心、コネクト(2)
教室に入ると既に愛瑠がいた。今日はいつも一緒にいる友達がまだ来ていないせいか、2人の姿を見るとすぐに寄ってきた。見た限り普段と変わりはない。
「おはよう」
「うん、おはよう」
「ういー」
「もう平気なの?」
「うん、治ったよ」
「そう、よかった」
そう言って微笑む愛瑠はそっと2人に体を寄せた。
「とりあえず、おめでとう、とは言っておくね」
にこやかにそう言われ、香は恥ずかしそうに、そしてどこか申し訳なさそうに頷いた。夕矢はただ無表情で頷くのみだ。
「正直、昨日はちょっと泣いたけど、かといって恨みもないし、妬みもないよ」
「あいるん・・・」
「まぁ、このままずっと2人が別れない保障もないし、私が未来の奥様になる可能性は十分にあるし、それに、かおりんは友達だし」
何故か最後の台詞だけ赤面した愛瑠をそっと抱きしめる香。本音を言ってくれたことで心のつかえが取れたのだ。愛瑠への申し訳なさ、それはもう消えた。
「うん、友達だよ!でも、夕矢とは別れない」
「隙あらば奪っちゃうからね」
そう言い、微笑みあう2人を見てホッとした夕矢はこういう友情もあるのかと感心していた。女の子同士だから、なのかもしれないために茜と自分とにそれを置き換えることはできなだろうとも思う。
「姫季の告白、確かに受け取った。けど、俺も瀬川と別れる気はないよ。始まったばっかなんだし」
「・・・・告白?」
夕矢の言葉に首を傾げる愛瑠は自分がさっき言った言葉を頭の中で再現し、途端に赤面した。
「ち、ちがっ!そ、そんなんじゃないし!別に私は夕くんのこと、なんとも思ってないんだから!」
「テンプレなツンデレ」
香の言葉にますます赤面し、愛瑠はぷいっとそっぽを向いた。
「でもありがとう。姫季で良かった、そう思うよ」
香に対する言葉、態度、想い、どれをとっても愛瑠らしいと思う。だから夕矢はその気持ちを素直に言葉にしたのだ。
「う、ありがとう。愛ちゃん、超恥ずい」
そう言い、愛瑠は2人に背中を向けた。夕矢と香は顔を見合わせ、苦笑する。
「けど!1つ言っておくから!」
勢いよく振り向きながらそう言った愛瑠は他のクラスメートの視線を受けていることに気づいてコホンと咳払いをし、目で外に出てと告げる。仕方なく2人は教室を出て、そのまま愛瑠に先導される形で人気のない場所に移動する。登校時間のせいもあって、場所によっては人がまったくいないのだ。そこは中庭に降りる階段の前であり、休み時間ぐらいしか利用しない場所のために誰もいない。それでも人がいないことを注意深く確認した愛瑠が並んで立つ2人へと体を向けた。背も高い夕矢と小柄な香がアンバランスであり、やはり夕矢の背丈に合うのは女子の平均身長である自分だと思うものの、そう思うだけで何か嫉妬するような感情はなかった。
「これから2人でデートしたりするんでしょうけどさ、でもさ、時々は私も混ぜてほしい」
「混ぜる?」
夕矢が疑問を口にするが、香にしても夕矢にしてもその意図は読み取れていた。その言葉はいわば確認だ。
「オタクの店を回ったりとか、カルフェスとか、イベントとか、さ」
2人のデートに干渉するようでどこか気が引けた表情をしているが口調はしっかりとしていた。夕矢と香は顔を見合わせて微笑み、香は愛瑠の肩をぽんと優しく叩いてみせる。
「そんなのあったりまえでしょ!私たちは仲間で友達で同志だよ?あいるんを除け者にして行くような薄情者だと思う?」
その言葉にふるふると首を横に振るものの、表情は冴えなかった。
「昨日、夕矢とも話した。そういうのは必ず3人で行こうねって。だってさ、そんなの当然だもん」
微笑む香を見て、それから愛瑠は香に抱きついた。背の高さが違うこともあって襲い掛かったように見えた夕矢だが苦笑を浮かべるだけだ。
「約束するから、大丈夫だから」
「うん!信じる!」
「年末のホビーショーも行こう。2月のカルフェスも!夏のカルフェスも!」
「うん!」
抱き合ってそう言いあう2人を見た夕矢も微笑む。元々付き合ったからといって愛瑠を除け者にする気などなかった。それを告げようとした夕矢だったが、香はそれよりも先にそう告げたのだ。必ず愛瑠を誘う、そう表明した香の目力を今でも鮮明に思い出せる。
「安心した・・・置いてけぼりは嫌だから」
「そんなのするはずないし」
「恋愛熱のせいでそういう気持ちなのかなって不安だっただけ」
「じゃぁ、立場が逆ならそうしたわけ?」
「するわけないじゃない!」
「なら同じだよ」
「うん!」
そう言って笑いあう。そんな2人がどこか羨ましかった。根っこの部分で信頼し合っているその関係が。自分も茜とそういう関係を保てるのか、茜と香が保てるのか不安でならない。
「とりあえず、ホビーショーだな」
「そうだね!」
12月20日の全国ホビーショーは新作アニメの発表や新製品の発表会になっている。限定品なども発売されるが、今現在発表されている中にそう欲しいものはなかった。
「クジは夕くんに任せたからね」
「ああ、それだけは保証するよ」
「うん!超ハッピー!」
そう言い、香の目の前でくるくる回る愛瑠を見つめる夕矢の瞳に優しさがこもっているのを香は見逃さなかった。そんな夕矢だからこそ好きになってよかったと思う。
*
朝は元気だった香のそれが徐々になくなっていると思う。お昼を一緒に食べることはない。これは付き合う前からずっと同じで夕矢は男子のオタク友達と、香はクラスの友達と一緒に食べているからだ。出来れば一緒に食べたいと思うものの、今更習慣を変えるもの変だし、何より付き合っている事実をまだ公表していないのだ。その原因は茜だ。つまり今日の放課後、茜にそれを告げた時点で聞かれたら答えるという公表方法を取ることにしていた。だが、やはり香にとっては気が重い。茜が夕矢を振った理由、そして今でも夕矢を好きなことを知っているからだ。熱のせいで思わず告白をしたが後悔はしていない。むしろ熱がなければズルズルと先延ばしになっていただろうと思う。そうなれば茜か愛瑠に夕矢を取られていた可能性もあるのだ。予想通り愛瑠はすんなりと事実を受け入れてくれた。余計な詮索もせず、嫉妬もあっただろうにそれを上手く出して昇華させたのだから大したものだと思う。最大の難関である茜の動向が見えないだけに香の気持ちが沈んでいく。5時間目、6時間目と時間が進むにつれて顔色もどこか良くなかった。また風邪がぶり返したのかと周囲から心配されるほどに。疲れのせいだと周囲に言い、今日は部活を休むことにしていた。既に昼休みにコーチである池谷愛に連絡をし、無理をしないようにと言われている。けれど気分が優れないのは茜に対する気持ちからきているためであり、決して風邪のせいではなかった。それは香自身も、そしてそれを見ている夕矢にもわかっていることだった。放課後になり、香は意を決して隣のクラスへと向かった。夕矢もそれに続き、何やら茜と話をしている香を見つめる。小柄な香はより小さく見え、頷いている茜は普段と変わりがない。やがて香が茜を伴って教室を出てくる。
「あ、夕矢」
「俺も同行するから」
「ん?うん」
わけがわからない、そんな表情をする茜。やはり何も気づいていないようだ。夕矢は気づかれないようにため息をつきつつ黙って2人の後ろを行く。目指す先は各教科の専門教室がある校舎の一角だ。掃除は週に2回しか行われないので、今日は除外日だ。
「わざわざこんな場所って、何?」
茜は普段のままでそう言う。香は少し顔を伏せがちにし、夕矢が一歩前に出た。
「俺たち、付き合ってる」
香のためにとはっきり、そしてきっぱりとそう言った。茜は驚きの最上級を顔で表現し、何度も2人の顔を行き来する。あまりに予想外の告白に戸惑い、言葉も出なかった。
「い、いつから?」
「おととい」
「あの日って、香、調子悪くて・・・それで」
揺らぐ頭の中で記憶を必死に探る。そうだ、放課後に香が熱だと告げられて夕矢が送っていった、ただそれだけのはず。
「そ、その時・・・・熱のせいもあったと思う、でも、好きだと告白したの、私が・・・・」
「俺がそれを受けた・・・好きだと気付いたから」
緊張と不安、そして恐怖の中でどうにか絞り出すように言葉を発する香と違い、夕矢ははっきりと告げる。だから、これが冗談ではなく本気であり、真実であり現実だと認識した。
「そ、そうなんだ・・・・そっか、よかったね」
機械的だと自分でもわかる。祝福なんかしていない、でも出てきた言葉がそれだ。
「ゴメン、茜・・・私は・・・・」
「謝る必要はないぞ、告られて、俺が受けた、ただそれだけ」
「そ、そうだよ・・・・謝らないで。でも、よかったのかな?こんなヤツで」
「悪かったな、こんなので・・・・こんなのを好きな奴に言われたくもないけど」
「う・・・」
精一杯の強がりを豪快に返されて黙るのは茜も香も同じだった。
「あー、でも、うん、そっか・・・・うん、よかったね。でも目の前でイチャイチャはしないように」
努めて明るくそう言うがどこか痛々しい。けれど茜にとやかく言う資格などない。香は事前にちゃんと自分の気持ちを告げていたし、趣味のことも公表している。そして茜は2年前に夕矢を振り、先日は振られている。スタート地点に立った、ただそれだけのこと。その時にはもうライバルはゴール寸前だっただけの話だ。涙も出ない。ただあるのは後悔だけ。2年前、あの日にすべてが終わっていたのだから。
「目の前でイチャイチャ出来る香じゃないから安心しろ。あと、これは香からなんだけどな、お泊り以外なら今まで通りでいい。部屋に来るのも、な」
「え?」
意外な言葉に香を見つめる。言いたいことを言えたすっきりさからか、香の顔色は元に戻っていた。
「2人は幼馴染だから、その関係は壊したくない。私との友達関係は壊れても、それは壊れてほしくないの。きっとギクシャクするんだろうけど、でも、今の2人の関係は、私、好きだから」
申し訳なさそうにそう言う香に戸惑う茜だが、その気持ちは嬉しくも痛かった。本当は嫌なはずだ。幼馴染とはいえ男女が同じ部屋で長時間を過ごすのだから。何もないとわかっていながら、それでも疑心暗鬼にかられるだろう。茜ならそうなる。
「本当にそれでいいの?魔がさすってこともあるかもよ?」
「ないよ」
「言い切れる?」
横槍を入れる夕矢を睨む茜の目は本気だ。最悪は寝取る、そういう目をしていた。けれどそんな勇気は茜にはないし、何より夕矢は本気で抵抗するだろう。空手の技を駆使しても、それだけは断固拒否する。夕矢はそういう男だと理解している茜は再度香を見やった。
「いいの?」
「信じてるから」
目を見てはっきりそう言った。強い意志がそこにある。
「愛の力ってわけね」
苦笑気味にそう言う茜に対し、香に変化はない。依然として力強い光を目に宿していた。ここに来た時にはない強い光を。
「そうじゃないよ。愛とかじゃない。純粋に夕矢を信じてる。信頼してるの、茜も」
「え?」
「2人を信頼してる。気にならないと言えば嘘になるよ、でも、信じてる」
その言葉が本気だと分かる茜は絶対に勝てない、負けたと心から思った。何に勝って負けたかはわからない。けれど香には勝てないと思ったのだ。それが愛の力なのかどうかもわからない。けれど敗北感を上回る充実感を得ている。香は自分を理解し、信頼してくれている。それが嬉しかった。
「まぁ、ボヤボヤしてると奪っちゃうからね?」
「望むところ」
そう言い、2人は抱きしめあった。そこにあるのは友情だ。たしかに嫉妬もある、喪失感もある。けれど香に恨みを抱くことはない。友達なのだから。
「夕矢も、覚悟しておいてね?」
「なにがさ?」
「誘惑してやる」
ニヒヒと芝居がかった風にそう言うが、香と違ってそれが半分本気だと見抜いている。
「そんな貧相な胸に誘惑されねーわ」
「っ!」
胸をかばうようにしつつ、隣の香の胸を見やった。ブレザーの上からでもわかるその巨乳が茜に対して存在感をアピールしている。その視線を受けて香はそっと胸を両腕でガードした。
「胸か?」
「ん?」
「私、胸の差で・・・負けた?」
「んなわけねぇし」
睨む茜にそう返し、夕矢はまっすぐに茜を見つめた。
「理由なんかないよ。気が付いたら好きだった」
真剣な声と表情、それだけで夕矢の言葉に嘘がないことがわかる自分がいた。伊達に長い付き合いをしていない。だから茜は微笑んだ。
「あーあ、結局、私が一番最後かぁ」
拗ねたようにそう言い、それから茜は2人に背を向けた。
「まぁ、そのうちイケメンで金持ちで頭がよくて運動神経抜群な男を捕まえてやるんだから!」
高らかにそう宣言して、茜はグッと胸の前で両拳を握りしめた。
「香は今日は部活、休みだよね?」
「あ、うん」
実に普段通りの茜に戸惑い、それでいて拍子抜けをしてしまった。気分が悪くなるほど気にしていたのに、これではバカみたいだ。
「イチャイチャしてくればいいよ、バカップル!」
そう言い残し、茜は猛スピードで走り去って行った。呆然とそれを見送る2人は数秒ののち、我に返る。
「なんか・・・・あっさりしてたね」
「無理してたさ・・・途中まではな」
「そうなんだ?」
「ああ」
茜をよく知っている夕矢がそう言うのだから間違いなのだろうと思う。かといって嫉妬などない。
「しかし金持ちでイケメンで・・・・そんな万能なヤツ、存在するのかねぇ」
「存在はするでしょうね。それに茜なら本当にゲットしそう」
「そうなったらめんどくさいなぁ」
「そうね」
そう言い、笑いあう。その時はきっと自慢の嵐が吹き荒れるだろう、それを想像して。
「でもなんか、ホッとした・・・もう茜とは口も聞けないんじゃないかって思ってたのに」
「あいつに限ってそれはないけど、もっとごねるとか思ったんだがなぁ」
「あっさりしてたね」
「・・・まぁ、上っ面はな。とにかく、あとのフォローは陽太に任せよう」
「小泉君に?」
「そういうのは陽太の仕事って昔から決まってるからさ」
「大変なんだね」
「慣れてるだろうけどな、大変だろうさ」
そう言って笑いあった。すると不意に香が夕矢に抱きつく。小柄なせいで胸に顔を埋めるという感じではないものの、夕矢もまた香を抱くようにしてみせた。充実感が心を埋めていく。お互いの体温を感じるだけで幸せな気分になった。
「なんか・・・思ってたのと違う」
香がそう言い、顔を上げて微笑んだ。もっと胸に顔を埋める、そんな感じだと思っていたのに実際は胸でも腹でもない曖昧な位置に顔があるからだ。
「しゃーねぇな」
そう言い、夕矢が香を抱きかかえる。キャッという悲鳴を出した香の目の前に夕矢の顔があった。
「近いね」
「いやか?」
「満足」
そう言い、ギュッと抱きしめあう。第三者的にはまるで大人と子供のようだ。
「キスはしないよ?こんな場所で、ファーストキスのムードもないし」
「わかってる」
「そっか」
「ああ」
そのまましばらく抱きしめあい、香が顔を離した。けれど夕矢は香を下す気配を見せない。不思議そうにしながらも満足げな香に対し、夕矢は怪訝な顔をしていた。
「どうしたの?」
「え?うーん・・・」
曖昧な返事をする夕矢は首をひねってみせた香にキスしたくなるものの、さすがにここではできない。
「いや、その胸にいった栄養を背丈に生かせなかったのかと思っただけ」
「・・・・・おろせーっ!」
怒りに体を振るうものの、小柄なせいかがっちりと体を固定されている香には振りほどく力もない。
「そんなに激しく動くと胸の感触が・・・・・・最高!」
「サイテー!もう別れるぅ!」
そんな絶叫が誰もいない空間にこだまするのみだった。