虎狼と剣狼(4)
宿に戻った少尉はすぐに皆を集めると「ちはや」へ向かった。道中で追手が来ないか警戒をしながらも無事に駅舎にたどり着いた少尉たちは「ちはや」に乗り込むと夜の闇の中で出発した。乗員達に哨戒を怠らないように伝えた後に「ちはや」の操縦をまかせると少尉はリムリィを伴ってコロの治療を開始した。大小の切り傷はそこまで深くないのでなんとかなりそうだが厄介なのは外れた右肩である。少尉は肩の様子をしばらく確認した後で掌を肩に添えた。
「少し痛むが我慢しろ。」
「ぐっ!」
あっという間に肩をはめてしまった。唐突な激痛にコロが短い悲鳴を上げるが、少尉は涼しい顔で尋ねる。
「まだ痛むか。」
「いえ、大丈夫です。」
はまった肩を確認しながらも涙目でコロは答えた。少尉は黙って頷くと包帯と傷薬による簡易的な治療を行うようにリムリィに促した。治療を受ける様子を眺めながらも尋ねる。
「お前が剣でここまでやられるとは珍しいな。」
「面目ありません。」
コロの戦闘力の高さを少尉は知っている。単騎であれば中型の混虫とも互角に渡り合える腕前であり、その剣の腕で何度も救われている。その男をここまで痛めつける相手がただものとは思えなかった。
「僕と少尉殿の命を狙っているようでした。」
「何者だ。」
「…虫を移植された昔馴染みです。」
「おい、今何と言った。」
その言葉に少尉はリムリィをはねのけるとコロの胸倉を掴んだ。少尉のその表情はいつもの冷静さを欠いたものであった。
「少尉殿、なにを。」
「虫の移植手術だと。そんな真似ができるのはあの外道をおいて他にはいない。あいつが生きていた、そんな馬鹿な話があってたまるか。」
「しょういどの!コロ兄さまを離してください!」
その腕にすがりついてきたリムリィの懇願にようやく少尉は我に返って手を離した。彼自身そんなことをするつもりがなかったのか、その手をしばし見つめて放心していた。
「…すまん。」
尋常でない驚きながらもせき込んだあとにコロは尋ねた。
「心あたりがあるんですか。」
「ベルゼベード。大戦中にアイゼンライヒから亡命した悪逆非道の科学者だ。」
苦虫を噛みつぶした表情で少尉は呟いた。
◇
かつて世界征服を行なおうとした軍事国家アイゼンライヒ。ベルゼベードはその国に属した科学者だった。軍に所属した彼が行なったことは『混虫』という素体を人体に移植して強化するという「強化兵作成計画」という名の人体実験であった。実験は当初捕虜や罪人といったものが選ばれたが成功率は非常に低いものでそのほとんどが死亡または自我の欠落で暴走して廃却されていった。狂気の実験だった。アイゼンライヒ軍部でも次第に彼の思想は問題視されるようになった。このままでは処分される。そう思ったベルゼベードが行なったことは東側にある蒼龍王国への亡命であった。彼の技術に興味を示した軍部は彼を軍部に招き入れて保護した。そこから彼は水を得た魚のように人体実験を行った。多くの屍が生まれた。その実験の中には戦争を終らせるべく志願した少尉の幼馴染もいた。だが戻ってきた友は変わり果てた姿で帰ってきた。混虫と人間が混ざり合った化け物の姿で。自我をほとんど失いながらも彼は最期に人間として死にたいと少尉に介錯を頼んだのだ。少尉は涙を流しながらも友の介錯を行った後でベルゼベードへの復讐を誓った。そして紆余曲折のすえにベルゼベードに止めを刺したはずだった。そのベルゼベードが生きている。少尉にとってそれは悪夢でしかなかった。




