わずかな差、大きな違い(3)
待ち合わせの場所に約束の15分前に着いたというのに、そこにはもう香がいた。珍しくワンピースの可愛い格好だ。小柄なために小学生のように見えるが、やはり自己主張の激しいその胸のせいか、周囲の注目を浴びていた。決して童顔ではないのにかなり年下に見えてしまうのは何故だろう。
「あー、早いな」
「遅いよ・・・・もう5人にナンパされたしぃ」
泣きそうな顔でそう言われるが、夕矢は約束の時間よりも早く来ている。苦笑しつつも香の手を引っ張って歩き出した夕矢は照れる香を無視している。周りで香を見ている男たちに自分が彼氏であると見せるためにそうしたのだ。そうして駅の改札まで来たところで手を離した。
「あ、ありがと」
夕矢の意図はわかっていたため、どこか恥ずかしそうな香が小さな声でそう言った。夕矢はそんな香に笑みを見せ、目的地までの切符を買う。昨日のラインは遠方にあるオタクの店が多く並ぶ街に行きたいとの内容だったのだ。急な話だったがそれを快諾し、今に至っている。そうして電車に乗り、行きたい店があると目を輝かせる香に夕矢もまた自然と笑顔になった。夕矢は何度かその街に行っているし、香の欲しいものが売っているであろう店も目星がついていた。電車に揺られて2時間はかかるが、それでも楽しいものがあった。
「あいるんは今日から田舎なんだって。すっごく残念がってたよ」
「そっか。まぁ、また行けばいいしな」
「でも、いろいろ頼まれてるんだよね」
そう言うと肩から斜めに掛けたバッグから手帳を取り出してそれを夕矢に見せる。女の子の手帳を見るという自分がどこか恥ずかしいが、それを手に取った。
「一発クジのA賞?ってこれ俺宛かよ」
「当たり!頑張ってね」
「へーへー」
疲れたようにそう言い、手帳を返す。他のページには全く興味を示さなかった夕矢の行動は香の中でかなりのプラス要素になっていた。そんな風に微笑む香を見て素直に可愛いと思う。夕矢は香とわいわい言いながら楽しんでいる自分に気づいていた。香と一緒だと楽しい、そう思えているのだ。
「でさ、この間カルフェスで買ったフィギュアが思ったよりもいい出来で、も~う超可愛いの!」
オタク趣味を知る前の香にはない口調で嬉々としてそう言う姿が新鮮だ。しっかり者というイメージしかなかったが、ここ最近でそういう見方は変化してしまっていた。自分と馬が合う、そうとしか思えないほどに。そんな話を弾ませていると電車が急カーブで大きく揺れる。その瞬間、香の胸が夕矢の腕に当たって形を変えた。思わず赤面する香だが、反対の腕で支えてくれている夕矢に気づいて別の意味の赤面に変化させる。
「スピード出すぎだな」
そう言って笑う夕矢に照れも何もない。それがどこか寂しく感じるが、嬉しくも思う。こういう面も好きになった要因だった。やがて電車が終点に到着する。ここが目当ての場所であるために改札を出て地上に出た。夏休みのせいか、平日なのに人でいっぱいだ。地下にいたせいか、外はやっぱり暑かった。
「こんなに人、多いんだ」
「今日はやけに多いな・・・どっかで何かのイベントでもやってんのかな?」
そう言い、ビル街へと目を向ける。電機店が多いが、それ以上にオタクの店が多いのがこの街だ。オタクの聖地、そう呼ぶ者もいる中、たしかにそれっぽい服装をした者や、コスプレをしている女性も多く見られた。
「ふぇぇ、すごいね」
小柄なせいか行き交う人々の隙間からその様子を伺う香に苦笑する。
「ほら、行くぞ」
そう言い、夕矢が右手を差し出した。
「うん」
それを握る香。自然と握った手が熱いのは暑さのせいだろうか。少し顔を赤くしながらも夕矢にくっ付くようにして歩いた。周囲から見ればカップルになるのかなと思い、さらに赤面する香なのだった。
*
今日は午前中で部活も終わり、その内容もお盆明けの全国大会へ向けての最後の調整の時期に入っていた。来週にはお盆休みとなり、それが明ければすぐに全国大会となっているのだ。制服は既に汗だくで、ラケットをぶら下げた鞄を担ぐ肩にも汗が溜まっている。こう毎日暑いとバテてしまいそうだと思う陽太が家の前まで来た時だった。
「おかえり」
急にどこからか声を掛けられて体がビクッとなる。きょろきょろしてみれば、自分の家の自転車置き場にあるその自転車に腰掛けた茜がそこにいた。苦笑し、ただいまと言った陽太が茜の沈んだ顔を見て肩をすくめてみせる。
「おいで」
「・・・うん」
沈んだ顔に沈んだ声、そしてフラフラした様子からしてまた何かあったなと思う反面、理由を聞きたくないような気がするのも仕方のないことだった。とりあえず茜を家に入れ、それから陽太も入る。陽太は茜に部屋に待つように告げてからシャワーを浴びに向かった。そのシャワーもさっとだけ浴び、今度はキッチンへと向かう。両親が仕事でいないためにカップラーメンを用意し、飲み物を2人分準備して2階へと上がる。ベッドに正座する茜を見て噴き出しそうになるものの、またやっかいな話になりそうだとげんなりしている自分もいた。とりあえずトレイを机の上に置いてお茶を差し出してもそれを受け取ろうとはしない。仕方なくそれを机の上に置くと茜の了解を取ってカップラーメンをすすった。
「で、何があったの?」
箸を持ったままお茶を飲み、そう尋ねた陽太は正座をしたままゆっくりと顔を上げた茜の顔を見て疲れた表情になる。死にそうなほど思いつめた顔がそこにあったからだ。
「どうしたのさ?」
さっきよりも優しい口調になってからラーメンを食べる。
「今日、夕矢と香が一緒に出かけた」
「まぁ、あるだろうね」
香と夕矢の趣味のことを知る陽太はそれ絡みだろうと思うが、それを知らない茜にしてみれば複雑なのだろう。
「ラインもしてたし、しょっちゅうやりとりしてる感じ」
「まぁ、それもあるだろうさ」
そうとしか言えず、今はラーメンを食べることに集中した。そうして食べ終わり、お茶を飲んでいると正座のまま机の近くまで来た茜がうるうるした目を陽太に向けてきた。
「やっぱデートなのかなぁ?」
「・・・・・デート、かどうかわかんないけど・・・でも、まぁ、近いものかもね」
「だよねぇ・・・」
「茜も2人で海に行ったんだろ?」
「そうだけどさぁ」
膝の上に置いた拳をギュッと握る。陽太はため息をつくともう一度お茶を飲んで一息入れた。ここ最近の茜の情緒不安定さが増していることが気になるが、かといって自分がどうこう出来る立場でもない。
「もうさ、全部話して好きだと言ったら?」
「んえ?だってぇ・・・・そんなの無理だよぉぅ」
泣きそうな声でそう言うが、それしか方法はない。いっそのこと完膚なきまでに夕矢に振られればこの症状も治まるだろうと思う。そう、陽太の中では茜と夕矢が結ばれる可能性はゼロになっているのだった。それも仕方のないことだし、自分が夕矢の立場なら確実に振るだろう。そしてそれは茜も理解している。だからこそこういう状態になっているのだから。
「でも、それしかないだろ?」
「・・・・いっそ無理矢理襲っちゃうとか?」
「拒否られて終わるし、人間的に軽蔑されるだろうな」
「気絶させて・・・んで、逃げられないようにするとか?赤ちゃん出来たら逃げられないよね?」
「・・・・今の茜ならマジでやりそうで怖いよ」
さすがに冗談とは思うが目が怖い。もう病んでいるとしか思えなかった。
「でもさ、こうなることは分かってたわけでしょ?2年前に振った時点でさぁ」
「だから・・・・それは・・・」
「もうさ、覚悟した方がいい。夕矢と瀬川の結婚式に出て、友人代表でスピーチしている自分を想像してみ?」
その言葉を聞いた瞬間、茜の頭の中に浮かぶタキシードを着た夕矢とウェディングドレスを着た香が見つめあい、誓いのキスをしている場面。
「うぉぉぉぉぉ・・・・・見たくないぃぃぃぃ・・・・祝福なんか無理だぁぁぁ・・・呪いたいぃぃっ!」
「最後の言葉は問題あるけど、とにかくそういう未来が濃厚なわけ。夕矢の相手が瀬川かどうかはわからんけども、そういう可能性が大きいな」
そう言いながら頭を抱えてベッドの上で悶絶する茜を見て深いため息をついた。恋愛面でいろんな相談を受けてきたが、毎度毎度めんどくさい。特にここ最近はかなり、である。
「じゃぁ・・・・陽ちゃんのお嫁さんになる」
「・・・・・なんでそうなる?」
のた打ち回った挙句の言葉がそれだ。現実逃避に走った茜に対してはため息しか出なくなってくる。もう部活の疲れは嘘のように感じず、今は茜の言動で疲労困憊だった。
「真実を告げて、それから夕矢の出方を見るしかない」
「う・・・」
「その先に結婚式でスピーチする未来が待つか、逆にスピーチしてもらえる未来が待つか、だな」
「香との結婚なんて祝福出来るわけないよぉぉ」
「相手を限定しすぎだって」
香の存在が茜の中にあった夕矢への想いを間違った方向に暴走させているとしか思えない。この暴走を止める方法は2つだ。1つは茜が2年前の告白を断った真実と共にもう一度ちゃんと自分の気持ちを伝えること。それで夕矢がどう出ようとも、である。そしてもう1つが香と夕矢がくっつくこと。いや、別に愛瑠とでもいい、とにかく夕矢に彼女が出来れば諦めるしかないのだから。しかし目の前の暴走を見せられてはそれも怪しく思えてしまう。今の茜は2人の仲を引き裂く恐ろしい行動に出そうな気もしている。男勝りで勝気な茜も恋愛に関してはまったくダメな人間なのだ。
「まぁ、どうするか決めて、んで行動するしかないね」
ベッドの上で暴れ悶える茜を見つつお茶を飲む陽太はもうため息も出ない状態になるのだった。
*
目当ての品物もゲットし、そして愛瑠のリクエストである2種類の一発クジのA賞もなんとか確保できていた。とりあえず暑さと人の多さで疲れた2人はカフェに入って涼みながら、この後でどの店に行くかを検討していた。アイスコーヒーを飲みつつ周囲を見れば、カップルが多いことがわかる。夕矢はそんなカップルを見ながら自分たちもそう見えるのだろうなとぼんやりと考えていた。
「今度はあいるんとも来ないとね」
「そうだな」
カルフェスをきっかけにして香と愛瑠の仲はかなり良くなっていた。しょっちゅう電話をし、ラインも頻繁にしている。情報交換だけでなく学校での愚痴なども言い合う仲になっていたのだ。
「でも、突然でゴメンね?」
昨日のラインのことを言っているのだろう。突然、部活が休みになったこともあっての提案だった。だが夕矢は微笑み、気にするなと言ってコーヒーを飲む。自分としても夏休みの間にここに来る予定にしていただけに前倒しになっただけの話だった。そう言えば香は少しはにかんだ笑顔になる。それに思わずドキッとした夕矢は、やはり香は可愛いと思うのだった。
「茜と海に行ったんでしょ?」
突然変わった話題だが、焦る要素もなく頷く。今日、待ち合わせ場所に来た夕矢はカルフェスの時よりも焼けて黒くなっていた。それは茜と海に行ったせいだとわかっていたが、今まで口にできなかったのだ。どこか複雑で、少し嫉妬していたのもある。茜とは親友だが、最近は少しその関係もズレつつあるのを感じていた。
「暑かったよ。焼けに焼けて帰って風呂に入ったら死にそうになった」
その言葉にクスクスと笑う香。夕矢は茜と2人で行っても何もなかった、そう思える言葉と態度が嬉しくもあったのだ。
「じゃぁ、今度は私とも行って欲しいな」
その提案は意外だったのか、夕矢が目を丸くする。それを見た香はあわててみせるが、夕矢はにんまりと微笑を返してきた。
「いいぜ」
「ほ、ホント?」
「ああ」
「そ、そっか・・・じゃ、じゃぁ、あいるんも一緒に、ね?」
「だな」
本当は2人で行きたいと思うが、きっと変に意識してしまうのは間違いない。こういった趣味関係の場所だと意識するよりも先にオタクの品々に目が行くためにそれも薄まるのだ。しかし海となるとお互いに水着になるし、意識しない方が嘘になる。ならば、愛瑠も一緒の方がいいだろうし、何より抜け駆けはしたくもなかった。自分よりも先に夕矢を好きになった愛瑠に対する礼儀、そういう風に自分に言い聞かせる香だった。