閑話休題 湯煙温泉奇行(6)
実に剣呑な雰囲気になった少尉の機嫌を直すことになったきっかけはその日の夕食であった。食事の準備ができたということで宴会場に案内された一行は目の前に準備された料理の数々を見て言葉を失った。色とりどりの魚介類と山海の珍味で溢れていたからだ。両手で抱えきれないのではないかという大きさの舟に盛られた舟盛には舟に負けないくらいに大きな鯛が丸々一尾捌かれて乗っていた。鯛の周囲にはマグロの赤身や中トロ、ハマチの刺身、甘海老の刺身がこれでもかというくらい盛られていた。席についたリムリィがおっかなびっくりしながら鯛の口をつつくとパクパクと口を痙攣させた。まだ捌かれたばかりなのだろう。
「しょーいどの、この鯛まだ生きてますよ。」
少尉にそう呼び掛けながらリムリィはあり得ないくらいに尻尾をブンブン振っている。どうやら大喜びしているようだ。
「なんという豪華絢爛な料理なのだ。私は今日まで生き延びた喜びを嚙みしめている。」
目じりにほんのりと涙を浮かばせながら少尉は目の前の料理に感動していた。挨拶もそこそこに皆が料理に手をつけるとそこら中から感嘆の叫びが上がる。
「なんなんだ、このマグロは。口に入れた瞬間に舌の上でとろけやがった。」
「この鯛、鮮度が違いますよ。弾力があるのに旨味も半端ないです。」
「脂がのったハマチがここまで美味しいとは。」
「甘海老ぷりぷりしすぎ!」
「びゃあああ、このお椀の海老の海老しんじょうの旨さといったら。何ちゅうもんを食わせるんや。」
普段このような豪華な食事をしていない少尉たちの部隊にはこの料理の刺激は強すぎた。中には涙を流しながら料理を掻っ込むものまで出てくる始末である。うまい料理にはうまい酒がよく合う。出された酒をお猪口でちょいちょい飲みながらほんのり出来上がった頃には少尉のコロへの怒りはすっかりなくなっていた。
◇
酒を飲んでバカ騒ぎした少尉たち一行はその勢いのままで夜の街に繰り出す事になった。ようはコロの欲求不満が解消されればいいのだ。女の子のいる店にいって楽しめば欲求不満も解消できますよ。部下から上がったその提案を少尉は名案だと採用した。さすがに女の子二人を連れてくるわけにはいかずに宿の部屋に残すことになった。自分たちがいない間に狙われないか若干の不安があったが、その不安はとある人間の存在に気づいたことでなくなった。天龍王の近衛である影の者が宿の人間に扮装して護衛をしていたことに気づいたからである。影の者は手練れだ。少尉ですらまともに戦ったらどうなるか危うい。
「あんたがいるなら私たちの護衛は必要なかったんじゃないのか。」
「貴方たちも息抜きしたいはずだろうという王からの配慮ですよ。」
「龍のやつめ。粋な真似を。この礼は必ずさせてもらう。」
「ではいつものかりんとう饅頭を所望いたします。」
「ぬっふっふ、まかせておけぃ。」
悪代官のような表情で少尉は笑った。実際、影の者とは何度か面識があった。かりんとう饅頭とは天龍王のもとに私用で少尉が訪れる際に買ってくる土産である。油でカリカリに揚げた生地の中にあんこが入った菓子である。影の者はこれが大好物なのだ。影の者に別れを告げると少尉たちは夜の街に繰り出した。
◇
夜の街に繰り出した少尉達は店の前で見知った連中を発見した。卜部刮目と西方刮目師団の面々である。
「おい、不沈艦。こんなところで何をしている。」
「おお、ぽっぽ屋ではないか。貴様こそなぜここにいるんだ。」
「野暮用だよ。そういうお前らはひょっとして湯治か。」
「…そういうことだ。」
刮目はそう言って憮然としながら包帯がぐるぐる巻かれた片足を示した。実は先日の戦いで刮目は負傷している。とはいっても実はスズメバチの戦いの最中ではなく地中から出現した剛鉄に驚いて後ずさって尻もちをついた際に足を痛めたというのが真実である。流石に恥ずかしくて部下にはそれを話してはいない。
「ここの温泉は打ち身などに効くというからな。部下たちの静養を兼ねてやってきているわけだ。」
「ほう、静養ね。」
刮目達が入ろうとしていた店の看板を見上げながら少尉は苦笑いした。店の看板はネオンで華やかに光り輝いていた。店の名は桃源郷。あきらかにいかがわしい。
「まあいいや。一緒にいこうか。」
「え、貴様たちも来るのか…」
「何かやましいことでもあるのか。」
「いや、そういうわけではないのだが。」
あきらかに言葉を濁す刮目を伴って少尉たちは店の中に入っていった。




