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光の柱

 

 西暦2017年3月19日 13時55分


 このとき、日本国海上保安庁が第7管区海上保安本部に所属する巡視船〈あそ〉は、対馬海峡――より正確には対馬海峡東水道――を航行中だった。場所は、対馬と壱岐のちょうど中間地点。

 〈あそ〉は、あそ型巡視船の一番船。1000トン型巡視船の一種で、能登半島沖不審船事件や九州南西海域工作船事件を受けて設計・建造・艤装が行われた高速高機能大型巡視船である。

 全長約80m、総トン数は770トン。全長のわりにトン数が小さく感じられるが、これは主船体が総アルミ合金製であるためだ。ウォータージェット推進を採用し、最大速力は公称で30ノット以上。主兵装としてボフォース40mm機関砲を搭載。これはボフォース社の傑作機関砲だ。元型は第2次世界前から使用され、WW2(第2次世界大戦)において枢軸軍と連合軍双方が使用したことで勇名をとどろかせた。


 そんな〈あそ〉は、外国の特殊部隊やテロリストを相手に、火力で圧倒することを目的に建造されたており、従来型巡視船とは一線を画して性能を有している。

 それどころか、こと戦闘力といった観点で見れば、実のところその後に建造された巡視船よりも高性能だ。高速高機能大型巡視船は、高速・大火力を実現するために建造費が高騰してしまっているのだ。その後に建造された巡視船群は、建造費節減のため、武装や速力の妥協を余儀なくされている。


 その〈あそ〉の船橋。船長席に腰掛けた男、大久保おおくぼ幸典ゆきのりは眉根を寄せた。


 船長の見つめる先。そこにあるのは、光の柱。透き通るような青い光を放っている。

 その光の柱は。一カ月ほど前に、突如として出現した謎の発光現象。出現当初、その柱の色は赤。伸縮を繰り返し、ときおりスパークの様なものも発生させていたそれは、二時間ほど前に紫に変色し始め、現在では青。伸縮現象もほとんど収まり、今ではほぼ完全な円柱に近い。


 この〈光の柱〉。大学や研究所が調べているが、その発生原理は不明。なぜ発生から一カ月が経過した現在になっても依然として発光しているのか? その答えも不明。全くもって不明だった。

 物理的に言って、光とは電磁波の一種だ。である以上、どこかに電波の発信源がなくてはならない。だが、それすらも不明。

 いや、発光源は分かっている。簡単な測定器を使った三角測量で算出できるからだ。それによると発光源は光柱の根元、海面付近だ。分からないのは、何故その部分が発光しているのかという点。何の変哲もない、ただの海面だからだ。

 人間が肉眼で確認できるほどの強い光ともなると、それなりの出力がある事を示す。そのはずなのだが……何もないとは全くもって不可解なはなしだった。


「まあ、それは別に良いんだが……」


 大久保は、小さく独白する。そう、彼の言うとおりだった。彼は単なる海上保安官、巡視船の船長に過ぎない。未知の自然現象の発生原因について、あれこれと考えを巡らせるのは彼の仕事ではない。それを考えるために、大学理学部だの国立研究所だのが存在するのだ。そんなことにあれこれ思索を巡らすのは、専門の研究者どもに任せておけばよい。連中、そのために給料を貰っているのだ。


 船長はそんな、いささか八つ当たり気味なことを考える。それもそのはず。この一カ月余り。彼と彼の巡視船、それに部下たちは十分な休養を取っていなかったのだ。


 すべては、謎の発光現象によって生じた付随的問題によるものだ。

 船長は、ちらりと視線を動かす。


 視線に入ってくるのは船。光の柱、そのすぐ横を航行している。灰白色の船体はステルス性を意識しているらしく、平面を多用。全体的にのっぺりした印象を受ける。船体に不釣り合いな巨大な船橋の上には、カマボコ型の大型レーダーを搭載。周囲を威圧するかのように船体前部には砲塔が設置され、後部にはヘリコプター格納庫とヘリ甲板。船体側面には、白い塗装で152の数字が描かれている。


 ――戦艦。


 軍事に疎いものなら、そのように称するだろうそれは、実際には“戦艦”ではない。駆逐艦だ。052C型駆逐艦。NATOコードネームでは、旅洋Ⅱ型ルーヤン・ツー・クラスに分類される。あるいは、一番艦の名前を取って蘭州型駆逐艦とも呼ばれるそれは、中国海軍の最新鋭防空艦だ。

 その五番艦〈済南チーナン〉が現在、光の柱周辺を遊弋していた。これはべつに、今回が初めてという訳ではない。光柱出現以来、中国海軍の艦船が光の柱付近をうろうろするのは、これで3回目。中国海警局所属の政府公船を含めれば、その回数は軽く20回以上。その度に、七管海保と〈あそ〉は緊張を強いられていた。


「やっかいな……」


 大久保はため息交じりにそうを呟く。


 そう、これは厄介事だった。

 〈あそ〉は重武装だが、それはあくまでも日本国巡視船という尺度で考えれば、だ。その武装はただの機関砲。ステルス性など皆無だし、電子妨害手段を有している訳でもない。囮発射装置チャフ・フレア・ディスペンサーも非搭載。

 一旦戦闘ともなれば、速射砲やミサイルを搭載している駆逐艦によって、一方的に粉砕されるだろう。


 本来なら、中国海軍の動向を監視するのは自衛隊の仕事だ。それなのに政府首脳部は、余計な緊張関係を高めたくないという、現場の海上保安官にとって大いにありがたい理由により、護衛艦を対馬海峡周辺から遠ざけていた。

 そして、護衛艦のかわりに配置されているのが巡視船〈あそ〉というわけだった。


「困ったものですね」


 航海長がそう言って話しかけてくる。その視線もまた、船長と同じ。中国駆逐艦を見つめている。その表情には不安の色が濃い。


「うむ」


 頷きながら、船長は考える。

 そう、困ったものなのだ。対馬海峡中央部は国際海峡。そこでは通過通行権が認められており、通常の領海とは異なり管轄権が制限されている。


 中国外務省の公式発表によると、自国海軍の艦船がこのような海域をうろついているのは、未知の自然現象に対する“学術調査”ということらい。“学術調査”に軍艦を用いるのは奇妙なはなしだ。だが「航続距離や運用機材の問題で軍艦を用いているだけ」というのが中国外務省報道官の主張だった。


 今のところ、中国政府がなぜこの発光現象に関心を持っているのかは謎。単なる未知の自然現象に過ぎず、ただ発光しているだけだからだ。


 本庁では、光柱の学術調査云々は単なる口実に過ぎず、対馬海峡周辺でプレゼンスを行使するが目的との見方もあるよううだが……


 と、大久保の思考はそこで中断する。


 彼の見ている前で、光柱がまばゆい光を放ち始めたからだ。そしてその光が収まったとき、一隻の帆船が姿を現していた。


「何だ? あれは?」


 船長は思わず立ち上がり、船窓へと近づく。一見したところ、ただの帆船。全長は約30メートル。マストが3本。

 だが、帆船? なぜそんなものが? 第一、どこから出てきた? 帆船は目立つ。いまどき、レジャーか航海練習にしか使われることがないからだ。これほど接近するまで、帆船に気付かないことがありえるか?

 もっとよく見てみようと、首から下げていた双眼鏡を手に取る。


 そのときだった。それが起こったのは。新たな発光。青白い神秘的なきらめき。前回と同じそれが収まったときには、新たな帆船の姿。


「これは……俺は夢を見ているのか?」


 傍らの航海長へと、大久保は問いかける。


「夢ではありません、船長」


 航海長が答える。


「手品でしょうか?」


 操舵主の質問。


「さてな」


 そう答えながら、船長は考える。手品か……。現状では一番ありえそうだ。少なくとも、種も仕掛けもない光の中から船が出てくるなどと言う与太話よりも、誰かが仕掛けたトリックといった方が、真実味がある。というか、まともな人間ならそう考えるだろう。


「手品だと話は楽なんだがな」


 船長はそう正直に、感想を述べる。


 と、新たな発光。光の渦の中から、さらなる帆船が姿を現す。今度は二隻同時だ。そして何より、発光が収まらない。強烈なきらめき。ゆらゆらと揺れ動くその光は、一向に収まる気配がない。帆船の群れが次々と出現する。


「こいつはまた」


 船長は呆れる。彼は、出現した帆船の数が十を超えた辺りで、カウントを止めた。そのかわり、船長席へと戻りながら総員直を命ずる。


 3月19日14時05分。日本国海上保安庁巡視船〈あそ〉は、総員配置を取った。



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