剣劇は響く 高らかに(7)
かつてこの世界の境界と他の世界の境界がまだあいまいであった時代。大地を統べるのは天狼と呼ばれる心優しき一匹の大きな狼であった。彼は生まれながらの神の眷属であり、守護者であった。その鋭い牙で天狼は大地を脅かす悪神や邪悪なる龍に立ち向かって人間達を守る。自らを作り出した虎の神から与えられた使命に誇りを持っていた。だが彼は生まれながらに孤独であった。高い知能は持ちながらも耳まで裂けた大きな口は狼の言葉でしか話せない。そもそも人間と意思の疎通ができなかったのである。人間というのは脆弱な種族であった。神々と違って念話で会話をすることもできないし、病気や怪我ですぐに死ぬ。そんな脆弱さゆえに天狼は人間を悪神達の脅威から守った。人間達も天狼を畏怖して崇めたが決してその縄張りには近づかなかった。畏怖すべき生き物であるが、決して近づいてはいけない存在。それが彼らにとっての天狼という生き物であった。天狼の側から仲良くなりたいと人の集落を訪れても人は彼を恐れるあまりに逃げ惑う。天狼はそれが悲しかった。天狼はそんなジレンマを抱えながら数百年を生きた。だが、どうすれば人間と仲良くできるのかという答えは見つからなかった。そんなある日に天狼を決心させる一つの大きな出来事があった。大雨による川の氾濫で下流の村が流されたことであった。前もって川の氾濫が分かっていた天狼は狼の言葉で必死に人間達に呼び掛けた。だが、彼の言葉は空しく届かずに多くの人間が川の濁流の犠牲になった。嘆き悲しんだ天狼は天上界にある虎の神様の元を訪れた。虎の神様というのは青龍、玄武、朱雀の仲間と共に世界全体を守る大いなる四神の一柱、すなわち白虎である。その長き存在の果てに寿命が尽きかけて代替わりが必要となっていた虎の神様には天狼の願いを直接叶える力はすでになかった。だが、自らの神位を譲ることで天狼に知識を与えることはできるといった。天狼はその言葉に迷ったが、自分の目の前で死んでいった人間達のことが脳裏に焼き付いて離れなかったことから呻吟の後に承諾した。虎の神様と同化することで神の神位を受け継いだ天狼は人間の姿に化身できるようになった。虎の神様とも意識を共有した彼は人語も自在に扱えるようになり、人里に降りて人間を守るようになった。やがて彼は人間の娘との間に子を成して人間の世界に溶け込んでいった。もはや孤独な狼はそこにはいなかったのである。
◇
「こうして人の世界に溶け込んだ天狼の子供たちは世界に根付いて繁栄していった。それが孤狼族の起こりじゃよ。」
仙人の言葉はそこでいったん区切られた。沈黙の中を囲炉裏の薪だけがぱちぱちと燃える音が響いた。仙人の語る神話の一端はコロにとっても聞き覚えのある話であった。だが、天狼についてのここまで詳しい話は聞いたことがなかった。
「なぜ、大神仙人様はそこまで天狼のことに詳しいんですか。」
「父親の話を息子が知っているのは当然じゃろう。」
大神仙人は当たり前のように笑ってそう言ったがコロは絶句した。創世神話から考えたら1000年どころではない。そんな長い年月をこの老人は生きてきたというのか。コロの疑問を察したのか仙人は答えた。
「わしにも神の血が流れておるからのう。人より少し長生きなんじゃ。」
「あの、仙人様は今おいくつなんですか。」
「600歳あたりが過ぎてからはよく覚えておらぬよ。」
コロの質問に仙人は苦笑して手を横に振った。そしてそのままコロの目を真っすぐに見た。
「驚いておるようじゃが、お前さんも神の血を受け継いでおるのじゃぞ。」
「…ぼくもですか。」
「おまえさんだけではない。孤狼族全体がこの大地の守護者である白虎の血を引いておるのじゃ。」
仙人はそう言って自らの胸の前に手を当てた。その言葉がコロに語り掛けるものであるだけでなく、自らにも当てはまる言葉であったからだ。その身に流れる血のことを想い、コロは胸の内が熱くなった。




