閑話休題 湯煙温泉奇行(8)【終】
その後も盛り上がったままで次の店に繰り出そうとする部下たちを置いて少尉は宿に戻ることにした。酒は好きだが次の日に酒を残して有事の際に動けないでは話にならない。部下たちにもほどほどにしておくように言い含めると少尉は一人で岐路についた。とはいえ、アルコール度数の高い酒をしこたま飲んだ状態ですこぶる気持ちが悪い。意識も朦朧としている。地に足がついている感覚がまったくしない。これも全て刮目のせいだ。いい加減に年を考えた飲み方をしろ、あのちょび髭野郎。胃の中が反芻しかけるのを必死でこらえながら少尉は悪態をついた。あの男は出会った頃から人に対する接し方が全く変わらないのだ。実のところ、それこそが刮目の部下から慕われている理由であり、少尉自身が刮目との付き合いを続ける理由なのだがそれに気づくことはない。千鳥足で宿に戻ると部屋にまだ明かりがついていることに気づいた。もうすでに深夜である。当の昔に寝ているはずであろうにいったいいかなることか。不測の事態に備えて少尉の意識が切り替わる。だが、襖を開けた瞬間にそんな気持ちは吹っ飛んだ。そこには目を座らせたまま、お猪口で酒をあおる弧麗の姿があったからだ。はしたないことに浴衣を着たままで胡坐をかいているせいで下着が完全に見えている。おまけにはだけた肩からかかる髪の毛が妙に艶めかしい。コロがこの場にいなくてよかった。収拾のつかない事態になるのは目に見えていた。一体何本飲んだのか、床には数えきれない空の徳利が転がっていた。
「…ようやく帰ってきたあ。ひっく。」
目を座らせながら孤麗が少尉を睨む。完全に酔っぱらっている。
「ごえいたいしょーを放って飲みにいくとはなにごとだあ。」
うわあ、めんどくせえ、こういう酔っ払いどもの相手をもうしないで済むと思って帰ってきたのにこれは一体いかなることか。少尉は酒から来るのとは違う頭痛に頭を抱えたくなった。大体リムリィは何をしていたんだ、責任転嫁をしようとして少尉は辺りを見渡してリムリィの姿を探した。いた、尻だけ突き出すようにして畳に突っ伏している。「もう飲めません、孤麗さん、もう飲めません…しょういどの、早く帰ってきて…」とうわ言のように繰り返している辺り、彼女なりに自分の職責を全うして果てたのだろう。すまん、一瞬でも貴様を疑った俺を許せ。少尉は心の中でリムリィに謝った。さりとて問題は目の前の酔っ払いをどうするかであろう。
「飲みすぎだぞ、孤麗。いい加減にしろ。」
そんなに酒は強くなかったはずだ。さすがにこれ以上飲ませるわけにはいかないと少尉は孤麗の手からお猪口を奪い取ろうとした。
「やーだー、取らないでー。」
「いいから貸せ。」
抵抗する孤麗から強引に奪い取ろうとしたせいで少尉は態勢を崩した。期せずして孤麗を押し倒す形で倒れてしまう。胸元に孤麗の柔らかなふくらみを感じた。孤麗はとろんとした目でこっちを見ている。完全に襲う態勢になってしまっている。おまけに相手もまんざらではないようだ。お約束であればここで手を出してしまうのだが、少尉は残る理性でそれを押しとどめた。そんな少尉の様子を孤麗は悲しそうに見ていた。そして呟く。
「やっぱり嫌いなんですか。」
ふいをつかれたその言葉に少尉は言葉を失った。うるんだ瞳でそう尋ねる孤麗を不覚にもいとおしいと想ってしまった。
「そうじゃない。俺にとってお前は娘のようなもんなんだよ。」
そう言ってなだめようとしたが孤麗の瞳に大粒の涙が溜まっていく。あ、これやばいやつだ。過去の体験からこれから起こる事態を理解した少尉の目の前で孤麗はわんわんと泣き出した。結局、孤麗が泣き止むまで少尉は横について宥めることになった。
◇
コロが戻ると部屋に少尉たちの姿はなかった。すでに就寝したのかな。気持ちよく酔いが回った状態で辺りを見渡すと畳に突っ伏したリムリィの姿を発見した。酔いつぶれている。突き出した尻が妙にエロい。コロは緩んだ理性の中でそう思った。しかし、酔っぱらっているとはいえコロはリムリィの兄貴分だった。さすがにそのままの姿勢はかわいそうだと声をかけることにした。
「リムリィ、そんなところで寝ると風邪ひくぞ。」
そういって何回か揺さぶるとリムリィは意識を取り戻して起き上がった。
「…コロ兄さま…。」
コロの顔を見るなり、そのまま何故かリムリィはその胸になだれかかった。びっくりしたのはコロである。僕の妹分はどうしたというんだ。まさか僕のことを。ドギマギしながらコロは硬直した。そんなコロの目の前でリムリィはコロの瞳をうるんだ瞳で見つめながら言った。
「コロ兄さま…」
「なんだい。」
「…気持ちが…悪いです…」
うえろえろえろえろ…。次の瞬間にコロの目の前でリムリィは全てを吐き出した。コロの絶叫が宿中に響き渡ったのはいうまでもない。




