第一次対馬沖海戦 3
西暦2017年3月19日 14時45分
対馬海峡東水道 中央付近
中国人民解放軍海軍東海艦隊に所属する、052C型駆逐艦〈済南〉。彼女は、特徴的なカマボコ型のアクティブ・フェーズド・アレイ・レーダーを搭載した近代型防空駆逐艦だ。
そんな彼女の表向きの任務は単純――少なくとも、事前の計画では単純という話になっていた――で、光柱にたいする学術研究の母船となること。その為の調査機材を一式と、学術研究グループのメンバーを搭載し、この地へと派遣されていた。
その一方の、裏向きの任務。それは、対馬海峡に出現した謎の発光現象を奇貨として、日本海周辺でのプレゼンスを強化すること。
この為に彼女は、対馬海峡に派遣されていたのだ。
そんな〈済南〉の艦橋。艦長席に座った艦長は、一息ついていた。大型の帆船三隻は、途中で追いつけないことを悟ったらしい。追跡を諦め、艦隊に合流しつつある。
もっとも、幾ら所属不明船が追跡を断念したといっても、戦闘配置を解除することはしない。状況の展開が早すぎて、いささか以上に意味不明。このような局面では、何が起こるかわからないからだ。
その〈済南〉。本来、戦闘配置下にあっては、艦長は戦闘情報室に詰めることになっているのだが、その規則を彼は無視していた。折からの電波異常は依然回復せず、レーダーも通信装置も機能不全に陥っていたからだ。
この状況で戦闘情報室にこもって、一体何をやるというのか? そんな訳で彼は、艦橋にとどまっていた。
そんな時だった。爆発音が轟いたのは。数瞬ののち、衝撃波が船体を揺らす。衝撃と言っても大したものではない。船体が少し、傾いだ程度。
「報告せよ」
そう命令を出しながら、艦長は左側を見る。そちらから衝撃波が届いたからだ。
艦の左側。そこでは、ノロノロと帆船団から逃げるように航行していた貨物船が炎上。煙突から黒煙を噴出。いや、煙突から火が吹いている。
「本艦左舷の貨物船で爆発。帆船による砲撃ではありません」
「突然煙突から火を噴きました! 機関室で何かあった模様!」
左舷見張りから、報告がすぐに上がった。
それを聞いて、艦長は考える。突然、爆発? 攻撃を受けたわけではないのに? そう言えば、あの貨物船は妙にゆっくりと航行していた。てっきり荷物を積み過ぎているのだろうと考えていたが、エンジン・トラブルでも起こしていたのだろうか?
艦長がそんなことを考えていると、貨物船にピカピカと明かりがともる。最初は照明がちらついているだけかと思ったが、すぐに考えをあらためる。
それは、発光信号だった。
「艦長。左舷の貨物船より発光信号です」
部下の報告。
「うむ」
艦長は鷹揚に頷く。
「何と言っている?」
「は! 『われ、中国船籍なり。救助を求む』であります!」
部下の返答。これに艦長は衝撃を受けた。その貨物船が中国船籍である可能性について、彼は全く考えていなかったからだ。
「なに? 中国船籍? 間違いないのか?」
艦長の問い。
「少なくとも、先方は中国籍だと言っています!」
部下の返答。
厄介だった。艦長は逡巡する。あの貨物船がもし本当に自国船だとしたら、救助しないのはいかにも不味い。
だが、そうでなければ? もしかすれば韓国船や日本船が、こちらの救助を受けようと国籍を偽装している可能性もある。
あの帆船船団の正体が何なのかは不明だが、既に数十隻以上が出現している。これほどの規模の船団なのだ。どこかの国家に所属している蓋然性が高い。
ということはつまり、あの帆船団を攻撃すれば、党の命令も無しに勝手に戦争を始めることになる。
自国船を助けるという大義名分があるのならばともかくとして……中国船だと嘘をついていた船を救助するために、戦争を始めるとなると、トンだ笑いものだ。
というか、笑いものになる程度では済まない。
「国旗はどうなってる? 識別できるか?」
戦闘情報室から艦橋に上がってきていた法務士官が、左舷見張りに問いかける。
「はっ! 貨物船は間違いなく紅旗を掲げています!」
見張りの回答。艦長には旗など見えなかったが、見張り台には大型の望遠鏡が据え付けられており、艦橋よりも明瞭に対象を観察できる。
その見張りが言うのであれば、間違いないだろう。あれは同胞の船だ。で、あれば、救出しない道理はない。
彼は、副長に電話を掛けた。
「こちら副長」
1コールも待たず、副長は電話に出た。
「副長、こちら艦長だ」
「はっ。なんでしょう?」
「左舷の貨物船は自国船籍だ。対艦戦闘。帆船団を駆逐し、貨物船を救出する」
艦長の命令。
「戦闘情報室、了解。対艦戦闘。左舷の貨物船を、帆船団より救出」
副長が復唱。警報が鳴らされ、艦内がにわかに慌しくなる。
艦長が通話を終え、受話器を下ろす。
そのときだった。ついに帆船の一番艦が、貨物船に追いつく。並走する二隻。
「いかん! これでは!」
艦長の背筋を悪寒が襲う。
次の瞬間。
閃光。閃光。閃光。
少し遅れて聞こえてくる、爆音。
帆船の舷側、並べられた多数の砲門が次々と火を噴く。大砲を斉射しているのだ。発射された砲弾は次々と命中。貨物船の船上構造物をなぎたおし、奇怪な前衛芸術のオブジェのように変えてしまう。
まるで、子供が飴細工で遊んでいるかのようだ。
「くそっ!!」
艦長が悪態をつく。
「艦長、主砲準備よし」
戦闘情報室からの報告。
「よしっ! 直ちに発射!」
艦長の命令。
一拍おいて、重音が響く。主砲の100mm単装砲が発砲したのだ。反動により、船体がかすかに震える。
帆船との距離は10kmほど。初速870m/sの砲弾が到達するまで、10秒以上の時間が開く。
無論、その間、100mm単装砲はただ沈黙している訳ではない。毎分60発ほどの速度で次々に発射。
予想される敵帆船の未来位置――艦首を中心に扇状に広がるそれを満遍なくカバーするよう、砲弾をばらまいて行く。
最初の発砲から、10秒以上のあと。単縦陣で貨物船に向かっていた敵帆船団。その殿艦の周囲に砲弾が着弾。海水に当たり信管が作動。海中で爆発。巨大な水しぶきがいくつも上がる。
水しぶきは見上げるようなサイズ。数十メートル以上に達する。敵帆船のマストよりも巨大だ。たちまちの内に、敵艦は水しぶきの中に隠れる。
水柱がおさまり、視界が晴れた後。そこに殿艦の姿はなかった。かわりに浮いているのは、無数の破片。いくつかの破片には、チロチロとした炎が見て取れる。
「敵艦轟沈!」
見張り員の歓声。
「よしっ」
艦長も思わずガッツポーズを取る。すかさず、命令を出す。
「続けて撃て」
艦長の命令を待つまでもなかった。既に、主砲は標準を変更。殿艦のすぐ前方を走る船――敵9番艦へ砲撃対象を変更していた。
十数秒ののち、敵9番艦は海水のカーテンに覆われ、爆沈した。
「敵9番艦撃沈!」
見張りからの報告。さらにそのすぐ後には、8番艦も炎上。炎はたちまちの内に燃え広がる。たちまちの内に、敵艦の姿が、海面下に没していく。そして、敵8番艦が海の藻屑となって消え去るころには、敵7番艦にも砲弾が降り注ぐ。たちまちの内に大破炎上していく。
もはや戦闘とは呼べないような、一方的な蹂躙劇。
〈済南〉の艦橋内に、楽観的な空気がたちこめる。
こちらは最新鋭のミサイル駆逐艦。対する敵は、前時代の帆船。これでは勝負になどなる訳がないし、現に我が方は敵を圧倒している。
このままいけば、確実に勝てる。
艦橋にいるものなら、一兵卒はもちろん、士官や古参の下士官でさえもそう感じていた。
だが、そんな楽観的な雰囲気に、冷や水が浴びせられる。
「艦長、こちら戦闘情報室」
それは副長からの報告だった。
「艦長だ。何かあったのか?」
艦長が応じる。
「主砲弾の射耗が多すぎます。残弾残り三割」
副長の報告。
「何だと!? どういうことだっ!」
艦長が色めき立つ。出港したときには、全ての武器弾薬を満載状態にしていた――場合によっては日本海軍との遭遇戦もあり得たのだから、そのことは何度も艦長自信で確認していた。
そのはずなのに! それをこんな短期間に撃ち尽くすなど、艦長にとってはまさに青天の霹靂だった。
狼狽するを見て、周囲の艦橋要員にも緊張が走る。
そんな艦長の様子を知ってか知らずか、副長が冷静に報告する。
「艦長もご存じのとおり、先程からの電波障害のため、レーダーは使用不能に陥っております。これには無論、火器管制レーダーも含まれています。このため、光学照準で敵船を砲撃していたのですが、いかんせん光学照準では命中精度が期待できず……大雑把に砲弾をばらまく必要がありました」
副長からの無情な報告。艦長はこれに愕然とした。
そうだった! レーダーが使えないんだった!
それに、現代の駆逐艦は、大砲を使って殴り合いを演じることをあまり想定していない。ミサイルが余りに高価なため、安価で多目的に使える兵器として一応主砲も備えてはいるものの、それは海戦の主役としてではない。
第二次大戦時の戦艦のように、山ほど砲弾を搭載している訳ではないのだ。あれだけ盛大にばらまけば、すぐに弾切れを起こす。
艦長の背筋を、冷たい汗が流れる。それはむろん、艦橋の気温によるものではない。緊張のためだ。
このまま貨物船が蹂躙されれば? それを、指を咥えて見ているというのか? するとどうなる?
むろん、自国船を救えなかった〈済南〉は非難にさらされるであろう。当然、その艦長である自分も……。
「ミサイルはっ!? 対艦ミサイルでっ!」
艦長の叫び。だが、その問いに対する返答は無情の一言に過ぎた。
「無理です。火器管制レーダーが使用不能のため、目標をロックオンできません」
ずっと、中国のターン!
だって中国が主人公だからね!
あ、嘘です。中国は主役ではありません。
おかしいなぁ? 噛ませのはずだったのに……