、そこは自覚あんだ?』
「・・・・殺す」
『冗談だよ』
夕矢は笑っていた。茜にしてみればどれが冗談かもわからない言葉だ。デートが冗談であって欲しいと思っているのか、それとも別の事柄か。
『ただ単に用があんだよ』
「そっか・・・・なら、しょうがないね」
ここは夕矢を信じた。デートなどして欲しくないし、考えられない。もし本当なら相手が誰かを突き止めたい、そんな衝動に駆られてしまう。それをグッと我慢した結果だった。
『悪いな。また今度誘ってくれや』
「あ、うん・・・そうする」
何故自分はこんなに落ち込んでいるのだろう。理由は分かっている。でもそれは心から消した。
「じゃぁ、夏休みさ、海、行こうよ」
『海ねぇ・・・・・・・・・・・いいかもな』
「数秒の沈黙は誰の水着姿を想像したのかな?」
『・・・・・そりゃ当然、オメーだよ』
「嘘つけ!」
『あっはっはっは、まぁ、海はいいぜ。2人でか?』
「2人じゃイヤなわけ?」
『俺は別にいいけど』
「じゃぁ、2人で」
『了解』
その後は他愛のない話をする。いつしか夕矢はゲームを止めて茜との会話に集中しているようだった。いつも一緒にいるし、2階の廊下の窓越しに直接話せるほど近い場所に住んでいるのに、何故こうにも嬉しいのか。そうして2時間ほど話し、電話が終わる。緩んだ顔をそのままにスマホに充電器を差し込んでからベッドに寝転がった。そうしてそこからでも見える机の上に飾られた高校の入学式の写真を見つめた。陽太と夕矢、そして自分が写ったその写真を1日何度見つめていることやら。
「デート・・・じゃないよね」
明日の夕矢の用事がデートだったらと思うと胸が痛む。何故だろう。けれど知らない振りをする。わざとに。
「新しい水着、買うかな」
そう呟いた茜は毎月買っている月刊のファッション雑誌を手に取ると水着特集のページを開くのだった。