心、コネクト(3)
気になるといえば気になる。嫉妬もあれば後悔も大きい。けれど、もうどうしようもなかった。そう達観しているせいか涙は出ない。とりあえずは部活に汗を流しているせいだと思う。香と夕矢がイチャイチャしている想像や結婚式で2人を祝福するスピーチをしている自分を想像してその悲しみ、嫉妬を走るエネルギーに変えた。
「今日の河合は気合入ってるなぁ」
コーチである愛も感心するほどだ。何かがあったのは理解できるが、それが何かまでは詮索しない。
「気合ですか?入ってますよ!ふひひひ~」
壊れたような笑い声を出す茜を不気味だと思いつつ、何かを強がっているのを見抜く。その強がり方は自分の親友である女性にどこか似ている、そんな風に思っていた。彼女もまた心の奥底に色々溜めこんでいて、それを決して表に出さない性分だ。ただ、彼女よりは茜のそれは分かりやすかったが。
「あと2本で終わりだから、最高のタイムを出せ」
「はい!」
気合十分にスタートラインに向かう茜を見つつ小さく微笑んだ。負の感情にしろ何にしろ、それをこうして生かしているのは素晴らしいと思うからだ。
「青春してるんだろうなぁ」
昔の自分を思い出し、苦笑が漏れる。こういうことを思うのはおばさんになった証拠だと思い、ますます苦笑を濃くする愛であった。
*
ベッドの上で正座をするのはいつもことだ。膝の上に置かれた拳には力がこもっているのがわかる。陽太はため息をついて椅子の背もたれを体の正面にしてその上に両腕を置いて顎を乗せた。これもいつものスタイルである。やはりというか予想通りというか、その日の夜に茜はやってきた。死にそうなほど暗く、沈んだ顔で。しかし陽太にすればこれは予想の範囲内。夕矢から気丈に振舞っていたし意外と普通だったと既に聞かされているからだ。部活を終え、夕食をとったあとで風呂にも入らずフラフラとした足取りで茜は陽太に家に向かった。思考は麻痺状態であり、現実逃避寸前。それでも受け入れた現実がその逃避を遮っているのだ。
「まぁ、なんだ・・・本心聞かせてみろって」
優しい口調の陽太はいつもの感じでそう切り出す。いつもよりやや声が低いが。
「ヤだ」
「いや・・・話、聞いてほしいんだろ?」
「ヤなの!夕矢と香が付き合うの!」
「あ、そっちか」
ため息と共にそう言うと、これは疲れそうだと覚悟を決める。放課後は気丈に振舞った。いや、意外とダメージが少なかったのは確かで、その分の負のエネルギーを部活にぶつけた。汗を流せばすっきりすると思っていたからだ。なのに、終わった直後から悶々としてばかり。どうやって帰宅したかも記憶が曖昧であり、夕食に何を食べたかのかも思い出せない。
「ヤだよぉ~」
「でもな、仕方ないんだよ。茜はあいつを振った。それ以来あいつはお前をもう恋愛対象とは見ていなかった。瀬川とは趣味が同じ。必然的と言っていい。遅かれ早かれ、瀬川か姫季とは付き合っていたと思うよ」
「陽ちゃんのいじわるぅぅ~」
号泣する茜が陽太の枕に突っ伏す。おいおいと泣く茜を見つつ、今夜の枕をどうするか悩む陽太。
「そんなに後悔するなら振るなって話。悔やむことを後からするから後悔なわけ・・・もうさ、現実を受け止めるしかない」
「でもぉぅ」
えぐえぐとしゃくりあげる茜はベッドの上で枕を抱える。可愛い顔も泣き顔となれば台無しである。
「まぁ、言いたいことは全部吐き出せ、聞いてやるからさ」
「陽ちゃぁぁぁん・・・・」
優しい言葉に再度枕を顔面に押し当てて泣き散らす。もうどうしていいかわからない陽太は予想の遥か上をいく茜の惨状にお手上げ状態になった。
「なんで香なのぉ!なんで?なんでさ?なんでなのよ?ふへへ・・・・なんでなんだろうねぇ?」
壊れた、そうとしか思えない陽太はアドバイスのしようもなく、しばらく静観することに決めた。
「やっぱ胸かなぁ・・・私Aカップだしねぇ、香はFカップだしぃ。でもね、年取ると垂れるらしいよ。ふふふふ・・・その点私は・・・・・・・みじめぇぇ!」
めんどくさいと思う反面、面白いと思う。スマホか何かでこれを録画したいという衝動を抑えるの必死になった。
「イヤだよぅ!なんで香なのぉ!夕矢ぁぁ!結婚するって言ったじゃない!子供作ろうねって!可愛いよって言ってくれたのにぃぃぃ~」
さらなる号泣を見つつため息が出る。確かに夕矢はそう言った、それは覚えている。しかもその台詞は自分もまた口にしていると記憶している。そう、幼稚園の頃に。
「結婚式でスピーチはいやぁぁ!祝福なんてできないよぉ!呪ってやる!あ、そうだ・・・うふふ・・・・奪っちゃえばいいんだ・・・そうだ、誘惑してさ・・・でもぉ、誘惑する胸、ないよぉぉ!」
どれだけコンプレックスなのか、陽太はもう呆れるしかない。そのまま小一時間ほど暴言を吐き、号泣し、自己嫌悪し、怒り、わめいた。そうしてしゃくりあげるようにしつつ言葉がなくなる。スマホのゲームをしてそれを静観していた陽太はそっとそれを机の上に置くと椅子をしまってベッドの上に腰かけた。
「で、縁を切るのか?」
力なく首を横に振る。まるで壊れた人形のような動きだ。
「夕矢とも普通に?」
頷く。
「瀬川とも?」
頷く。
「どうしたい?」
顔を伏せ、そのまま数分。だが顔を上げた茜の表情は普段のそれに戻っていた。目に宿る光も通常のもので、ようやく正常運転に戻ったようで陽太としてはほっと一安心である。
「今まで通りだよ。夕矢とは幼馴染。香とは友達」
「それでいいんだな?」
「でもチャンスがなくなったとは思わないよ。隙あらばじゃなくて、自然とそうなるかもしれない。それに他の誰かを好きになるかもしれない。イケメンで金持ちで頭脳明晰、運動神経抜群な彼氏ができるかもしれない」
もの凄い高望みだと思うがそれもまた茜らしいと思う。
「あの時、素直になってれば、ってずっと思ってた。でもね、これが現実だもん・・・だから、頑張る。夕矢に認めてもらえるように、他の誰かを好きになれるようにさ。時間がかかるだろうけど」
「茜ならできるよ。それに部活に打ち込めばいい。その負のエネルギーを情熱に変えてさ」
「情熱に?」
「夢中になれるものに、さ」
そう言われて頭に浮かんだのはもちろんBLだ。そこで茜の中で何かが弾けた。そうだ、想像は自由だ。師匠である明日那もそう言っていた。
『想像は自由。恋愛も想像の中では自由なの。自分と陽ちゃんでも兄貴でもいい。兄貴と陽ちゃんでもいい。想像するのは自由だよ!』
「夢中に・・・・そう、それだよね!」
ぱぁっと明るくなった茜に微笑むが、まさか頭の中でBLが渦巻いているとは夢にも思わない。とりあえず元の茜に戻ったことにホッとし、陽太は何やらぶくつさ言いながら考え込んでいる茜の傍から離れた。
「こうしちゃいられないわ!帰るね!陽ちゃん、ありがとう」
勝手にそう言い、そそくさと出ていく。そんな茜を見送ることなくおやすみとだけ口にした陽太は椅子に座り直すとスマートフォンを手に取った。
「あとで下からクッションを持ってこないとな」
ゲーム画面を再起動させ、そう独り言をつぶやく陽太はかなり疲れた顔をしているのだった。
*
茜はその足で今度は夕矢の家に向かった。大声でこんばんわと言い、顔を出した夕矢の母親に挨拶し、そのままいつもの調子で階段を上がるとノックもなしに夕矢の部屋のドアを勢いよく開く。驚きのあまり体をびくつかせた夕矢がベッドの上で数センチ跳ね上がるのを見つつ、ドアを閉めた茜は腕組みをして仁王立ちをしてみせた。ベッドに寝転がってスマホでゲームをしていた夕矢はため息をつくとのっそりした動きでベッドの上に座った。
「デリカシーのない女だな・・・ノックするとか、ないわけ?」
「下半身でも露出してたら面白いなってね」
「バカだろ?」
「かもね」
そんな茜に疲れた顔を見せつつ、心の中では苦笑していた。どうやら陽太の家でうっぷんを晴らしてきたようでいつもの茜がそこにいる。茜が喚いている最中、陽太からうんざりしたような実況ラインが届いていたために夕矢もそれを把握していたのである。動画や画像がないのが残念であるが。
「で、なに?」
ぶっきらぼうにそう言う。これまたいつもの夕矢のため、茜もどこか内心でホッとしていた。
「そ、その、私は振ったし、振られたし、言うことはないんだけどさ、私たちは幼馴染で、これからもそれは変わんなくて、それで・・・」
「何も変わらないって」
茜の心情を察した夕矢が素っ気なくそう言うものの、声に温かみは感じられた。言いたいことはわかっている、そんな風に。
「幼馴染だし、一緒に出掛けたりもするだろう。家族ぐるみで付き合ってるわけだし。瀬川にしてもお前と2人で買い物に行ったところで何も言わないよ」
「でもいい気はしないだろうね」
「そりゃそうだろうけど、でも、あいつは信じてるからな」
「ノロケ聞かされちゃった」
小さく笑う茜を見つめる夕矢の目は真剣だった。だから茜の顔から笑みも消える。
「俺もそうだけど、お前も信じてる。姫季のことも。あいつはそういう性格だ」
「裏切るかもしれないのに?」
「お前が瀬川を裏切ってコソコソ俺にちょっかいを出すなんて思ってない。するならきっと正面から、瀬川にもわかるようにするだろうって思ってるんだよ」
「・・・・そうだね」
そういう香の性格はよく知っている。夕矢を好きになった時にはすぐにそれを打ち明けたぐらいなのだ。趣味のことは隠していてもそういうのは隠せない、隠さない性格だ。
「姫季ははっきり言ったぞ。隙あらばチャンスがあれば奪うって。でも、それでも趣味の集まりには必ず姫季を同行させる。それは俺も瀬川も同じ思いだった。それでも姫季と瀬川は友達でライバルなんだ。瀬川はそんな横槍すら力に変える。だからお前も、頑張れ」
「頑張れって・・・・あんたを奪えってこと?」
「俺が、瀬川じゃなくってお前に興味が行くような女になれってこと」
「自己評価高すぎんだよね、あんた」
そう言って微笑む茜の目に涙が浮かんでいた。それは激励であり、突き放すことはしないという夕矢なりのエールなのだから。きっと夕矢は恋愛対象として自分を見ることはないだろう。だからこそずっとこの関係を維持したい、そう言ったのだ。かなり遠まわしに。
「さて、すっきりしたから本来の目的を果たすかな」
そう言って背を向け、ドアノブに手をかけた。本来の目的が自分にないこと、さっきのがそれではないのかといった疑問を顔に出した夕矢を振り返り、茜は悪戯な笑みを浮かべて見せた。
「じゃ」
「あ、おう」
バタンとドアが閉じ、少しの足音がしてすぐ止まる。そうしてすぐ隣の明日那の部屋をノックする音が聞こえてきた。どうやら本来の目的は明日那らしいと知った夕矢は時計を見やった。時刻は午後9時を回っている。こんな時間に何の用だと思いつつ、意外にあっさり去った嵐にホッとしてゲームを再開するのだった。
*
とりあえず現状を師匠に報告した。自分の親友が夕矢と付き合い始めたこと、2年前に振ったもののずっと夕矢を好きだったこと。そのうっぷんを晴らすべく部活に集中したが気が晴れなかったことなどを。そして辿り着いた境地が想像による願望の昇華であることを。現実的に叶わないのなら、せめて自身の妄想の中でだけでも叶えたいと思っていることを。だが、想像すればするほど自分と付き合った夕矢が徐々に陽太に惹かれていき、そして自分は捨てられるというストーリーしか浮かばない。明日那が創作した小説はいわゆる寝取られ系であったものの、根底にあるのは陽太と夕矢の禁断の感情からくる真実の愛であった。男同士に真実の愛が存在るのかどうかは置いておくとして、とにかく、念願叶って付き合った2人が陽太によって引き裂かれ、揚句に夕矢を取られてしまうストーリーしか浮かばないのだ。
「なるほど・・・でもまぁ、悶々とした気持ちの整理はできるかも」
「かなぁ?」
「うん。一度さ、そういう物語を書いてみたら?設定なんか無にして、思うままに。最初の作品なんてそうやって思うままに書いて完成するもんだし」
「そっか・・・・わかった。思い浮かぶままに書いてみるよ」
「うん。完成したら見せてね」
「採点をお願いします、師匠!」
そう言う茜の表情は明るく、何かを吹っ切ったようなものになっていた。うんうんと頷く明日那であったが、茜の話を聞いてさらに作品の構想が広がりつつある。
「そっか、兄貴に彼女ができたか・・・・うん、これは、いいかも!」
「で、週末なんだけど・・・」
「ああ、任せて!」
「よろしくお願いします!」
深々と頭を下げる弟子を見つめる明日那はこれから茜がどんな作品を産み出すか楽しみで仕方がなくなるのであった。