閑話休題 湯煙温泉奇行(2)
◇
「少尉殿とお知り合いだったんですか!!」
耳元で大声を出されて孤麗は顔をしかめた。大声出さないでほしいなあ、そんなことを考えながら自分の年下の従妹の姿を眺める。そんな彼女の視線に気づいて気づかずかリムリィは目をきらきら光らせながら孤麗のほうを見ている。そんな彼女の視線を眩しく思いながら孤麗は答えた。
「真兄さんが天龍王様と行動を共にしていた時に世話になったのよ。」
実は孤麗の軍略の基礎的な考え方を仕込んだのは少尉である。よく作戦立案に少尉は文句を言っているが、まさかその原因が自分の教育のせいであるとは夢にも思わないだろう。故郷から焼け出されて身寄りを亡くした時に親身になって接してくれたのが少尉であった。自分の面倒を見てくれただけでなく、物の考え方や復讐に役立てられる軍略もその時に教わったのだ。力がないから全てを奪われるのならば力を身につけろ、嘆く暇があるなら剣を持って戦え。それが少尉の教えだった。その教えがあったからこそ現在の自分がある。孤麗にとって彼はよき師であり兄であり憧れる存在であった。
「褒めてくれるときはいつも頭を撫でてくれたわ。」
「はわわわ…私はあんまりされたことないです。」
孤麗の言葉にリムリィは本当にうらやましそうに口を尖らせた。孤麗は微笑を浮かべながら風呂敷からおはぎの入った箱を取り出すとリムリィに差し出した。
「よかったら食べる?私の大好物なんだけどこういうものは一緒に食べたほうが美味しいから。」
「ええ、いいんですか。甘いものは大好きです!」
リムリィは尻尾をパタパタと振りながら目を輝かせた。私もこうやって餌付けされたっけ。そんなことを思いながら孤麗は昔を思い出していた。
◇
『おい、犬ッコロ。そんな隅っこにいないでこっちに来て飯を食えよ。』
『そんなんだからお前はガリガリなんだ、もっと肉を食え、肉を。』
当時、故郷の仲間や家族を皆殺しにされて心を閉ざして孤麗に対して少尉は現在とあまり変わらない乱暴なやり方で強引に接していった。本当にめちゃくちゃだった。嫌がる孤麗の口に無理やりでも飯を突っ込んで食べさせる姿は見るものが見れば折檻を行っているようにしか見えなかっただろう。
『お前が死んだって誰も悲しまない。泣く奴なんぞみんな死んだんだよ。ざまあみろ。』
『くやしいか、俺が憎いか。だったら食って生き延びろ。』
今思えばあの接し方はわざとだったのだ。憎しみの対象を自分にすることで復讐心を煽って悔しさをバネに生き延びるように仕向けたのだ。そうでなければ生きる意味を見失って餓死していただろう。随分後になってから少尉自身が実の両親と死に別れて孤児となった後で同じように考えることで生き延びてきたのだと天龍王から教わった。乱暴なのも言い方がきついのも孤麗を思えばこそ。それを知ってからは孤麗の中で少尉に対する見方が変わった。乱暴者の人間から尊敬すべき指標となった彼から孤麗は生き延びるためのイロハを叩きこまれた。そんな彼が自分を本当に褒めてくれるときは頭を撫でておはぎを差し出してくれたものだ。
◇
私がおはぎを好きになったのは多分その時かな。というよりおはぎよりもあの人のことを…。孤麗の物思いはリムリィによって唐突に遮られた。急に声をかけられて孤麗の意識が現実に引き戻される。
「孤麗さん、おーい、聞いていますか。」
「ごめんなさい、全然聞いてなかったわ。」
「もう!孤麗さんの分まで食べてしまいますよって聞いてたのに、いいんですか。」
「それは…」
やめてもらえるかしら。そう言うと同時に孤麗は更におはぎを取ろうとしたリムリィの手首を強引に掴みあげる。箱の中を見て仰天した。6個あったおはぎがすでに2個に減っているではないか。自分が物思いに浸っていた時に一体何孤食べたのだ、この子は。孤麗の中で何かが静かに切れた。おそらくは堪忍袋の緒だったのかもしれない。ぎりぎりとリムリィの手首を掴む手に力が入る。
「うふふ、一体あなたは何個食べる気かしら。」
「いたた、痛い、孤麗さん!ごめんなさい、調子に乗りすぎました!もう食べません!けぷっ!」
「うふふふ、ごめんで済んだら戦争になんてならないのよ。」
かつて少尉によって柔術を仕込まれた孤麗の握力は普通の女のものではなかった。食べ物の恨みは怖い、孤麗は怒らせないようにしよう。手首を掴まれながらリムリィは心に深く誓った。




