曇り時々晴れ ところにより蜂の雲(10)
◇
作戦本部からの指示を受けた少尉は引きつった笑いを浮かべた。
「大本営は何を考えてるんだ、冗談がきつすぎるだろう。」
悪質な冗談だ。女王蜂を連れてスズメバチを郊外におびき出せだと。鬼ごっこだとしても鬼の数が多すぎる。完全に頭に血が上った少尉は指示を持ってきた通信兵の胸倉を乱暴に掴んだ。
「俺たちに死ねというのか。」
「わ、私に言われましても。」
「やめろ、この男は大本営からの指示を伝えにきただけで悪意はない。」
「くそっ。」
刮目に諫められてからようやく少尉は我に帰った。どうやら完全に我を忘れていたようである。胸倉を掴まれて息ができなかった通信兵は解放されたことでようやく呼吸ができてむせ返りながらも言った。
「大本営はこうも言っていました。この任務は天龍王様の信頼厚い「ちはや」の乗員の皆様でなければ遂行できないだろうと。そしてこの任務を失敗すればかつてないほど甚大な被害が出るから絶対に断らないようにと…。」
「言われなくてもやるしかないだろう。」
彼我の戦力差を見ればあきらかだ。先ほどの戦いだけでも兵たちは疲弊しきっている。弾薬の数も限りがある以上、これ以上戦いを続けるのは賢い策ではない。少尉は大きくため息をついた後に気分と思考を切り替える。
「諸君、聞いての通りだ。いつも通りの地獄行きの片道切符となるが付き合ってくれるか。」
そう言った後に少尉は自らの部下の面持ちを確認した。皆、これから死地に赴くとは思えないほどいい顔をしていた。なぜそんな表情ができるのだ。頭がおかしいのではないか。そんな風に思いながらも同時にこうも思った。この馬鹿どもを殺すわけにはいかないな。
「ぽっぽ屋、貴様はいい部下に恵まれているな。」
刮目の言葉に頷きながら少尉は帽子の鍔を深く降ろした。そのせいで表情は確認できないが口元を見る限り笑っているようであった。照れ隠しをするようにもう一人の部下に命じる。
「剛鉄、いるのだろう。さっさと出てこい。出発するぞ。」
【仰せのままに。】
地の底から響いた声の後で地中から剛鉄が姿を現す。その姿を見て刮目は仰天して尻もちをついた。
「ぽっぽ屋、なんだ、その機関車は。百足の足をしているではないか!!」
百足との交戦の恐怖の記憶がまだ新しい刮目にとっては機関車と百足が合わさったような剛鉄のフォルムはトラウマ以外のなにものでもなかった。刮目の様子に苦笑しながらも少尉は仲間たちと共に乗車を開始した。
◇
剛鉄が地中潜行で女王蜂のところにたどり着いて停車するとすぐさま乗員達は作業を開始した。彼らは素早く女王蜂の体を固定している鋼線ワイヤーのフックを剛鉄の最後部車両に固定した後で発車合図の空砲を放った。同時に剛鉄は線路のない地面を走り始める。通常であれば敷石であるバラストがない道路を列車が走ろうとするとその重量で地面が陥没してしまう。万が一道路に陥没しなかったとしてもレールがなければフルスピード時の車体の走行バランスが耐え切れずに脱線してしまうだろう。剛鉄の百足の足はそれを防ぐ補助輪と緩衝材の役割を同時に行っていた。絶妙な力加減と速さで剛鉄の速度を全く殺すことなく走り切ることが可能なのだ。
剛鉄が走っていく後を凄まじい数のスズメバチが追いかけていく。集中攻撃を受ければいくら剛鉄といえどもひとたまりもないだろう。早速蜂の群れから一匹が飛び出すと最後車両にしがみつこうとしてきた。
「させるか。」
少尉は静かにそう言い放って狙いを絞った後で長距離ライフルを撃った。一本の真っすぐな弾道は弱点である蜂の複眼を貫通して脳髄へ至った。力を失ってスズメバチが堕ちていく。
「一発ですか。流石は少尉殿ですね。」
「おだてるな。昔より腕は落ちてるよ。」
コロの賞賛に苦笑いしながらも少尉は次の狙いを絞っては次々に標的を仕留めていった。だがスズメバチの数は減ることはない。むしろ追い付こうとしている蜂はその数を増しているようだった。
【尻尾で薙ぎ払いましょうか。】
「その尻尾である最後尾車両に女王蜂は引っかかってるんだがな。」
どこの世界に生餌が攻撃してくる釣りがあるというのか、剛鉄の意見を却下しながら少尉は次弾の装填準備を行った。そんな矢先、剛鉄の頭上から何か機械的な飛行音が聞こえてきた。コロが興奮した口調で少尉に報告する。
「少尉殿、空軍です!空軍の戦闘機部隊が応援に来ました。」
「遅いんだよ、あのノロマども。」
そう言って悪態をつきながらも少尉は嗤った。空軍の戦闘機は剛鉄の進行する方向から飛んできた。剛鉄の頭上を飛翔して最後尾車両を追い越した後に追ってくるスズメバチに機関銃の砲弾を嫌というほどに浴びせる。蜂の頭が無残に爆ぜていくのを確認した後に飛行士は戦闘機を駆って再び上空に旋回していく。それを脅威と悟った何匹かのスズメバチが飛行機を追って上空へ飛翔していったおかげで蜂の群れとの距離を稼ぐことができた。
「少しは役に立ってくれたようだな。」
少尉は悪態をつきながら装填が終わったライフルを構えた。
「少尉殿、指定されたポイントの廃墟が見えてきました!」
「ならばよし。」
そう言って少尉は凶悪すぎる表情でほほ笑んだ。




