虎狼と剣狼(8)
蜘蛛は巣を張ってずっと待っていた。愛しい我が子たちが餌をこちらに追い立ててくることを。空腹をまぎらわすために糸で固めた餌をひとつ取り出すと牙をたててボリボリと咀嚼する。ぶしゃりと血と肉が口いっぱいに広がる味を味わいながら蜘蛛は歓喜に打ち震えた。この獲物同様にこれから来る獲物がとても美味であることを蜘蛛は知っていた。だからこそ楽しみであった。獲物を捕獲して糸で身動きが取れない状態になってからゆっくりと食事をする瞬間を。柔らかい肉に牙を突き立てて獲物が死んでいく様を見るのが蜘蛛のなによりの楽しみだった。
キチキチキチ。
牙をすり合わせた時に発する独特の音を鳴らしながら蜘蛛は待ち続けた。だからこそ追い立てられた獲物、つまりは人間がいうところの列車がやってきた時に蜘蛛は歓喜に打ち震えながらもすみやかに行動を行った。口から粘着性のある糸を吐き出すと獲物である列車に張り付ける。列車と自分との大きさはあまり変わらなかったが力の強さはこちらのほうが上だった。だからこそ蜘蛛は力任せに列車を引っ張り上げた。かなりの速度が出ていたために線路から脱線した列車はその速度そのままに横転していく。獲物が動かなくなったことを確認すると蜘蛛はゆっくりと列車に近づいていった。
◇
列車が横転した衝撃でリムリィは気絶していた。さいわいなことに大きな傷はなかった。彼女の護衛を行っていた乗員がその身を投げうって彼女をかばったからである。
キチキチキチ。
耳障りな異音を耳にして意識を取り戻したリムリィはゆっくりと目を開けた。開けた瞬間に悲鳴を上げそうになる。眼前にいたのが巨大な蜘蛛の顔だったからだ。蜘蛛はゆっくりとこちらを眺めている。観察をしているようであった。リムリィは恐怖でひきつった顔でその場から逃げようとした。だが、気絶している乗員が上に乗っかっているせいで身動きができなかった。蜘蛛はしばしリムリィを観察した後でゆっくりとその大きな口を開いた。鋭そうな牙だった。ひとつひとつが鋭利な刃物のように尖っている。刺されたら痛いどころではないだろう。リムリィが涙目になって悲鳴をあげようとした。だが、あまりの恐怖で声をうまく発することができなかった。そんな彼女に蜘蛛はゆっくりとその牙を突き立てようと。
【やらせませんよ!】
次の瞬間だった。突如として隆起した地面から機関車の頭が突き出した。機関車は蜘蛛の腹部に思い切り体当たりを行う。蜘蛛が一瞬宙に舞う。土中から出現した機関車はその最後尾の車両を尻尾のように振り回すと蜘蛛を思い切り薙ぎ払った。その姿は列車というよりは大きな百足が暴れているようにしか見えなかった。リムリィは呆然とその姿を眺めるしかなかった。そして呟く。
「…剛鉄。」
【ご恩返しに参りましたよ、リムリィ殿。詳しい話はこの無粋な悪漢をどうにかしてからにしましょう。】
リムリィの呟きに答えた後に剛鉄は一つの武装を解放した。列車の先頭が隆起して大口径の大砲がせり上がっていく。それはまるで触角のようであった。剛鉄は大砲を突き出したまま、フルスピードで蜘蛛に突っ込んだ。砲身が蜘蛛の胴体にめり込む。
【零距離主砲発射!】
砲身を蜘蛛に突っ込ませたまま剛鉄は主砲を発射した。次の瞬間に蜘蛛の胴体に大穴を開いた。そして打ち上げられるように宙を舞った後に地面に落下した。大重量が落下した影響で大地が揺れる。唖然となったのはリムリィだけではない。少尉とコロも同様であった。
「なんであいつが生きている。」
「あああ、一難去ってまた一難だ。」
呆然となった少尉の言葉にコロは頭を抱えた。少尉とコロからしてみれば脅威の対象が蜘蛛から化け物列車にすり替わったに過ぎない。しかもこちらの虎の子の戦力である「ちはや」は横転してしまって使い道にならない。そんな二人の様子を知ってか知らずに剛鉄が不用意に近づいていく。
【お久しぶりです、少尉殿。その節はご迷惑をおかけして…】
「コロ、抜刀を許可する。」
「もう抜いています!」
少尉の言葉を待たずにコロは切りかかった。直後、その強固な装甲に弾かれる。そのコロの様子に苦虫を噛みつぶしながら少尉は次の案を練る。そして近くにいた乗員に話しかける。
「おい、「ちはや」の主砲は使えるか。」
「横転していますが確認します。」
「急げよ、残りのものは時間稼ぎだ。総員射撃用意!!」
【あの、話聞いてもらえます。】
そう言ってたじろぐ剛鉄の様子に二人が気づくのはそれからしばらく後のことであった。




