理解の深さ、後悔の重さ(7)
いよいよこの日がやってきたという興奮のせいか、あまり眠ることはできなかった。4時に起きて顔を洗い、軽くパンを食べて薄い化粧を施す。暑さ対策にいろいろグッズを持ち、ポロシャツにジーンズのスタイルを鏡に映した。よし、と頷いて家を出た香はそのまま早足気味に駅へと向かった。約束の駅までは地下鉄で移動し、一番路線が重なっている繁華街のある駅へと向かう。大きめのリュックを背負うその姿に可愛さなど求めていない。いかに大量の荷物を楽に持って帰れるか、それしか頭になかった。それにこんな時間に知り合いに会うとも思えず、帰りに遭遇したときの言い訳も万全だった。意気揚々と待ち合わせの場所に着けば、そこにはもう夕矢の姿があった。待ち合わせ時間の15分前だというのにと時計を確認して近づくと夕矢も香に気づいて軽く手を挙げた。
「おはよう。早いんだね」
「おはよう。一応、女の子を待たせるのはどうかと思ってさ」
夕矢はそう言って笑った。Tシャツにジーンズ、こちらもリュックを背負っている。お互いに似た格好をしていることに苦笑し、香は少し周囲を見渡すようにしてみせる。
「あいるんはまだ?」
「まぁ、時間前だしね」
「そうだね」
自分たちが早く来すぎているが、それでもそわそわしてしまう。待ちに待ったイベントだけに気がはやるのだ。そんな香を見て苦笑し、時計を見る。すると向こうから駆けて来る音を聞いてそっちを見れば愛瑠が走ってきた。こちらもまたノースリーブのシャツにジーンズ姿でリュックを背負っている。オタクの象徴ともいえるリュック姿がここに勢ぞろいしたのだ。そんなことを思う夕矢は微笑み、香もまた笑顔になった。
「ゴメンね、待たせて」
「時間前じゃん。それに約束の時間前に来たのはこっちだから謝ることないって」
「うん。こっちこそ早く来すぎてゴメンね」
2人の言葉に笑顔で頷く愛瑠に香が微笑む。
「じゃぁ、行こう」
夕矢の言葉を合図に会場の最寄り駅までの切符を買った。2度の乗換えをしつつ約2時間の移動になるのだ。始発に近い電車のせいか、人は極端に少ない。日曜日ということもあるのだろうが、乗り換えてからもそれはあまり変わらなかった。だが会場に近づくにつれて人が多くなっていく。オタク丸出しの風貌をした男性の集団やら、若い女性に中年のおじさんまで様々だ。そうして会場のある駅に着けばすでに多くの人で溢れている。ハンドマイクを手にした誘導員に従って大きな会場のこれまた大きな駐車場に長い列が出来ていた。圧倒される香と愛瑠を促してその列に並ぶ。見た限り開場から1時間も掛からずに入場できそうな位置であることを確認し、既に熱くなってきているアスファルトの上に腰掛ける夕矢はリュックを下ろしてデジカメを確認した。
「多分、10時40分ぐらいには入れると思うよ」
夕矢がデジカメをリュックに直していると愛瑠が並んでいる人の波をスマホで撮影している。香はさっきコンビニで買ったお茶を飲みながら流れる汗を拭いていた。そんな美少女2人を近辺にいるオタク丸出しな男たちが注目し、隠れながら写真を撮っていた。特に小柄で巨乳の香に対する注目度が高いようだ。
「リュック抱えるようにして座ってろ・・・いろいろ注目されてるぞ」
横に座っている夕矢が耳元に口を寄せて小声で囁く。ハッとして周囲を見渡せばオタクたちがさっと目線を逸らした。それを見てリュックを抱えるようにし、さらに夕矢の腕に自分の腕を絡ませる。嫉妬の目が夕矢に注がれるが、夕矢はいつもにも増して鋭い眼でオタクたちを威嚇した。見た目がワイルドなだけにオタクたちは香の方を見ることが出来なくなった。
「ちょっと・・・・かおりん、ずるくない?」
ムッとした顔を向けた愛瑠が夕矢の反対側の腕にしがみつく。両手に花をその身で体現する夕矢だが、ただ単に暑さが増しただけだ。両腕に感じる柔らかい感触は心地よくても暑さで台無しだった。周囲の睨むような視線さえ気にならず、ぐったりと頭を垂れた夕矢はやはりこういうイベントは1人で来た方がいいと実感するのだった。
*
予想よりも10分早く入場できた3人は広すぎる会場とその熱気に圧倒されていた。数量限定の商品に群がる人々や駆け回る女性たち、展示品を撮影する中年男性など様々だ。香と愛瑠のはしゃぎっぷりを制しながらまずは魔法少女ユイの特設展示ブースへと向かった。そこは既にかなりの人だかりが出来ており、有名玩具企業のブースの一角であることもあって列もあちこちに出来ている。とりあえず展示されている秋以降の新製品の写真を撮りつつ興奮する香や、いまでは市場に出回っていない商品の再販分を購入して喜びの奇声を上げる愛瑠を見つつ夕矢もまたフィギュアなどを見て回った。そのままこの企業のブースを回り、夕矢もグッズを買い込んだ。そうしていると、小さなステージになった場所に係りの者と思える男性がハンドマイクを片手に現れた。騒然とする中、たまたまステージのすぐ近くにいた3人もまたその男性に注目する。
「この後、11時より、現在好評発売中の魔法少女ユイ一発クジ第二弾のカルフェス特別仕様フィギュア入りのクジ販売を行います。A賞とB賞は通常版とは違うリペイント及び表情の変更を行い、C賞からE賞のフィギュアも表情が変更されています。数に限りがありますのでお1人につき2回まで。A賞B賞は3つ、C賞からE賞まではそれぞれ6つ用意させていただきました」
その声にどよめきと歓声が巻き起こる。香と愛瑠は顔を見合わせ、同時にそれぞれが夕矢の肩に手を置く。
「はいはい・・・A賞ね」
「よろしく!」
「任せたから!」
「先に引かれてなくなったら?」
「B賞で」
「・・・・・了解」
香も愛瑠も普段学校で見る表情はしていない。夕矢は苦笑し、列を指示する係りの人間に従って並んだ。一応、香と愛瑠もまた夕矢の後ろに並んだ。順番は最初にいた位置が良かったせいか20人目程度の位置だ。まだここは最初のブースで思ったよりも時間が取られるが、香と愛瑠のメインがここなだけにそれも仕方がないと思う。夕矢にしてみれば幅広く見たいところだが、初体験の2人の意思を尊重しているために文句もなければイラつくこともなかった。
「うそ、もうB賞出たの?」
「Aだけは・・・Aだけは・・・」
鐘が鳴り、大当たりを告げる声が響き渡って歓声と嘆きが聞こえてきた。10人程度を消化した時点でそれなりにフィギュアが当たっているようだ。祈るようにしている香と愛瑠のその祈りが届いたのか、まだA賞は残っている。そうしていよいよ夕矢の番がやって来る。この時点で勝利を確信した香と愛瑠がお互いに顔を見合わせてニヤリと悪い顔で微笑み合う。
「勝ったわね」
「そうね」
余裕の言葉に余裕の表情。夕矢が箱に右手を入れて目を閉じた。前にいた連中の中でクジを選ぶのに時間を掛けていた輩もいたので多少時間が掛かっても問題はないだろう。だが夕矢はあっさりと1枚を引いて係りの人にそれを手渡し、すぐにまた右手を箱の中に戻した。
「大当たり~!A賞おめでとうございます!」
その声に周囲からどよめきと失望の声が上がる。歓喜に打ち震えつつ抱き合う香と愛瑠は夕矢が取り出した2つめのクジを見てさらに笑みを濃くした。クジを開いた係りの男が驚いた顔をしたことからもそれが何の賞か理解できたからだ。
「またも大当たり~!まさかの連続A賞です!いやぁ、クジ運の強さ、最強ですね~!」
感心したような声に興奮が混ざっていた。夕矢はにんまりと笑いながらも驚きと喜びに満ちた表情を浮かべている。そんな夕矢の顔を見た香はなかなかの芝居に苦笑し、愛瑠は超ハッピーを絶叫しつつその場でぴょんぴょんと跳ね上がった。夕矢がA賞の入った2つの袋を受け取り、次に香がクジを引く。既にA賞は確保できているためになんでもいいと2つを同時に引けば、なんと1つはB賞だった。自分でも驚く引きの強さにガッツポーズをし、落ち込む後ろに並ぶ連中を尻目にそれを受け取った。
「いいなぁ、かおりん・・・・私はクジ運ないしなぁ・・・・」
お金を払いつつそうボヤき、箱の中に手を突っ込む愛瑠が何かを念じたようにして1つを取り出す。
「はい、F賞のハンドタオルです」
その言葉にガックリしつつ、もうどうでもいいやとばかりに適当に1つを取り出した。とりあえずプレミアもののA賞が確保できただけでいい、そう思っていた瞬間だった。
「これは・・・・神でも舞い降りたのでしょうか!B賞おめでとうございます!これにてB賞終了です」
「へ?」
差し出されるF賞とB賞の入った袋を受け取る愛瑠が信じられないといった顔をしつつ夕矢と香を見やった。親指を突き出す夕矢、満面の笑みでVサインをする香を見てこれが夢ではないと実感した愛瑠が両手を高々と突き上げてその場でぴょんぴょん飛び跳ねた。
「やったぁぁぁぁぁ!愛ちゃん、超超超はっぴぃぃぃぃぃぃぃ!あーんど、超超超らっきぃぃぃぃぃぃ!」
叫び、跳ね、そしてくるくるその場で回る。周囲が歓声でどよめき、何故かシャッターが切られる中、愛瑠はもう昇天して意識は空の彼方に飛んでいた。
「回るなっての」
香が愛瑠を押さえ込むが反対に抱きつかれ、何故かそこも多数のシャッターが切られて撮影されるのだった。
*
とりあえずブースの隅に移動して荷物を纏める。夕矢から受け取ったフィギュアを自分たちが取ったフィギュアの袋にまとめ、小物はリュックに入れた。大物2つを手に入れたことでもうミッションは遂行したようなもので、あとはのんびりと会場を見て回るだけだ。だがその後、思わぬ障害が立ちはだかることになる。A賞とB賞を当てた3人に群がるオタクや転売を目的とした輩からの交渉だ。プレミア物をセットで当てた3人は絶好の的だったのだ。だが交渉に応じるわけもなく、それらを全て断っていった。しかししつこい者や強引な者に愛瑠は怯え、香もまた気持ちで負けそうになる。だがその度に夕矢が前面に立ってそれらを追い返す。元々見た目が不良っぽいせいか、睨んですごむだけで効果は絶大だった。おかげでやたらと触れようとしてくるような連中にも手出しをさせず、夕矢は近くにいた警備の者に応援を要請する手際の良さを見せるほどだ。やがてそういう連中は会場内の係員にマークされることになり、1時間もすれば声を掛けてくる者は何故か2人の写真をねだる者たちだけになった。特に小柄で巨乳、それでいて可愛い香は何かのキャラに似ているのか人気は絶大だ。疲れた顔を見せつつもまんざらではない香は夕矢がカメラ男から聞きだした話を聞いて自分が似ているというキャラクターのいる作品ブースへと向かった。どうやら深夜ではない、夕方にやっている子供向けのアイドルアニメのようだ。
「・・・・かおりんがいる」
ポスターの中に香に似たキャラを見つけた愛瑠がにんまりと笑った。夕矢も苦笑を禁じえない。髪はセミロングで巨乳、それでいて小柄な中学生のキャラクターがVサインをしているそれは確かに香に似ている感じだ。
「・・・・顔が子供だし」
そう、顔がもろに子供子供している。設定は中学生なのだがどう見ても小学生だ。
「つまり、童顔で小柄ながら胸がでかい、それが人気なんだろう」
冷静に分析した夕矢を睨む香を引っ張って愛瑠がそのキャラの等身大ポスターの横に香を立たせる。そしてそれを撮影しているとカメラをひっさげたオタクや若い女性が集まってきた。
「うそぉ!マジ似てるし・・・ノリコだよ!」
「リアルノノちゃんだぁ!」
奇声と歓声が巻き起こる中、戸惑う香もどこかノっている感じになっていく。
「いいなぁ、かおりん・・・・私も似てるキャラいないかな?」
「まぁ、個性は抜群だけどな」
「もう!褒めないでよね!」
愛瑠は嬉しそうにしながらも腕組みをしてツンと澄ますが、褒めてないぞと心の中で呟く夕矢。あれだけの人の中で奇声を上げてくるくる回るなど、常人には到底真似できないとしみじみ思った。