皇女
帝国暦665年3月19日 14時00分
カリーニン帝国 属州ウラジーミ エレメンド市
ウラジーミは、帝国本国から遠く離れた辺境の属州だ。帝都ケシオンから直線距離にして約1万キロル。航空機を使っても、各地の空港で給油する必要があり、片道で丸二日以上の時間を要する。
そんなウラジーミのエレメンド市といえば、帝国有数の保養地として知られている。海に目を向ければ、青く澄んだ浅い海。透明度の高いそれは、波が立っていない時期には水がないようだ。そこでは、珊瑚が群生。豊かな漁礁となり、南国特有の色とりどりの魚が泳ぎまわっている。
一方、山に目を向ければ、そこには青い木々。数百年の樹齢を誇る大木が生い茂っている。
その、エレメンド市の山の中腹。そこには一軒の豪邸が建てられていた。邸宅の門柱には金色の獅子をかたどったプレート。そこがカリーニン帝国皇家の別荘である事を示している。
普段、その別荘は人気が余り無い。高齢の管理人夫妻が二人、住み込みで働いているだけだ。この別荘を建てたのは六代前の皇帝なのだが、彼の死後、帝国本国からあまりにも遠いこともあって、皇家の人間は長らく誰も使用していなかったのだ。
だが、今、その別荘は活気に満ちていた。第三皇女のシリカが滞在していたからだ。彼女がこの別荘を利用しているのは、父である皇帝による気紛れによるもの。数日前、皇帝が皇家の別荘の一覧を見ていて、長期間だれも使用していない別荘が複数ある事に気付いたらしい。
歴代の皇帝なら、「まあ、そんなものか」という感想がでる程度で終わる話だ。だが、シリカにとって残念なことに、今上帝は普通とはことなる感覚の持ち主だった。彼は、折角建てた別荘なら有効活用しようという考えの持ち主だったのだ。
かくして全く何の用事もないにもかかわらず、彼女は辺境へ旅行をする羽目になり、更には、属州総督だの市長だの名誉貴族だのといった地元の有力者たちから、際限なく謁見を受ける羽目になっていた。
「はぁ」
テラスに立ち、街を見下ろす第三皇女はため息をつく。何でこんなことに。確かに、帝国有数の保養地というだけのことはあって、自然は豊かだ。
だが、それが何だというのか。このエレメンド市は、遥か辺境の田舎だ。別荘地にこそ電気が通ってはいるものの、それ以外は依然として電気は不通。いや、電灯どころかガス灯すらない。市のメインストリートすらそうなのだ。他はおしてはかるべし。夜になると、闇が街を覆う。
明かりがないなんて! 一体どれだけ田舎なのか!
シリカは、こんな僻地に追放された自分の運命を呪った。だが、それも明後日で終わりだ。二日後は、この地獄旅行の最終日。帝都にかえれる。
そんなことを考えながら海面を見つめるシリカ。いや、彼女が見ているのか海ではない。その海上に出現した光の柱だ。
二カ月ほど前に唐突に出現したその光柱は、原因不明だった。蜃気楼の一種にしては、二カ月も光り続けるのは不自然。周囲の地形などを調査しても、光の発生源になるようなものは何もない。大学の教授たちを乗せた調査船が光の中に進入したりもしたが、どうということも無かった。中には何もなく、ただ光の柱があるだけ。
光柱が出現した二カ月前には、市内を騒がせていたようだが、人間というものはすぐに新しい環境になれる生き物。今では市民たちもあまり気にしていない。ときおり会話の端にのぼる程度。
教授やその助手たちは今でも活発に研究活動を行っているようだが、成果は今一つ。原因不明の怪現象ということ以外は分かっていない。
光柱の出現当初には大規模災害の予兆の可能性があるとして、属州駐留軍の一部が警戒態勢をとったものの、現在はそれも解除されている。
実のところ、シリカがこの別荘に派遣された理由の一つは、この怪現象に触れさせることにより、世間知らずな娘にも経験を積ませてやろうという父皇の配慮があったりするのだが、そんなことにまでシリカの思考は及ばない。
もっとも、そんな事情を知ったら知ったで、この第三皇女は、光柱を疎ましく思うだけだろうが。
「あれ? 青くなった?」
シリカの呟き。先ほどまで赤かった筈の、光の柱。それが唐突に青色へと切り替わった。さらに言えば、赤い光の柱は脈打つように収縮や膨張を繰り返し不定形だったのだが、それもおさまっている。今では、ただの円柱のように見える。
と、唐突に吹いてくる、冷気を帯びた風。
それはあり得ない事だった。このエレメンド市は赤道直下とまではいかないが、それに近い緯度上にある。季節というものはなく、常夏の環境なのだ。
実際、このときのシリカが着ていたのは、薄布でできた袖無しのワンピース。
帝国において、女性は無闇に肌を晒すものではないというのが基本的な倫理観であり、本国でそのような格好をすることはほぼない。シリカも最初、そんな服装には抵抗感を持っていた。だが、そのような抵抗が続いたのは最初の数時間だけ。この地はあまりに熱く空調設備も整っていなかったからだ。そのような環境においては、ゆったりとしたドレスなどいつまでも来ていられなかったのだった。
「冷たい風? なんで?」
第三皇女の呟き。その声には怯えが混じっていた。不安に駆られたのか、はたまた寒さから身を守るためか。シリカは露出した肩を抱き、海を見つめる。
冷たい風。それは前方、海のほうから吹いてくるようであった。
第三皇女が不安そうに海を見つめるうち、光柱にあらたな変化が訪れる。柱の根元付近が強くまたたいたのだ。
そして、その光が収まったとき、一隻の船が現れる。
「船?」
現れたのは船。それも帆船だった。三本のマストに帆を張り、風を受けながら進んでいる。
本国にいたころなら、「帆船なんて、いまどき珍しい」といった感想を持ったかもしれない。しかしながら、今では違う。ここは辺境の属州。途方もない田舎。漁船や連絡船などを見れば、普通に帆船が使われているのがわかる。
遊び半分で、地元の漁師の誰かが、光柱を通過したのだろうか? と、一瞬シリカは考え、すぐに否定する。光柱が普段放つ光ははかない。反対側が透けて見える。今しがた現れた帆船は、40メロル程はある。大型とは言えないが、かといって小型船でもない。そこそこの大きさだ。そのサイズの船ならば、幾らなんでも見落とすことはないはずだ。
と、シリカがそんなことを考えていると、光柱の根元でまたも強い輝き。
新たな帆船が出現する。
「これは……一体……」
皇女の茫然とした呟き。今度は間違いない。たった今まで、あの帆船は確かに存在しなかった。光の柱から出現したのだ。そう、シリカは確信する。
「また!」
光柱が放つ、新たな輝き。それが収まった時には、やはり帆船の姿。もはや間違いない。あの光の柱はどこかに繋がっている!
「カイルゼン男爵!」
皇女の叫びともつかない呼び声。
はたして、カイルゼン男爵はすぐに現れた。濃緑色の陸軍士官服を身に纏っている。襟に付けられた階級章は、彼が大佐である事を示している。身長は200セロル超。丸太のような腕。たくましい胸筋で制服がはち切れそう。
別荘からテラスに飛び出してきたカイルゼン男爵は、第三皇女の視線を見て、海へと向く。そして目撃した。光の柱がひときわ強く輝いた後、そこから帆船が出現するさまを。
「なんと」
目の前で起こった超常現象。それに、カイルゼン男爵は目を見開く。
「アルスター・デフォイのSF小説でもあるまいに……」
カイルゼン男爵のうめき声。
と、ガチャガチャという金属音と共に現れる小銃を持った男たち。兵たちの顔立ちについて、第三皇女にもカイルゼン男爵にも見覚えがあった。それも当然。彼らが着ているのは、赤い軍服。近衛師団独自の制服。別荘の出入り口周辺で警護任務に就いていた近衛兵たちだ。
彼らは、皇女の叫び声に釣られて集まったのだった。
「殿下! ご無事ですか」
近衛兵たちが周囲を警戒すべく散開する中、一人の近衛中尉が近づきながら安否を尋ねる。
「はい。私は無事です。ですが……」
そう答えながら、シリカは海へと視線をやる。それに釣られて海を見た近衛士官もまた、目撃する。光の柱から出現する帆船の群れを。
光柱から出現する謎の帆船。その数はいまや、10隻を超えていた。
近衛士官は一瞬棒立ちになる。目の前の現象に、理解が追い付かないのだろう。
そして、混乱しているのは彼らだけではなかった。眼下に見えるエレメンド市内。そちらでも人々が騒いでいる。
物見高い人たちは早速、港から船を出して、未知の帆船へと接近していた。そうでない人も、海岸に集まったり比較的大きな建物の屋上に昇ったりして、付近の人々と何やら話し込んでいるようだ。
と、閃光。
光の柱が放つような、神秘性を帯びたものではない。
火炎によるものだ。その光を放ったのは、未知の帆船。一拍おいて周囲にとどろく、爆発音。それに続くのは、鋭い音。ヒュルルルルという空気を切り裂くような音だ。
そして、海面に水柱が上がる。未知の帆船へと接近していたお調子者たちを乗せた船が、衝撃に揺れる。まるで、嵐の中で海に出た小舟のようだ。
何が起こっているのか? 答えは明白だ。砲撃である。帆船の舷側では、無数の発射炎が煌めき、そのつど黒煙が上がる。
そして砲撃は、船だけではなく港にも向けられる。
「そんな!」
シリカが悲鳴を上げる。皇女の視線の先。そこにあるのは、港。そこに集まった市民たちだ。石で造られたその港には、無数の砲弾が着弾。周囲に破片と衝撃波をまき散らして、市民たちを薙ぎ払う。
市民たちの叫び声。それが、別荘にまで聞こえてくる。
今や、海岸付近は大混乱だ。多くの人々がパニック状態に陥っている。泣き崩れている女性らしき人影。ふらふらと港を彷徨う人物には、腕がない。
そんな群衆の元へと、新たな砲弾が着弾。周囲に破片をまき散らす。十人余りの人々がまるでオモチャの人形を振り払うかのような手軽さで、まとめてなぎ倒される。その内の二人は、その場で即死。しかし、その二人は運がいい方だった。少なくとも、痛みを感じることだけはなかったから。
残されたのは、内臓をまき散らしながら助けを求める少女。両目が抉れ、失明した青年。右足を吹き飛ばされた老婆。そういった面々。そんな彼らに比べれば、即死した方がまだましだった。
街の惨状に驚愕し、棒立ちになるシリカ。そんな彼女へと、声が駆けられる。
「殿下! ここは危険です! ただちに避難を!」
カイルゼン男爵のせりふ。彼はそうシリカに進言しながら、近衛中尉へと視線を送る。それに中尉は微かに頷き、かたわらの軍曹に自動車を準備するよう命じた。
そのときだった。GHYAAAAAAAAAAAA! という、野獣の咆哮がとどろいたのは。