素直な言葉、理由のない気持ち(6)
「複雑だねぇ~」
わざとなのか、いつもの調子なのか、雪はブランコを揺らしながらそう言葉にした。日が暮れるのが早くなったと思う。今日は部活もないために放課後すぐに下校したがもう薄暗い。西の空が赤く、そして頭上が紺色に染まる中でブランコに座ったままの茜は顔を上げているものの表情は暗かった。帰りにたまたま雪と出くわし、相談を持ちかけてこの公園に来ていた。今日は風がない分比較的寒さは和らいでいるように感じられた。
「でもさ、好きってちゃんと伝えられたことは大きいと思うなぁ」
雪はブランコに揺られながら茜を見て微笑んだ。
「他の2人はまだそう言えてない。だから、リードとかそういうの関係ないよ。茜ちゃんの気持ちが本物で、その気持ちは夕矢くんに届いてる」
「そう・・・かなぁ?」
少し顔を伏せがちにした茜に雪が笑みを濃くした。
「だって、好きって言われて嬉しくない人間なんていないよ?」
「でも、あんな理由で振ったのに・・・」
「それをきちんと謝って好きだと伝えられた、それは大きいよ」
「かなぁ?」
「恋愛感情は失っても、また芽生えるよ」
「そうだといいけど」
「私の従姉妹の友達の彼氏がそんな人だったみたいよ」
雪の言葉に顔を上げる。過去のトラウマから恋や愛を消し去った男がその友達にのみ恋心を蘇らせて相思相愛になっているという話を聞きながら、茜は夕矢もまた自分に対してそういう気持ちを蘇らせてくれるかどうかを考える。今までが今までだけにかなり難しいと思うが、夕矢が自分のどんなところを好いていたのかがわからないだけにどう接していいかわからないのもまた事実だ。
「茜ちゃんは茜ちゃんらしくしてればいいんだよ」
「私らしく?」
「そう。今までの茜ちゃんでね」
それがどういうものかが分からず混乱してしまう。今までの自分、それが分からない。
「夕矢くんを罵倒する茜ちゃん、でも、そこに愛情があったよ」
雪が優しく微笑み、茜が複雑な表情を浮かべた。
「罵倒、ねぇ」
「かしこまる必要なんかないよ」
「かしこまってなんか・・・」
「ううん、今の茜ちゃんは夕矢くんに遠慮してるっぽいもん」
その言葉にハッとなった。確かにそうかもしれない。どこか遠慮し、顔色を窺っている。傷つけていないか、嫌われないか、そんな風に考えている自分がいた。
「何も考えないで進めばいいんだよ。その方が絶対、夕矢くんもグッとくるって」
「ですね」
初めて肯定的な言葉を口にした茜に雪が満面の笑みを浮かべて見せる。茜はブランコから下りると赤味の少なくなった西の空へと顔を向けた。少し夕矢に対する接し方に悩んでいたこともあって、雪の言葉に元気が出てきた。素のままでいい、そう思えることが嬉しかった。
「雪さん、ありがとう」
「ううん、いいよ」
微笑みあう2人が冷たい風に身を縮ませた。そうして苦笑しあい、公園を後にする。こうして恋愛相談が出来る友達が出来たことを素直に嬉しく思う茜だった。
*
イベントがあるせいか、それとも休日はいつもこうなのか、横浜駅は人でごった返していた。こういった人ごみが珍しいせいかきょろきょろする愛瑠だが、カルフェスを経験したせいかさほど驚きはない。
「ここから歩いて15分ってとこか」
イベントのちらしに描かれた簡素な地図を見つつそう呟く夕矢はイベントが行われるビルの方へと指をさす。今日は少し寒いせいか、上着を着込んだ香が頷き、愛瑠は額に手をかざすようにしてそっちを見やった。
「トークショーは11時からで・・・開場が10時ね。どうするの?先に限定物を見るの?」
時計を確認した香がそう言う。現在は9時、開場までは1時間というところだ。現地まで15分となれば、混雑次第ではかなり並ぶ必要があるだろう。
「このイベントは関東でツアーされてっから人はある程度分散するだろうし、まぁ、人は多いだろうけど思った以上ってことはないだろうな。だったら、先に買うか?」
「物販の列次第かなぁ・・・・トークショーに遅れたら意味ないし」
愛瑠がそう言い、歩き出す。今回のイベントのメインはそれであり、愛瑠にしても香にしてもそれを楽しみにしているのだから。
「だったら、俺だけが並んで買うってのも手だけどな」
「夕くんはトークショー見ないの?」
「見たいっちゃ見たいけどさ、限定品、欲しいんだろ?」
「そうだけど・・・」
申し訳ない気持ちになるが、トークショーも見たいし限定品も欲しい。そばれば夕矢の意見が最も効率がいい。だが、そうなれば夕矢はただ付き添って来ただけになってしまう。
「列次第で決めればいいじゃない。案外、そう並んでないかも」
「うん、そうだね」
ちょっと暗い顔をした愛瑠を見た香の助言により、その顔に明るさが戻った。夕矢の優しさを改めて感じた愛瑠は胸が熱くなるのを感じつつ、心の中で例の台詞を呟いた。さすがにここでくるくる回るのは避けたようで、それを察した香は小さく微笑むのだった。そうして作品の内容やキャラクターのことなどを話しているとあっという間に会場に到着する。それなりに混雑はしているものの、入場制限や物販の購入制限などもないようで、3人は現状の最後尾に並んだ。この調子なら限定品を買ってからトークショーを見ることができるだろう。嬉しそうにする愛瑠を見つつ、そんな愛瑠と軽快に会話をする香を見やった。自分が香か愛瑠を選んでも、きっとこの関係は続いていくと確信できた。根拠などないが、友達の繋がりは消えない、そう思えたのだ。
「聖地巡礼は、さすがに・・・」
「私も昨日まではしたいと思ってたんだけど、実際にモデルになった人を見てキャラに幻滅するのイヤだし、そこはもう諦めた」
「場所に行くのはいいけど、そうだよねぇ」
和気藹々と語り合う2人を見て、夕矢は小さく微笑む。そしてそこで心に決めた。ちゃんとこの2人と向き合おうと。茜には悪いが、告白の真相を知って好きにしろとは言ったけれど、自分の中にはもう茜を選ぶという選択肢はないということを自覚した。2年前のあの日、理由はどうあれ、あの告白で今の関係になった。それ以上の関係をもう望んではいなのだ。陽太はそういう気持ちを見抜いていたのかもしれないと思う。だからこそ、茜にこだわるなというようなアドバイスをしたのだろう。ただ、茜のことを思いやり、そういう選択肢を除外しなかっただけだ。
「夕くん、限定品、買うの?」
「んー・・・数珠は欲しいかもなぁ」
主人公が両手首にしている金と銀の数珠はアニメショップなどで既に売られているものの、限定モデルはメッキ仕様で値段も高いが、劇中のそれに近い仕様になっているのだ。
「だよねぇ!私も買って、両手にはめて学校に行く!」
「注目されるし、理由知ったらドン引きされるよ?」
「なんかさ、最近そういうの、もうどうでもよくなってきた」
そう言う愛瑠の気持ちがわかるのか、香は驚いた顔も見せずに頷いていた。2人ともお互いに友達になり、夕矢もいれば、他の友達が離れてもいいと思っているのだ。自分の趣味をひた隠しにすることが苦痛になりつつあるのだろう。アニメオタクに対する周囲の偏見は大きいのだから。
「かおりんがいればいいし、夕くんもいるしね」
「意外に私たちみたいなの、多いかもしれないし」
「それはあるよね?そう思う!」
夕矢はそんな会話を聞きつつ微笑んだ。今、ここに並んでいる中にも女子は多い。きっと学校にも香や愛瑠のような隠れたオタクがいるのだろう、それは確かだと思う。だから、今の友達が離れていっても新しい友達ができると信じられるのだ。
「さ、開場だぞ」
夕矢が前を見たままそう言えば、騒いでいた2人も顔を前に向けた。少しずつ前に進む列を見つつ、気合を入れた愛瑠につられた香と夕矢も意味不明な気合を入れるのだった。
*
「ん?」
コンビニからの帰り、家に入ろうとした茜が何気なしに見たのは夕矢の家の前に落ちていた1枚のちらしであった。いや、何やら雑誌の通販の注文書のようで、カラーのその紙がいやに目に入った結果だ。茜は夕矢の家の前に来ると無造作にその紙を拾い上げた。
「こ、こ、こ、これ・・・・なに?」
そこに描かれたイラストは、何故か上半身裸の美少年たちが抱きしめあっているものだ。しかも『愛している、もう離さない』などといった謳い文句まで記載されているではないか。
「あ、愛してるって・・・・男同士、だよね?」
イラストの男子に胸はない。かといって貧乳の女子には見えず、どう見ても男なのだ。
「ど、どういうの?ホモ、なの?」
衝撃的な何かが茜の中を駆け抜けた。気持ち悪い、でもなく、嫌悪感もでもない。興味、好奇心、そしてもっと知りたいという衝動だ。その時、勢いよく玄関のドアが開き、驚いた顔をした茜を見たのは夕矢の妹の明日那であった。ちらしを手にした茜を見て一瞬で顔を青くした明日那があわててそのちらしをひったくる。そんな明日那を呆然と見ていた茜は気まずそうにしている明日那を見て、それからずいっと近づいた。
「そのちらし、明日那の?」
何も言わず、頷く明日那。嘘をついても仕方がないと観念したのだろう。目に涙をためていく明日那を見つつも茜の目はちらしに注がれていた。
「それって・・・・」
「言わないで!誰にも!お母さんにも、兄貴にも!お願い!なんでもするからぁっ!」
泣きながら懇願する明日那を見て呆然としていた茜が顔を伏せた。そんな茜を見ることができず、明日那はぽろぽろと涙を流しつつぎゅっとちらしを抱きしめるようにするしかない。
「なんでも・・・するの?」
「・・・・・内緒に、してくれるなら」
「そっか」
「・・・うん」
この瞬間、明日那の脳裏を過ったのは見た目もいかつい男どもにレイプされる自分、それを笑顔で見つめる茜の絵。売春を強要されて泣き叫ぶ悲劇のヒロインそのものであった。
「聞かせて」
「・・・え?」
「そのちらしに描かれてる絵について、詳しく聞かせてっ!」
迫力を増して迫る茜の目に宿る炎、それはかつて自分がそれに目覚めた際に宿らせた炎と同じだった。それを悟ったせいか、明日那は涙を拭ってじっと茜を見つめる。
「知ったらもう引き返せない、それでもいい?」
「それでも知りたい」
「わかった・・・・・今日は夕方まで誰もいないし、中にどうぞ」
「ん」
悪い笑みを浮かべる明日那、それに同調する茜。この瞬間、同じ趣味と繋がりを得た同志の誕生であった。