わずかな差、大きな違い(5)
相変わらずの人の多さだが、それでもこの前に茜と来た時より少し多い程度に思えた。前回持ってきたパラソルを立て、敷物を敷いてそこに荷物を置く。敷物は各々が持ってきたために3つあり、広さは確保されているものの、パラソルが作る影はその半分にも満たない部分しかなかった。貴重品は海の家に預け、わずかな小銭だけを身近に置いている。今日もまた絶好の海水浴日和だと思う夕矢が沖に浮かぶブイを眺めていると、砂を踏みしめる足音を聞いて体ごとそちらを向けた。思わず感嘆の息が漏れたのは茜の水着姿を見たときとは明らかに違う反応だった。そう、茜にはない大きな胸、それだけで夕矢には新鮮だったからだ。ピンクを基調とした可愛いビキニ姿の香は小柄で巨乳というアンバランスさが際立っており、反則めいた可愛い印象を与えていた。顔も可愛いし、何より胸を隠すようにして恥ずかしそうにしているその姿がそそる。その香の横に立っている愛瑠は赤を基調としたこちらもビキニだ。下が少しハイレグじみているものの、形の良いバストと意外なほどくびれた腰がスタイルのよさを引き立てていた。思わず見入ってしまい、言葉もない夕矢に香が腰に手を当てて少し鋭い目を向けた。
「何にか感想とかないわけ?」
「あ、うん・・・・2人ともすごく似合ってて、んでぼーっとしちまった」
素直な感想に照れまくる愛瑠とは違い、香は腕組みをして疑いの目を向ける。だがその顔は少し赤い。やはり嬉しいようだ。
「愛ちゃん、赤が似合うって店員さんに言われたんだけど、どうかな?」
セクシーポーズを取りつつそう言う愛瑠に頷き、似合ってると言う。いつもならここでお決まりの台詞にお決まりの回転があるはずだが今はなかった。似合っていると言われて嬉しさのあまり固まっているようだ。
「よし、じゃぁ、行くか!」
そんな愛瑠に苦笑しつつ夕矢がそう叫ぶとビーチボールを片手に海へと駆け出す。後を追う愛瑠を見つめつつ来てよかったと思う香もまた熱い砂を踏みしめつつ波打ち際へと向かうのだった。
*
ひとしきり騒いで泳いで疲れた3人が浜辺に戻る。夕矢が代表して昼ごはんを買いに行き、香と愛瑠が飲み物を買いに自販機へと向かった。距離的に自販機の方が近いために海の家へと向かう夕矢を見つつ小銭を投入していく。遠巻きに見ている男たちの注目を集める2人だったが、ナンパはされていない。やはり夕矢の存在が大きいようで、たまに鋭い目つきで威嚇するように周囲の男たちを牽制していたのは気づいていた。風貌が不良なので寄って来られないのだろう。
「今度はさ、私も一緒に連れてってよ、聖地に!」
ジュースを取り出しながらそう言う愛瑠にそうだねと返事をした香は今日、愛瑠に伝えておくべきことがあった。それは夕矢のこと。愛瑠は気づいていないと思っているのかもしれないが、愛瑠の夕矢への想いは香や夕矢本人にバレバレである。歪んでいながらもまっすぐな愛瑠の愛情表現は香にとっては羨ましい限りだった。自分もあんな風にできたらと思う反面、あんな風に叫んでくるくる回ることはできないと思う。それでもストレートな表現は尊敬できた。
「あのさ」
「ん?」
3つ目のジュースを取り出した愛瑠が冷たいジュースのペットボトルを抱えるようにして持つ。その1つを受け取りながら、香は言葉の続きを口にした。
「私もさ・・・夕矢が好き、なんだよね」
「そうなんだ」
愛瑠はあっさりとそう言うとパラソルの方へと歩き出した。香は愛瑠が怒ってしまったのではないかとあわてて後を追い、隣に並んだが愛瑠は平然としたまま表情にも雰囲気にも変化がなかった。
「ご、ごめんね?あいるんの気持ち、知ってるのに」
「あー、やっぱかおりんにはバレバレかぁ・・・でも、かおりんが好きになってるの、なんとなくわかってたし、それに、んー・・・・かおりんならいいライバルになれそうだしね」
笑ってそう言う愛瑠の言葉にいろいろ驚かされる。あれだけの表現をしつつ自分にしかバレていない、夕矢には伝わっていないと思っているところ。そして、自分の感情が愛瑠にバレているところ。香は持っていたペットボトルを落としそうになりながらも愛瑠の横に並んだ。
「わかってたって・・・・わかるものなの?」
「そりゃ、同じ人を好きになってるからね」
「そ、そっか・・・」
「でも、かおりんは抜け駆けしないじゃん。聖地へ行く時もちゃんと誘ってくれたし、2人で行ってもいいか確認してきたしさ。だから、気にはなるけど腹は立たないよ」
そう言って笑う愛瑠に感謝の言葉も出てこない。愛瑠は自分にまっすぐなのだ。ツンデレでややこしいのはそんな自分をなんとか隠そうとした結果なのだろう。学校での毅然とした自分と恋愛にデレデレになっている自分を分けつつも、夕矢の前ではその境界線が曖昧になっているのだ。それを理解した香はそっと愛瑠の腕に自分の腕を絡ませた。
「あいるんと友達になれてよかった。あいるんがライバルでよかった」
目に涙を浮かべた香に驚きつつも微笑を浮かべた。
「私もだよ」
オタク仲間で同じ人を好きになったライバルだ。けれどそこに深い繋がりがある。
「お互いに頑張ろうよ」
「そうだね」
「決めるのは夕くんだしね」
「うん」
抜け駆けなどいらない。ただ好きだという気持ちを持って夕矢に接するだけ、告白するときはまずお互いに告げてから、そんな風に心の中で思う2人が微笑みあい、夏の風が優しくそんな2人を包み込むのだった。
*
キラキラと輝く水面を見つめていた。この間、茜と見た景色と同じはずなのにどこか違って見えるから不思議だ。あれだけ好きだった想いも、もう欠片も残っていない。告白して、振られ、そして落ち込んだ。もうどんな顔をして会えばいいかわからず、好きになった相手が隣に住んでいることすら呪っていた。引きこもりがちになった自分を支えてくれたのは親友であり幼馴染でもある陽太だ。その陽太を介して3人で遊ぶようになり、いつしかギクシャクした関係も元の幼馴染に戻っていったのだ。陽太が茜を好きなのは知っていた。そう、お互いに知りつつも黙っている関係だった。選ぶのは茜であり、どっちを選ぼうが恨みっこなし、それが暗黙の了解だったのだ。そして先に夕矢が告白をした。結果は振られ、夕矢は激しく落ち込んだ。何故か茜も元気なかったが、当時の夕矢にそんな余裕などない。そんな2人を励まし、幼馴染の関係に戻るまで修復してくれた陽太もまたその年の冬に告白をして振られている。直後に公園でブランコに乗りながら2人とも振られるという異様な事実について語り合ったものだ。だが、陽太は振られながらも茜から夕矢を振った本当の理由を聞いていた。だからこそ、陽太は3人を繋ぎとめる役割を買って出たのだ。せめて今まで通りに、そして茜の幸せを願いつつ。そんな陽太の想いなど知らない夕矢にすれば、いろいろ世話を焼いてくれるその存在こそ宝だと思う。陽太がいなければ3人が3人ともバラバラになっていただろうから。
「うりゃ!」
ぼんやりしていた夕矢の背中に飛び乗ったのは愛瑠だ。背中に当たる感触が気になるが、勢い良すぎたためにつんのめりながら数歩前に進む。
「びっくるするじゃん!」
「ぼーとしてるから!このまま海へ突撃ぃ!」
「あいよ!」
夕矢は愛瑠が落ちないようにがっちりと背負い、両手をおしりに置いた。
「あう・・・愛ちゃん、超恥ずかしい・・・・」
走る夕矢はそんなことには気づいていないが、愛瑠は恥ずかしさと嬉しさでニヤけた顔つきになっている。愛瑠をおぶったまま水の中に入った2人がはしゃぐ中、走ってきた香を目にした夕矢が横に体をスライドさせる。大きく揺れる胸をそのままに、香が愛瑠にダイブをして水しぶきを巻き上げた。きゃっきゃとはしゃぐ2人を見ていた夕矢に目標を定めたせいか、夕矢は2人からの攻撃を受けて沖へと逃げる。追ってくる2人と戯れる自分を楽しいと思う夕矢は陽太や茜と一緒にいるより楽しいのかもしれないと思い始めるのだった。
*
制服姿にバッグとラケットを持った陽太が庭先に立つ。今日も暑く、そして明日からの3日間もまた暑いと思えるそんな天気だった。いよいよ全国大会の初戦を明日に控え、会場のある大阪へと移動する日がやってきたのだ。このまま学校に集合し、バスと電車、そして新幹線を乗り継いでの移動になっていた。応援に行く両親もまたお盆休みの後だというのに有給休暇を取得している。息子の晴れ姿を見るためであり、会社も快諾しての遠征だ。
「頑張ってね」
茜の母親である翔華の言葉に頷きつつ、陽太は笑顔でお守りを差し出す茜に笑みを見せた。
「いっぱいもらってるだろうけど、一応ね」
「ありがとう、頑張れるよ」
「優勝したら、美味しいもの奢るからね」
「だったら優勝しないとね」
そう言い、笑いあう。会場が遠い上に部活もあって応援には行けないが、毎日電話することを約束している茜が右手を差し出した。陽太はその右手をがっちりと握って笑みを濃くする。そうして手を離し、ズボンのポケットに手を入れている夕矢へと顔を向けた。
「ま、頑張ってこいや」
「ああ」
ここにいる全員が夕矢の性格を知っているため、その言い方に何も感じない。不器用な激励、そうとしか思えなかった。
「優勝しろよ?」
「当たり前」
「自慢の幼馴染なんだからな」
「ああ」
そう言い合って右手の拳をぶつけ合う。夕矢としても陽太の勝利を信じて疑わない。陽太は最後に夕矢の背中をポンポンと叩いた。
「陽ちゃん、ファイトだよ!頑張ってね!」
「ありがとう、明日那ちゃん」
「アレ、ちゃんと持ってくれた?」
「もちろん」
そう言い、担いだバッグをぽんと叩く。そこに入っているものもやはりお守りだった。それを見た明日那は満足そうに頷くと陽太に抱きついてギュッと力をこめた。
「勝利の女神の抱擁」
「ありがとう」
苦笑気味にそう言い、離れる。陽太にとっての本当の勝利の女神が誰なのかを知っている夕矢と茜は顔を見合わせて微笑みあう。陽太は父親の運転する車に乗り込み、みんなに手を振りながら出陣していった。決勝まで行けば帰ってくるのは4日後になる。見えなくなった車に興味がない夕矢がさっさと家に戻る中、茜と明日那が世間話をしていた。そんな様子を見やる翔華は眩しい夏の太陽を見上げるようにしつつ陽太の勝利を祈るのだった。
*
『やっぱダメだよねぇ』
「そりゃぁな」
『んー・・・でもせっかくだし、って思ったんだけどさ』
「姫季と2人ですりゃいいじゃん」
『夕矢もいた方が面白いと思うし』
「そう言ってくれるのはありがたいけどな」
椅子に体重をかけつつそう言う夕矢の顔は優しい笑みを浮かべていた。さっきかかって来た香からの電話の内容は夏休みに1晩だけ誰かの家に集まって深夜アニメを一挙に見ようという提案だった。つい先日に夕矢が学校のオタク仲間とそれをしたことを知った香と愛瑠が自分たちもしたいと言い始めたのだ。しかし男ばかりのオタク仲間でならまだしも、女子2人が混ざったメンバーで集まることは難しすぎるだろう。夕矢の家ならばどうにかOKも出そうだが、隣が茜の家となるとそれもNGになる。香の秘密を守るためには仕方がないのだ。かといって女子2人のどちらかの家に行くわけにも行かないだろう。遊びに行くぐらいなら問題ないだろうが、泊まりとなるとそうもいかない。
『・・・・・なんとかする』
「なんとかって?」
『また連絡するから、じゃ、おやすみ』
「お、おう・・・おやすみ」
一方的な感じで切られてしまったが、何か嫌な予感がする。大抵こういう予感は当たるものだと思う夕矢は椅子から立ち上がると窓にカーテンを閉めた。漠然とした不安の中、何か大きな嵐が近づいている、そんな予感が大きくなっていくのを感じつつもそれを楽しみにしている自分もまた確実にいるのだった。