秘めた想い、共有する心(2)
1教科目のテストが終わり、一瞬教室内の空気が緩んだ。だがすぐに次のテストへ向けて教科書やノートを広げる生徒が多いせいか、その空気は緩んでいながらもどこか緊張が走っている。
「感触は?」
「完璧!80点は固い、かな?」
陽太の質問にそう答えた茜の言葉には自信が溢れていた。陽太は微笑み、ノートを見つめる茜を見下ろすようにしている。
「陽ちゃんなら90点は固いでしょ?」
「だといいけどね」
「そう言っていつも90点台だもん」
茜は陽太を見上げつつそう微笑む。陽太その顔を見て可愛いと思う反面、どこかやるせない気持ちになるのは何故か。
「必死に勉強して90点だ、楽して80点取れるやつが羨ましい」
誰に対しての言葉かわかる茜は笑みを消して困ったような顔をする。そんな茜に小さく微笑むと陽太は窓の外へと顔を向けた。暑い夏空がそこにある。
「歯がゆいよね・・・・それに腹が立つ」
自分の心情を察した茜の言葉に苦笑し、陽太はそのまま自席に戻っていった。茜はそんな陽太の後ろ姿を見つつため息をつき、肘をついて手を顎に乗せる。歯がゆい、確かにそうだ。努力をしないで80点を取れるのに、何故努力してもっと上を目指そうとしないのだろうか。小さい頃のあいつはそんなことなかったのに、と思う。
「いつからだろ・・・」
茜はぽつりとそう呟き、あからさまな大きいため息をつくのだった。
*
今日は3科目だけのテストで終わり、下校となる。手ごたえなど感じない夕矢は大きく背伸びをし、それから鞄を机の上に置いた。隣では香が鞄を担いでで帰る準備万端となっていた。
「可も無く不可もなくって感じ?」
「まぁ、んな感じ」
香にそう言い、夕矢もまた鞄を担いだ。
「あのさ・・・・」
おそらく帰る準備をしているであろう陽太と茜が気になっていた夕矢が動きかけた足を止めた。
「どした?」
「再来週から夏休みでしょ?」
「だな」
「んで・・・さ」
歯切れの悪い香を珍しいと思う夕矢が一旦鞄を机の上に置いた。香は少し顔を伏せがちにして周囲の様子を伺っている。いつもはきはきしている香のこの態度に戸惑いつつ、夕矢は何も言わずに香の言葉の続きを待った。すると香は夕矢に触れそうなほどに近づくと頑張って背伸びをする。だが悲しいかな夕矢の耳に口元を寄せることはできなかった。150センチ無い香が177センチの夕矢に耳打ちするのはかなり無理がある。夕矢は苦笑しつつ少し身を屈めてやった。
「実はさ・・・・・・・・」
そこで周囲の目に気づく。誰がどう見ても今の状況は夕矢の頬にキスをしようとする香、または告白をしようとしている香にしか見えないからだ。香は耳まで真っ赤にしたが、夕矢は平然としたまま周囲を見渡す。普段から鋭い目つきのせいか、周囲は一斉に2人から視線を外した。ただ雰囲気でわかる。かなり気になっているということが。
「ちょっと来い」
夕矢は赤面したままの香の手を引き教室を出た。その際にちゃんと2人分の鞄を持っているのが夕矢らしいと思う香だった。そうして廊下を曲がり、誰もいない科目棟に来ると理科実験室の前で立ち止まる。
「で、なんなんだ?夏休みにどっか連れてけってか?」
腕組みする夕矢に小さく頷く香は誰もいないかを確認し、それからピタリと夕矢に寄り添うようにしてみせた。
「あのさ・・・イベント、あるじゃん?」
人がいない中でも小声になる。
「イベントって?」
「ワンダーカルチャーフェスティバル」
「んお?カルフェス?瀬川の口からカルフェスとは・・・」
イベントと聞いて毎年茜たちと行っている花火大会かと思ったが、まさかワンダーカルチャーフェスティバルとは予想外すぎた。
「お前知ってるのか?カルフェスってさ、いわばオタクの・・・・」
「わかってる!私、あんたと一緒で・・・・そっち系、だから、さ」
俯く香の言葉に目が点になった。知り合ってまだ3ヶ月程度だが、香にそんな趣味があるとは知らなかったからだ。夕矢は既にかなりのオタクであることを公言している。アニメにゲーム、特撮までジャンルは幅広く、それでいてかなり詳しいほどに。陽太がテニスに、茜が陸上に打ち込む中で夕矢が夢中になったのがそれだった。今では部屋にゲームやそれ系の本、CD、そしてフィギュアが所狭しと並んでいる。既にそういった友達も多い中、香のそのカミングアウトは夕矢の中でもかなりの衝撃になっていた。陸上部の長距離選手としてかなり有望な香がオタクだったとは。
「坂巻、行くよね?」
「ああ。そのために金貯めたからな」
「クジで当てたフィギュアをオークションに出して?」
「よく知ってるなぁ・・・ま、俺のハンズ・オブ・グローリーの能力を如何なく発揮した結果だ」
「・・・・まさに中二病」
中二病とは中学2年生の時期に自意識過剰やコンプレックスから発する一部の言動傾向を揶揄した俗語だ。ようするに痛い子供、といったところか。そういう言葉を知っている時点で香のオタク度が本物だとわかった。
「で、お前の趣味について詳しく聞きたいけど・・・今日は無理だしなぁ」
「週末さ、部活が休みなんだ、だから・・・」
「いいぜ。あとな、カルフェスの件もOKだ」
にんまり笑ってそう言う夕矢に微笑む香が可愛く見える。実際に香もかなり可愛い部類に入る女子だ。夕矢が知っているだけで5人から告白を受けているほどに。そんな香がオタクだったとは、親友であるはずの茜も知らないことなのだろうかと思った夕矢がそれを質問してみた。
「お前のオタク趣味って、茜のやつも知ってんの?」
香はふるふると首を横に振る。やはり内緒の趣味なのかと思う反面、それを自分に打ち明けてでもカルフェスに行きたいという香の気持ちが本気だと伝わった。
「んじゃ週末な。IDとか交換しとこうか?その方がいろいろ都合がいいだろ?」
「うん」
香は女子の友達は多いが男子の友達は少ない。親友である茜を通じて知り合った夕矢と陽太ぐらい、といってもいいほどだ。それこそが自分の趣味の露呈を警戒しての結果かもしれないと思う夕矢は早々とIDと番号を交換した。
「んじゃ週末、土曜日な。時間とかはまた」
「うん、ありがと、ね」
上目遣いにそう言う香の表情に思わずドキッとする夕矢だったが、にんまりとした笑みだけを返す。
「あー、いたいた!2人で何してんのさ!」
近づくその声に思わず焦る香をよそに、夕矢はいつものへらへらした様子でその声の主に顔を向けた。
「悪い悪い、瀬川から告白されちまって」
「え?」
夕矢の言葉に、やって来た茜はおろか香も固まってしまう。
「こ、告白って・・・」
うろたえる茜を見ても笑みを消さず、告白の意味を趣味の事だと思っている香は俯くことしかできない。そんな3人を見つつ、陽太もゆっくりと近づいてきた。
「瀬川の弟もオタクなんだってよ」
その言葉に香が勢い良く顔をあげ、茜はどこかホッとしたような表情を浮かべた。そんな茜の表情に夕矢の笑みが違うものに変化していく。
「あれれ?なんか勘違いされました?ってかその顔、俺が瀬川に告られたら困る感じ?」
目を細めてそう言う夕矢に顔を赤くする茜。だが、それは照れから来たものではないのは明白であり、背後に立つ陽太ですら茜の殺気を感じたほどだ。
「死ねっ!」
見事な回し蹴りがわき腹に炸裂し、夕矢はその場に崩れ落ちるしかないのであった。
*
わき腹を押さえながら歩く夕矢を気遣っているのは陽太だった。茜の本気の蹴りをモロに受ければどうなるかはわかっていたはずだ。空手を習っていないとはいえ、有名な道場で師範代を務める母親から護身用にとそれなりの手ほどきを受けている茜は有段者に近い実力を備えているのだから。とぼとぼと歩く夕矢の歩幅に合わせつつ、陽太は前を歩く茜と香の背中を見つめていた。
「で、なんの話をしてたんだ?」
夕矢の性格は良く知っている。だからこそさっきの言葉が全て真実でないことは見抜いていた。香の告白の内容が弟がオタクであるというのは嘘だとわかっている。香をかばいつつ、それでいて茜を刺激する言葉だったと陽太は見抜いていたのだ。
「お前のそういう面はムカつくけど、凄いとも思う」
「長い付き合いだからな」
2人は目を合わせて微笑んだ。そう、何でも理解している。知りたくない気持ちもまた。
「瀬川のプライバシーに関わるから言えねぇけど、ま、愛の告白とかじゃねーし、そういった相談でもない」
「そうか」
それ以上は何も言わない、聞かないのが陽太だ。それだけで納得した、そういう証拠でもある。それが納得できない答えであったならばさらなる質問を投げただろう。陽太はそういう男だった。
「あまり茜を刺激するなよ?」
楽しそうに会話をしている茜と香を見つつそう言う陽太に夕矢は苦笑を漏らした。そうしてわき腹をさする。
「ヒビとか入ってねーかな?」
「ま、大丈夫だろ」
刺激の言葉の意味を夕矢はそう取ったのかと思う。おちょくった挙句の蹴り、それに対する助言だと。だが実際は違う。
「もし告白されてたら、どうした?」
砕けた表情でそう言う陽太に困った顔をする夕矢。夕矢にとって恋愛など二の次でしかない。元々そういった感情に薄い性格をしていた。もちろん女性に興味はあれど、今は趣味に没頭しているほうが楽しいし、そっちにお金をかける方が有意義だとも思っていた。そう、あの日から。
「どうだろうな・・・・OKしたかもな」
香の趣味の、オタクの度合いによっては話が合う。そうなれば付き合っても楽しいと思えた。要するに女子の外見よりも趣味が合うか、理解してくれるかを重要視しているのだ。夕矢の返事に意外な顔をした陽太は前を歩く2人を見つめる。その目が捉えているのは茜か、それとも香か。
「ま、彼女が出来るとしたらお前の方が先だろうけどな」
「・・・・だといいけどな」
意味ありげにそう呟く陽太の背中をぽんと叩く。
「イケメンでテニスも上手いんだ、頭もいいしな。自信持てよ」
その言葉に微笑み返すかしかない陽太だったが、自分の恋愛には大きな障害があるとは言えない。そう、それは誰にも言えないことなのだ。
「じゃぁ、また明日ね」
電車の駅前で香とはお別れになる。香はここからバスに乗り30分のところに住んでいた。茜たちは15分ほど電車に乗る。
「うん、またね」
茜がそう言い軽く手を振る。香は手を振り返しながらチラッと夕矢を見やった。その視線を受けた夕矢が小さく微笑んだが、その香の視線を知りつつも茜も陽太も何も言わないでいる。触れてはいけない、そんな気がしたからだ。
「さ、帰ろう」
茜の言葉をきっかけに改札をくぐる3人。すぐに電車が来て乗り込むが、普段と時間が大幅に違うために比較的空いている状態だった。空いている席は2つだったため、茜と陽太を座らせてその前に夕矢が立つ。譲ったわけではない、座った方が脇が痛むのだ。
「で、こそこそ隠れて香に何を言ったの?」
「向こうから誘ってきたとは考えないのか?」
香とは帰り道でそういった話をしなかったのだろうかと思う夕矢だが、逆に陽太はしたくなかったのだろうと睨んでいた。茜も、そして香も。
「香があんたに何かを相談したりするとは思えないし」
「まぁな。でもマジで弟がオタクで、いろんなフィギュアに興味を持ってるとかいう話。姉としちゃ心配なんだろうけど、家族とはいえ他人、好きにさせてやれって助言しただけだよ」
「・・・そっか」
納得したようにそう言うが、やはり心のどこかにしこりが残る。それだったらさっき香がそこに触れなかったのが不自然だ。だがそれを言うなら触れたくなかった自分も同じかと茜はもうそれを話題にするのをやめた。もし、本当に香が夕矢を好きだったら、逆に夕矢が香を好きだったらと思うとどう話題にしていいかがわからないのだ。そんな茜を横目に見つつ、陽太は今日のことを確認することにした。
「で、勉強会は昼からでいいの?」
陽太は茜、いや、夕矢以外の人間には優しい口調になる。逆に夕矢にだけは男特有のとんがった話し方になるのだが、夕矢にとっては自分に対する話し方の方が自然だと思っている。陽太は茜やその他の人間には気を遣いすぎているという認識を持っていたからだ。自分に対しては何でも話ができる、そう思っている。幼馴染であり、兄弟みたいなものなのだから。
「そうね。お昼食べて、1時半に私の家に。夕矢は私自ら迎えに行ってあげる」
「お断りします」
「ダメ」
「テストで疲れてんだよ・・・寝たいんだよ!」
「寝てたら脇に拳をめり込ますけど、いい?」
「・・・・・行けばいいわけね」
強制というよりは強要だと思う陽太だがとばっちりは受けたくないので口を挟まなかった。
「おやつぐらいは出すから」
「ま、当然だな」
「夕矢からはお金取る。陽ちゃんは気にしないで」
「了解」
笑う陽太を睨みつつ目でフォローしろと訴えるが、そんな夕矢を陽太は無視した。これももういつものことなのだから。