第一次対馬沖海戦 4
ミサイル駆逐艦〈済南〉の艦橋で、艦長が頭をかかえている頃。
一方の布教艦隊、第22航洋艦戦隊、その旗艦〈クトゥルス〉。
彼女が、〈トートルス〉級航洋艦の十一番艦として建造されたのはもう七十年以上も前のはなし。布教艦隊で最も古い歴史を有する艦の一隻だ。合計で三十四隻が建造された姉妹たちの内、現存しているのはこの〈クトゥルス〉のみ。他の姉妹たちはそのすべてが、戦没するか、行方不明となっていた。
〈クトゥルス〉自身、幾度となく荒らしに遭遇。布教活動時、神の教えを知らない蛮族どもの攻撃を受け、痛手を被ったこともしばしば。メインマストは曲がり、船体にはフジツボがこびりついている。船内では、いたるところで材木が腐食し、陥没している。運の悪い新米船員などが、腐った床を踏み抜き下の階層に落下するなどということは、しばしばよく見られるありふれた光景だ。
そんな老女が戦隊旗艦に指定され、将旗を掲げている理由。それはひとえに、彼女が幸運艦として知られているからだ。
ハンソニアス海戦。ナルヴィク沖海戦。それに、ターミニオン海の戦い。
これらの海戦では、損耗率が九割にも達し、作戦艦隊が事実上壊滅に陥ったのだが、そのいずれにも参加した〈クトゥルス〉は無事に、本国への生還を果たした。
それに、嵐との遭遇率。姉妹艦たちが次々に嵐に遭遇に、行方不明になる中、彼女だけは無事。重大な損傷を受けることも無く、目的地に寄港することが出来た。
もっとも、彼女と艦隊行動を共にする僚艦からすれば、毎度のように嵐に遭遇しては大破沈没。そうでなくても、敵艦隊の集中砲撃を受けて袋叩きにされたりしている。
このため他艦の乗組員からは、“死神”、“疫病神”、“破滅をもたらすもの”と呼ばれたりしているのだが……それはまた別の話。
そんな幸運艦〈クトゥルス〉の露天艦橋。そこでは、戦隊司令部の幕僚たちが恐慌状態に陥っていた。
それもそうであろう。ホンの僅か。一分足らずの間。たったそれだけの時間に、三隻も撃沈されたのだ。これでは全艦爆沈も時間の問題といえた。
「司令官! このままでは全滅です!! 直ちに避退命令を!」
余りの損害に、泡を食った幕僚長が大声で進言する。
一方の司令官。そんな幕僚長をちらりと一瞥すると、大袈裟に嘆息する。
「落ちつきたまえ、幕僚長」
司令官の返答。
「これが落ち着いていられますか!」
幕僚長が食ってかかる。その目は、血走っている。だが、司令官は動じない。
「よく見たまえ。敵は砲撃を止めている」
そう言って司令官は、新手の敵魔導船を指さす。
「それはそうですが……しかし……」
「しかしもヘチマもない。幕僚長、常識的に考えてみたまえ。大抵の軍艦は、1対10で交戦するようには設計されてはいない。弾切れだよ」
司令官はそう指摘する。
「それは……そうかもしれませんが……」
だが、幕僚長はなおも言い募る。
「そうなのだよ。あれは弾切れだ。だから気にせずとも……」
司令官の説明は、最後まで続けられなかった。
敵艦がうなり声を上げたからだ。ヒュイーーンという甲高い音。同時に敵魔導船は、急加速を開始。戦隊との距離を詰める。
そして、敵魔導船、その艦首の大型砲に閃光。一拍遅れてひびく砲撃音。敵が砲撃を再開したのだった。
無論、一発だけではない。ドンドンという、息もつかぬほどの連続射撃。その連射速度は、およそ、尋常な大砲のものとは思えなかった。
暫くして聞こえてくる、ヒュルルルという間の抜けた風切り音。
次の瞬間、六番艦の周囲に敵弾がつぎつぎ着弾。一瞬のうちに立ちのぼる巨大な水柱。六番艦は、海水のベールにつつまれて見えなくなる。
そのときだった。ひときわ巨大な爆発が生じたのは。海水のベール越しにも、オレンジ色の炎が見てとれる。ほぼ同時に、爆音。そして、衝撃波。
衝撃で霧が吹き飛ばされ、視界の張れたのち。後には何も残っていなかった。
「〈ドウテー〉爆沈!!」
見張り員からの報告を待つまでもなかった。火薬庫か魔石庫かに誘爆、六番艦は跡形もなく吹き飛ばされたのだった。
「し、しれいかーーーん!!!」
幕僚長の絶叫。
「ふむ。読みが外れたようだな」
一方の司令官の方は、動じる気配もない。
「読みが外れたではありません!! 直ちに撤退しなくては!!」
幕僚長の絶叫。それは最早、進言と呼ぶべきものではなかった。
「うむ。戦隊、左一斉回頭。転舵後に全速。敵魔導船と距離をとる」
司令官の命令。
「戦隊、左一斉回頭!! 左一斉回頭旗かかげ!!」
中級海佐の階級章を帯びた戦隊航海主任士官が、旗流信号員に指示を出す。
「取り舵いっぱーい!!」
艦長が大音声で怒鳴る。
「取り舵いっぱーい」
操舵主の復唱。同時に、舵輪を全力で左にまわしていく。熟練の操舵主は、いともたやすく舵輪を回しているようだが、実際にはかなり困難な作業だ。てこの原理を用いているとはいっても、数百トンもある重い船体を回頭させる舵を動かすのだ。全力で舵輪を回すとなると一苦労。練達の操舵主でも、まわし終えた後にはヘトヘトになっていることは少なくない。
そのような重労働をいともたやすくやってのける辺り、さすがは旗艦操舵手と言えた。
左一斉回頭を命じられた戦隊は、ゆっくりと回頭していく。数百トンという巨大な質量を有する航洋艦は、容易には回頭しない。
じりじりとしたもどかしい時間。そんな中で司令官は、幕僚長に釘をさす。
「それと、幕僚長。あんなに大声を出さなくても聞こえているよ。私の耳は、まだ悪くはなってないのだ」
******
「艦長、敵艦隊が撤退していきます」
見張り員からの報告。だが、報告を聞くまでもない。急に取舵を切った敵艦隊は、その後に加速。急速に戦場から離脱しつつあった。
「追い払ったのか?」
艦長のつぶやき。勝ったとは言えない。やはり、射耗が大きすぎた。敵は残り六隻。一方、こちらの主砲残弾は一割五分。あのまま戦闘を続行していれば、弾切れにより戦場を離脱しなければならなかったのは、こちらの方だった。
そしてそうなれば、貨物船は撃沈され、彼と〈済南〉は世論と党執行部から激しい非難を受けるところだった。
「どうやら、そのようです。危ういところでした」
独り言のはずの艦長のつぶやきに、法務士官が同意する。
「うむ。航空長にヘリの準備をするよう伝えよ。貨物船を救助しなければならん」
艦長の命令。それを受けた若手の下士官が「はっ」と復唱。受話器を持ち上げて電話をかける。
「救助ですか? 火災が起こっていますし、かなり損傷がひどいようです。修理するよりも、造り直した方が早いのではありませんか?」
法務士官の方は、艦長の命令にいぶかしげだ。
「救助だ。どこの誰とも知れん連中に【紅旗】を掲げた船を沈められたとあっては、名誉にかかわる」
艦長の断言。
「それはまぁ、そうでしょうが……港まで浮かんでいられますかね。酷い損傷ですが」
法務士官は懐疑的だ。実際、貨物船は酷く損傷。左舷側に大きく傾いていた。
「何としても、浮かばせなければならない。そう、何としても」
断言する艦長。その瞳に強い意志が宿っているのを確認した法務士官は、アレコレ言うのを止めた。
かわりに別の進言をする。
「あの様子では、負傷者がいるのは確実です。医務室にも負傷者収容の準備をさせた方が良いでしょう」
この進言に、艦長は目を丸くした。どうやら、負傷者が存在する可能性に、今まで気づかなかったらしい。わざとらしくゴホンと咳払いしたのち、指示を出す。
「うむ。よろしく頼む」
そして、何かに思いついたらしい。指示を付け加えた。
「それと、機関長に応急修理班の派遣準備を伝えてくれ」
「了解」
応急修理班の派遣先がどこか、などと言う野暮なことを、法務士官は聞かなかった。それは明白だからだ。
艦長からの命令を伝達するために、法務士官が艦長の元を離れた。艦長は別のことを思いつく。
「そうだ、忘れていた。他に、何か異常はあるか?」
取り敢えず、〈新秦〉は救えたが、他にも中国船がいるかもしれない。視界内に他の中国船がいたのにそれを救助しなかった、などということがあっては軍の威信が低下する。同時に、彼の考課表は大幅な減点を受けるだろう。もしかしたら首になるかもしれない。
そう考えると、念には念を入れたい。周辺海域について、十分な偵察が必要だ。〈新秦〉の乗組員を救助した後は、艦載ヘリも投入。周辺警戒に当たらせよう。艦長はそう決意した。
「こちら右舷見張り。異常なし」
「こちら後部見張り。更に多数の帆船が、光柱より出現中。集結しつつあるように見えます。それ以外の特筆すべき報告事項は無し」
「左舷も異常なし。炎上しながら並走している船が二隻ほど見えますが、形状から言ってどちらも日本船。漁船と漁業取締船のようです」
部下たちの報告が続く。中国船に〈新秦〉以外の被害が出ていないことにひとまず安堵しながら、艦長は思う。
こいつは、報告書が大変だぞ。きっと、山のような書類を作成する羽目になるに違いない。
艦長のその予言は、見事的中。それからというもの彼は、地獄の鬼たちも裸足で逃げ出したくなるような膨大な書類に囲まれて、身動きも出来ない状況に追い込まれるのだった。
******
こうして、後の歴史書に第一次対馬沖海戦と表記されることになる一連の戦闘は終わりを告げた。
各当事者の損害は、以下の通り。
〈日本〉
沈没:巡視船×1、漁船×2
損傷:漁船×1、漁業取締船×1
死者:34人
〈中国〉
沈没:なし
損傷:貨物船×1
死者:5人
〈聖光教会〉
沈没:航洋艦×4
損傷:航洋艦×2
死者:300人以上
ただし、戦闘が終結したのは海戦のみ。南東方面に発見された都市、〈福岡〉へと接近した布教艦隊は兵団を揚陸。“布教”のための事前の剪定作業を開始するだが、それはまた別の話。