素直な言葉、理由のない気持ち(2)
校門で偶然出会い、夕矢はこの日と決めた。ずっと抱えてきた茜への想い、それを今日、伝えるのだ。茜は可愛く、人気もあってよくモテる。それでも陽太の存在があるせいか、告白自体はそう多くはなかった。しかもそれら全てを断っている。夕矢の中ではある確信があった。茜は自分か陽太を好きでいる。おそらく陽太を好きなのだろうが、だからといって自分が候補に上がっていないとも思えない。ここまで家族のように接してきたし、何より家族に近い絆もあると思っている。時折感じる視線もどこか熱いような気もしていた。だから今日、告白をしようと思ったのだ。誰にも茜を渡したくない、そう、たとえ陽太であっても。夕矢はよく遊んだ近所の公園に茜を誘い、そこで告白をした。好きだと、ずっと好きだったと告げたのだ。だが答えはノーだった。ただの幼馴染、それ以上でも以下でもない、そう言われてしまった。ショックだった。ただの幼馴染以上の感情があると信じていた。だが夕矢は振られたのだ。その瞬間から全ての景色が歪んで見えた。顔を合わしたくなくても相手は隣に住んでいる。幸いにも夏休み直前だったこともあって顔を合わせないようには出来たものの、それでもやはり辛い日々が続いた。そんな夕矢を陽太が誘った。ゲームセンターで遊び、プールにも行った。茜のことを忘れてはしゃぐごと一週間、陽太が茜を連れて来た。気まずい空気の中、陽太は今までの関係に戻そうと提案してきた。それを拒否した夕矢であったが、この一週間で何度か茜とのことで話をしていたせいか、自分の中で気持ちの整理はつきつつあることは理解していた。そしてそれは茜も同じだった。陽太は2人の関係を元に戻そうと懸命になり、夕矢と遊びつつも茜と連絡を取っていろいろと話をしていたのだ。だから夕矢は意を決して夏休み最後の日に自ら行動を起こしたのだ。そんな陽太の努力も実り、少しずつだが会話をするようになった2人は秋が深まる頃には元通りの関係に戻っていた。そう、ずっとそういう関係でいい、そう思っていたはずなのに。
*
「あの日、あんたの告白を断ったのはね・・・本当にくだらないことが理由なんだ」
そう言い、茜は目を伏せる。ぽろぽろと零れ落ちる涙を見つつ、夕矢はそんな茜を見つめることしかできなかった。茜はぽつりぽつりと話を始めた。あの日、夏休みを目前にした暑い日の学校、その休み時間での会話が全ての発端だった。仲がいい女子たちといつも通りくだらない恋愛話に沸いていた。特に美少女である茜とイケメンの陽太との関係は話題に上がりやすく、今日もまたそのあたりを突っ込まれていた。いつものように軽くかわしていた茜だったが、不意に話題が夕矢の事へとシフトする。
「やっぱさぁ、小泉でしょ?どう考えても坂巻はないね」
「だね。小泉はテニスの王子様だし~」
「坂巻はオタク全開だし、まぁ、あんな風貌だし」
「そうそう、なんかキモい」
好き勝手に夕矢を小バカにする面々に苛立ちは募るものの、集団の意識からか愛想笑いしか返せなかった。好きな人のことを悪く言われても顔には出さない。茜にとってはそれは自然に出来る演技でもあったからだ。
「茜にしてもさぁ、坂巻と幼馴染なんてヤだよね?」
「んー、まぁ、ずっと一緒だから、イヤってほどでもないけど」
「でも付き合うなら小泉だよね?」
「そうだね」
「付き合っちゃいないよ!」
「でも陽ちゃんには幼馴染って感覚しかないんだよね」
「えー、もったいないなぁ・・・誰かに取られて泣いてもしらないよー?」
「そんときは坂巻でいいじゃん、とかって?」
「あー、それ最悪だよね、茜に失礼」
大笑いする面々を笑顔で見つつ、内心では嫌悪感を募らせていた。自分は夕矢が好きだ。夕矢は優しく、そして一緒にいて楽しい存在である。夕矢が全力を、本気を出さない本当の理由も理解している。だからこそ、本気になった夕矢が陽太にも劣らない能力を秘めていることを彼女たちは知らない。けれどそれをここで言って仲間はずれにされ、イジメにあうのは怖かった。
「茜としても、坂巻も幼馴染であって好きとかないよね?」
この質問が、後に茜の運命を大きく変えるものとなる。
「うん、まぁ、ただの幼馴染だよ」
この返事が運命の切り替えを行った。
「告られたらどうするぅ?思い切って付き合っちゃうとか?」
そしてこの質問が間違ったレールに茜を乗せた。
「断るよ・・・だって、夕矢はただの幼馴染だもん」
この言葉が行きたい方向とは正反対の方向へと自分を動かした。そして運悪くその日、夕矢から告白を受けてしまったのだ。どうして今なのか、どうして今日なのか、その運命を呪いつつもこれは罰なのだと悟る。自分の気持ちに嘘をついた罰、それを公言してしまった罪。葛藤し、どう返事をするかを迷った。だが、夕矢と付き合えば今日の自分の言葉は嘘になり、友達を失ってしまうだろう。かつてイジメられている生徒を見て怯えたこともあり、自分がそうなるのではないかという思いに潰されそうになる。好きなのに、嬉しいはずなのに、辛い。
「あんたは幼馴染だよ。それ以上でも以下でもない。あんたを好きという気持ちはない、ゴメンね?」
嘘をついた。今日2つめの嘘が自分の中で何かを壊した。それも決定的に。何故、あの時、あの教室で夕矢を好きな気持ちもあると言わなかったのか。何故、好きな気持ちではなく、友達を取ったのだろう。何故、嘘をついたのだろう。何故、自分の気持ちにすら嘘をついたのだろう。とぼとぼと帰る夕矢が視界から消え、茜は泣いた。自分は大事なものを失った。夕矢との関係、恋心、2人で歩く未来。つまらないプライド、つまらない嘘、つまらない気持ち、そんなもので大切なものを失ってしまった。自業自得だ。泣いて泣いて、泣き続けた。これからどんな顔をして夕矢に会えばいいのかもわからず、痛む心につける薬もない。幸いにもすぐに夏休みに入り、茜はひたすらに部活に打ち込んだ。それでも泣かない夜はなかった。そんな茜を訪ねてきたのは陽太だった。夕矢から振られたと聞かされ、茜が夕矢を好きだと思っていた陽太はその真意を聞きに来たのだ。だが茜は自分への戒めのためにそれを語らず、ただ泣くだけだった。陽太としても幼少の頃から茜を好きでいるため、そして親友以上の関係である夕矢のために2人の関係を修復しようと動き、2ヶ月掛かってこれを達成したのだった。その後、自分もまた振られると分かっていながらも気持ちの整理をするために告白をし、予定通り振られている。その際に夕矢を振った真相を聞かされて呆れつつ、それでもなんとか茜の本当の想いを夕矢に伝えるための手助けをしたいと頑張ってきたのだ。だからこそ、この真相を話すことを拒否していた。それを知れば夕矢は今度こそ茜に対して心底愛想をつかすだろうからだ。しかし茜はそれをした。香が夕矢を好きだと知り、そしてあの体育祭の時以来注目されてきている夕矢に対する危機感を覚えたからだ。ずっと罪悪感で封じ込めてきた想いがここに来て大きく前に出た結果だった。たとえどんな結果になろうとも、こうしない限り自分は前に進めない。夕矢が自分を好きになってくれるか、それとも軽蔑されるか。夕矢と恋人同士になれるか、それとも幻滅されて次の恋へ進むか。どちらにしろ、全てを吐き出さないと前には進めない、その想いが今日という日になったのだ。全ての話を聞いた夕矢は顔を伏せ、茜はそんな夕矢をじっと見つめていた。表情は強張り、涙は収まりつつもまだ流れている状態だ。長くて短い沈黙の中、深い深いため息をついた夕矢が頭を掻きながらブランコから降り、茜の前に立つ。怯えた目をした茜はそれでも涙を拭い、夕矢から目を逸らさなかった。
「これがあったから旅行を保留にしたわけな?」
その言葉に小さく頷いた。自分が告白をしたことで夕矢との関係が壊れてしまえば、夕矢が旅行に来ることを拒む可能性があった。だからこそ途中でキャンセルをすることになるかもしれない夕矢の評判を落とす前に保留としたのだった。
「ゴメン・・・・なさい・・・」
「謝る必要ねーって。まぁいろいろショックだし、ま、ムカつきもするけど、けど、ま、ホッとしたのもあるからさ」
頭を掻きつつそう言う夕矢の雰囲気は優しいものだった。普段と変わらぬ夕矢に少し落ち着きを取り戻した茜は再度涙を拭うと一歩夕矢に詰め寄った。
「ホッとしたって?」
「ああ、振られた理由がはっきりしたのと、やっぱ俺のことが好きだったんだなって」
「う・・・バレてた?」
「振られた際に陽太に言われたんだよ。多分他に理由があるはずだって。それに、まぁ、なんとなくだけど、当時は想いが通じ合ってる気はしてた。根拠はないけどさ」
そう言い、夕矢は微笑んだ。茜は夕焼けのせいではない赤さを顔に出し、視線を逸らす。それは今までの茜にはない実に女の子らしい仕草だった。
「そっか・・・」
「だから尚のことショックだったんだよな。陽太からはずっと相思相愛だろうって言われてたし」
「よ、陽ちゃんが?」
「あいつが茜を好きなのは分かってたし、そういう話もしてた。お互いにライバルだってな・・・でも、あいつはずっと言ってた。茜が好きなのは俺だって。証拠もあるってな」
「しょ、証拠って?」
「お前が陽太を呼ぶときは陽ちゃんで、俺を呼ぶときは呼び捨て。それは陽太を幼馴染、俺を男として見ている証拠だって。ま、よくわからんけど。それに、俺に本気を出せってうるさいのもそうだろうって」
「う・・・・・ま、そうなんだけど・・・・・筒抜けって恥ずかしい」
「だから、まぁ、振られた真相を知って複雑だよ」
苦笑した夕矢の雰囲気は柔らかいままだった。もっと本気で怒鳴られ、罵られると思っていた茜にとってこれは嬉しい誤算だった。
「あ、あのさ・・・・私たちってさ・・・・そのぉ・・・」
「あー、付き合えないぞ」
「う・・・・だよね」
そのままの雰囲気の中で確認をするが、やはりこればかりはどうしようもない。くだらない理由で夕矢を傷つけたのだ、これで今更付き合おうなどとはおこがましい。
「俺はもうお前のことをただの幼馴染としか見てない」
「う、うん・・・そうだね」
昨夜からこれに関してどんな結果でも受け止める決意はしていた。絶対に報われないともわかっていた。それでも一縷の望みに駆けたのだが、やはり上手くはいかないものだ。俯く茜の瞳にまた涙が溜まる。出来ることなら2年前に戻り、素直になれと自分を蹴飛ばしたいほどに後悔をしていた。
「今の俺の気持ちとしちゃぁ、お前よりも瀬川なんかに寄ってる感じがしている」
「やっぱ、そうだよね」
その言葉に夕矢の片眉が上がるが、そのまま続けて言葉を発した。
「でも、まだ好きとかそういう感情じゃないよ」
「え?そうなの?」
「なんか勘違いしてんだろうけど、ま、いい」
ここ最近、香と一緒にいることが多いせいで誤解されていると思う夕矢だが、だからといってその理由は話せない。香の許可もないし、何より彼女は秘密の暴露を恐れているからだ。実際に香が自分を好きでいることなど露ほども思わない夕矢だけに、そこは軽く流した。
「お前にとっちゃマイナスのスタートになるけど、それでもいいなら今のままでいい」
「って、どういうこと?」
「俺がお前を好きになる可能性はほぼないけど、それでもいいならアタックしてこいってこと」
その言葉を聞いた数秒後、茜の表情が明るくなる。邪険にされるか絶縁されると思っていただけに、今の夕矢の言葉は何よりも嬉しく、そして励みになった。まだ自分は夕矢を好きでいてもいいのだから。思わず自分に抱きついてきてしまった茜にため息しか出ず、今回だけは大目に見ようと思う夕矢はさるがままにしている。しばらくして離れた茜が笑顔を見せるが、夕矢は困った顔をするしかない。
「あのな、こういうのは例えば瀬川とか、他の候補が出た時に失礼だから今後は禁止な」
「えっと・・・・なんで?」
「お前だけ有利じゃねーか!」
「だって私のアドバンテージなんて幼馴染っていうポジションだけだし、こういうのはなんか日常茶飯事だしさ、いいでしょ?」
「あのな、日常的に抱きつかれた覚えはないんだが?」
「う・・・」
「ってかさ、お前、そういうことしたかったんだ?」
「う、うん、まぁ、ね」
何故か素直にそう答えてしまう。今までの茜にはない言動にため息しか出なかった。愛瑠とはまた違ったツンデレな要素が茜にあったとは驚きだ。
「とにかく、そういうのは禁止」
「わかった」
「俺の部屋に来るのはいいし、漫画とかもいい。ただし泊まりは禁止」
「えぇ~っ!」
「当たり前だろ?万が一のことがあったらどうすんの?」
「ま、万が一って?」
顔を赤くしている時点で意味がわかっているはずだ。しかしこういう茜に慣れないせいか、夕矢はどうにも調子が狂う自分に戸惑っていた。
「セックスだよ」
「う・・・そんな、ストレートに・・・・」
徐々に声が小さくなる茜が俯くが、こうでもはっきり言わないとダメだとも思う夕矢は小さくため息をつく。
「幼馴染として今までどおりの行動は許すけど、それを利用した性的なことは一切禁止」
「・・・・あんた、我慢できんの?」
「ああ、お前のそのちっさい胸で欲情などぉっ!」
一瞬で拳が腹部にめり込み、両膝をつく。酷い痛みを感じるがこれこそが茜だと嬉しくもあった。涙目で見上げれば、腕組みをしてじとっと見下ろす茜の顔があり、それこそが夕矢が良く知る茜の顔だった。のっそりと立ち上がった夕矢は口の端を吊り上げた。
「ようやっと茜らしさが戻ったな」
その言葉にハッとなった茜の表情が変化した。恥ずかしそうにしながらツンと澄ました感じに。
「さ、帰ろうぜ」
「うん」
「手とか繋がないからな」
「分かってる」
口を尖らしてそう言う茜が新鮮でどこか可愛いと思う。だからといって一度失った恋愛感情が戻るはずもなく、振られた本当の理由もあって心が動くこともなかった。
「私、頑張る」
「ああ」
そうとだけ言い、公園を後にした。恋愛という面では離れてしまった心だが、幼馴染としてはより近づいたと思う。だからこそ複雑な心境の茜だったが、スタートラインに立てたことは素直に嬉しい。既にスタートを切っている香たちにどこまで追いつけるかわからないが、自分は今まで通りに夕矢に接しようと思う。そして夕矢もまた複雑な心境に陥っていた。確かに茜に関して恋愛感情はもうない、はずだ。だがそれでもずっと好きだった人だけに心が揺れているのもまた事実だ。今まで通り茜と部屋に二人っきりとなった場合、意識しないでいられる自信もない。前途多難だと思いながらも今まで通り自然でいようと誓い、沈み行く夕日に目を細めるのだった。