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止まない雨 ところにより蟲毒(12)

剛鉄は森林地帯の真ん中の線路に復帰した後に走り抜けていく。周囲の警戒を怠らないようにしながらも少尉はふと気になったことを口にした。

「そういえばリムリィの姿が見えないな。」

【客車にいるようです。少し様子がおかしいですね。】

「どういうことだ。」

剛鉄の報告に引っかかった疑問を少尉は率直に口にした。剛鉄は車内にいくつか設置している複眼でリムリィの様子を確認した後に見たままの状況を報告した。

【なにやら心ここにあらずといった様子で突っ立っています。】

「度重なる襲撃でついにおかしくなったか。仕方のない奴だ。」

そういって少尉は少しの間の指揮を剛鉄に任せてリムリィを迎えに行くことにした。いつまた蟲毒が襲ってこないとも限らない状況で一人きりにしておくことに不安を覚えたからである。どういう事態が起こるか分からない以上、手元に置いておく必要がある。本来ならコロに任せるべきなのだが、疲労で立ち上がれそうにない様子では仕方がなかった。

「まったく面倒な奴だ。」

ああ、面倒くさい、面倒くさいといいながら少尉は機関室の扉を開けて客車のほうへ消えていった。それを見ていたコロが苦笑いする。

「なんだかんだと面倒見がいいんだから。」

その言葉に剛鉄も賛同する。普段から悪態をつきながらも少尉が部下のケアを人一倍心がけていることを知っているからだ。誰よりも早く起きて車内を見回るのもそういった心配りからである。単なる傍若無人な男ではないからこそ彼の部下たちは命を懸けて戦うことができるのだ。




                ◇




剛鉄の言う通りに今のリムリィは普通の状態ではなかった。一種のトランス状態になっていた。その赤い瞳は虚空だけを見つめている。人形のような佇まいは普段の彼女を知っている人間であればよく似ている人形ではないかという錯覚すら抱かせるだろう。彼女の意識はここではなく別のものと同調していた。他者との同調能力。それは司狼特有の特殊能力である。彼女はそれを無意識に発動させていた。きっかけとなったのは蟲毒との戦いの光景を見たことだった。客車の窓越しから蟲毒の視線を直視して叫びを聞いたリムリィは直感的に彼女がフィフスであることを悟った。なぜそんな姿になっているのか衝撃を受けたと共にその残酷な事実を認めたくなかった彼女の心は真実の情報を強く求めた。その強い意思は司狼としての一時的な目覚めを促して意識をフィフスの記憶へと繋げた。

リムリィが現在に体験しているのはフィフスの人生の追体験だった。最初の記憶は試験管の培養液から見ている光景だった。彼女と同様に生み出された妖精族の複製体達は東雲と名乗る人間の手による残酷な実験の中でその命を奪われていった。彼女がその光景の中で最初に感じたことは自分達という存在はそういうものなのだというあきらめの感情であった。

次に体験したのは培養液から出された後の光景だった。彼女をフィフスと名付けたのは葵という名の若い女の研究者だった。東雲の配下とは思えないほど人間味に溢れていた彼女は人造妖精五號と名付けられた妖精の培養体を不憫と思ってフィフスという名をつけてくれた。そして自分に母親がいるのだということを教えてくれた。母というものが最初は分からなかったフィフスであったが、次第に優しく接してくれる葵のことを慕うようになった。母というものはこういうものなのだろう。直観的にそう思った。

次に変わった景色の中でフィフスは号泣していた。彼女の前には脳天を撃ち抜かれて事切れた葵とそれを冷たく見下ろしながら狂ったように嗤う東雲の姿があった。東雲は言った。実験体をどう使おうと私の勝手だ。貴様は地獄でそれを黙って見ていろ。母のように慕っていた葵の死とその光景はフィフスに心に深い影を落とした。

次に移り変わった先にいたのは剣狼の姿だった。出会った頃は乱暴だった。護衛についてからもフィフスのことを粗雑に扱っていた。だからこそ東雲と同じ人種なのだとフィフスは勝手に勘違いした。どこに連れていかれるか分からないが、失敗作と東雲に烙印を押されたからには自分も始末される。そう思って逃げ出した。だが、その先で母と同じ髪をした少女と出会った。そして剣狼も悪い人ではなく不器用なだけだということが分かった。二人との出会いはフィフスにとって暗闇に差し込んだ一条の光のごとき希望であった。だからこそ東雲に奪われたくなかった。だからこそ剣狼のいうことを聞いてやすらぎの館に向かったのだ。

次に移り変わったのは腹から刀を突き刺されて横たわる剣狼とそれを見下ろす東雲の姿だった。悪夢のような光景は葵が殺された時とダブって映る。自分のせいで剣狼も殺されそうになっていることにフィフスは心が引き裂かれそうになった。だからこそ彼女は全ての抵抗をやめた。自分が犠牲になれば全てが上手くいく。絶望の中で彼女がたどり着いた結論だった。

そして再び風景が移り変わる。真っ暗な暗黒の中で沢山の光る眼が一斉にフィフスを見る。そして何かが這いずりながら近づいてくる。そのフィフスの恐怖をリムリィも同時に体験していた。発狂しそうになる恐怖の中で彼女は混虫と融合していく。その身を守るべく自身の身体を魔核と同じ球体に変えながら。




               ◇




突然に意識を引き戻されてリムリィは現実に戻った。今しがたまで蟲が体を這いずり回る不快感と恐怖がまだ残ったままだ。体中を凄まじい汗と悪寒が走っている。心臓が破裂するような勢いでバクバクいっている。しばらく混乱していたがようやく我に帰ると目の前に少尉の顔があった。見れば自分と同じように汗だくで青い顔をしている。

「なんだ、今の光景は。」

「少尉殿もあれを見たのですか。」

「見た。お前や剣狼の姿も映っていた。あれは一体なんだ。」

「あれはあの蟲に取り込まれた少女の記憶です。」

「なんだと……」

少尉は絶句した。リムリィの言っていることが本当なら罪のない少女が悪魔のような実験により犠牲になったことになる。東雲といったか。悪魔め。少尉は心の中でフィフスの視界越しに見た悪辣非道の科学者を憎んだ。追体験をしたことで自身が殺されたような強烈な嫌悪感を覚えたからだ。今度会ったら絶対に殺してやる。そう心に深く誓った。そんな少尉の心を知ってか知らでかリムリィは続ける。

「少尉殿、フィフスちゃんを救いましょう。」

「なんだと。あの子は蟲に喰われたのをお前も見ただろう。」

「いいえ、よく思い出してください。あの子は魔核に変化して蟲の中で生きています。」

そう断言するリムリィに少尉は言葉を失った。


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