閑話休題 はぐれ狼娘一人旅(1)
コロが修行の旅に出て一週間ほどが過ぎた日のことだった。その日、停留した駅から降りたリムリィは少尉には無断に一人で街を散策していた。その街の有名な古書店にどうしても行きたかったからだ。迷路のように入り組んだ街並みを迷いながらもなんとかたどり着いた古書店はリムリィにとって宝の山のような場所であった。様々な文献を読み漁っていくとどれも自分に必要なものに思えた。できることなら棚の本すべてが欲しい。しかし限られた自分の給料の中で買えるのは限られたものだけだった。悩んだ末に一冊の軍略書と数種の調理書、そして小説の文庫本を選び抜いた頃にはすっかり遅くなってしまっていた。時計を見ると剛鉄の出発予定時刻まで幾ばくも無い。無断で抜け出しているのだから少尉殿に怒られる。そう思ったリムリィは店から出ると慌てて走った。荒い息をしながら走る犬娘にすれ違う街の人々が何事かと振り返る。必死の思いで駅の近くまでたどり着く頃に「ポーー……」という警笛の鳴る音が鳴った。それを聞いてリムリィは青ざめた。なぜならばそれは剛鉄の出発を告げる合図の警笛であったからだ。そこからリムリィは走った。とにかく走った。だが駅の改札を越えてホームまでたどり着いた頃には無情にも剛鉄はすでに出発していた。必死に追いすがるものの追い付けるわけもない。その姿は次第に遠ざかっていく。遠くなっていく剛鉄の姿が見えなくなるまで呆然と見送ったあとにリムリィは涙目になった。
「どうしよう。置いていかれてしまった。」
誰にいうでもなくそう一人呟いた後にリムリィは途方に暮れた。
◇
途方に暮れながらリムリィは街をとぼとぼと歩いていた。その耳は力なく項垂れ、尻尾もしょんぼり下がっている。先ほどの古本屋で散財したせいで財布の中のお金も幾ばくも無い。宿に泊まれる金はもちろん食べ物屋に入る金があるかすら怪しかった。これからどうしよう。深刻になりながら考えているとお腹が「きゅるる…」と空腹を主張した。人の気持ちも知らずに暢気なものである。確かに今日は朝ごはんを食べる暇さえ惜しんで抜け出してきている。燃費の悪い自分の体ではご飯を食べないのは耐え難いものがあった。そう考えると余計にお腹がすいてきた。そんなリムリィの鼻に鼻孔をくすぐる良い香りが漂ってきた。匂いはすぐ近くの定食屋からしてくるものだった。いけないことだとは思いながらも空腹には耐え切れずにリムリィは定食屋の暖簾をくぐった。
「はい、いらっしゃい!」
人のよさそうな女将がリムリィを迎え入れる。カウンター席に案内された後に暖かいお茶とメニューが差し出される。
「ご注文が決まったら声をかけてくださいね。」
女将の気持ちのいいくらいの元気の良さがリムリィの空腹に響く。メニューを見ると豚の生姜焼き定食やさんまの塩焼き定食、煮込みハンバーグ定食などどれも美味しそうなものだった。しかし値段のところを見ると自分が手を出せるようなものではなかった。財布の中身を見ると白飯すら頼めないような惨状だ。涙目になりながらリムリィは項垂れた。
「お客さん、どうしたんですか。」
「ごめんなさい。せっかくお茶を出してもらったんですが注文はいいです。」
というよりは注文できないです。消え入るような声でそう呟いた後にリムリィは財布の中身の小銭を女将に見せた。「あらら…」と呟いた女将の表情も困惑したものになる。そんな中でリムリィの腹の虫だけがきゅるきゅると主張を続ける。女将はしばし思案した後で立ち去ろうとしたリムリィを制するとカウンター越しに黙って仕込みを続けていた店主に声をかける。
「あんたっ!!」
店主は黙って頷くと手際よく調理を開始した。ひと手間二手間かかって出てきたのは大盛りのご飯とトン汁、そして野菜と豚肉の甘味噌炒めだった。目の前に出された料理に困惑したリムリィに女将は豪快な笑顔を見せた。
「いい若いもんが細かいこと気にすんじゃないよ。困った時はお互いさまってもんさ。」
「でもお代が…」
「あんたが持ってる小銭を出してくれればいい。そうだろう、あんた。」
おかみの言葉に店主は黙って頷いた。思わぬ優しさに触れたリムリィは胸が暖かくなった。ありがとうございます、ありがとうございます。そう言いながら涙を隠すように貪った。かきこんだご飯は涙のせいなのかほんのり塩辛く感じた。




