曇り時々豪雨ところにより蛾(6)【終】
時間は少し遡る。少尉たちが発った後にこはね達は持てる技術の粋を尽くして240mm列車砲の修理を完了させた。そして狙撃準備を開始すると、あらかじめ打ち合わせていた時間に間に合わせるように蛾の狙撃準備を行った。狙撃手は雨がやんで雲の合間に現れた蛾の姿を巨大な狙撃スコープの真正面に捉えると合図を行った。同時に地響きのような怒号を上げながら砲弾が真っすぐに天空を貫く。狙撃手は人づてであるが命中した手ごたえを感じてスコープを見た。次に視認したのは蛾が力なく地上に堕ちていく様子であった。うまくいってよかった、狙撃手が胸を撫で下ろしたの言うまでもない。万が一仕損じた場合、蛾は暴れ狂って鱗粉をまき散らしながら飛行を続けことになれば汚染地域が拡大して犠牲者は芋づる式に増えていたはずだ。それだけは何としても避けねばならなかった。
「蛾の狙撃成功を確認しました。」
「よくやってくれました。」
こはねは報告を受けると満足そうに頷いた。時間に間に合ってよかった。こはねはそう思った。彼らが急いでいた理由は爆撃機が出撃する時間が決まっていたからだ。狙撃が失敗すれば作戦自体が失敗になっていた。
「……少尉殿。どうかご無事で。」
爆撃は予定通りの時刻に行われる。後は少尉たちが無事に戻ってくるのを待つだけだ。こはねは逃げ遅れた避難民の救助に向かった少尉たちの無事を祈った。
◇
「これで死んだら化けてでてやる。」
少尉はそう言って唇をかんだ。「ちはや」の背後から爆風が迫る。それから逃げ出すかのように列車は疾走していた。迫りくる死の恐怖を忘れるために少尉はコロに尋ねた。
「コロ君!」
「なんでしょう。」
「私は天国に行けると思うかね。」
「無理でしょうね。」
「なぜだね。」
「ご自分が一番ご存知じゃないですか。」
「はははは。違いない。」
死後の世界があるならば確実に地獄行きだ。まったく信じていないがな。そう心の中で毒つきながら少尉は笑った。笑えば笑うほど死の恐怖がまぎれる気がした。コロも笑おうとしたが、恐怖のあまりか引きつった笑いしか浮かばなかった。「ちはや」はすんでのところで爆風に巻き込まれそうになりながらも渾身の走りによって振り切った。
「報告します。爆発の影響下を脱した模様。」
「ははは…また死にぞこなったみたいだな。」
そう言って悪態を叩きながらも少尉はそのままへたりこんだ。コロも少尉に習うようにしてへたりこむ。
「小便ちびりそうになりましたよ。」
「私は少しちびったよ。」
少尉がむっつりした表情のままそう言うとコロは力なく笑った。
◇
こはね達がいる整備基地駅にたどり着いた「ちはや」はすぐに特殊な洗浄液によって洗浄が行なわれた。少尉たちも同様である。少尉たちが防護服を脱ぐことができたのはすべての洗浄が終えられた後であった。その日は整備基地内でささやかな宴が開かれ、基地にいたすべてのものが少尉たちの偉業を称えた。本来は軍上層部の命令にない行動のために記録に残ることはなかったが、少尉たちの行動は人々の記憶には確かに残ったのだ。
そして次の日、少尉たちは少年たちを避難先の駅に送ることになった。見送りにきたのはこはねと彼女の部下の整備兵たちであった。自分たちの仕事もあるだろうにご苦労なことだな、少尉はそう思ったが口には出さなかった。
「英雄と共に行動できたことを誇りに思います。」
こはねがそう言うと少尉は首を横に振った。
「それは違うな。」
少尉の言葉にこはねが首をかしげる。
「私から言わせれば君たちのほうが英雄だからさ。整備兵は表舞台に立つことはない。だが、君たちがいなければ我々だって満足に戦えないんだ。」
少尉はそう言ってほがらかに笑って手を差し出した。
「だれからも称えられなくともその職務に誇りを持って行動している。それは私にはできないことだよ。」
こはねはその言葉に涙ぐみそうになりながらもグッと我慢してこらえた。そして少尉の手を両手で握り返した。
「どうかお元気で。」
「君たちもな」
少尉はそう言ってほがらかに笑うと列車に乗り込んだ。出発を告げる汽笛が鳴らされると「ちはや」はゆっくりと動き出した。こはね達は手を振りながら見送った。列車が見えなくなるまでこはね達はその場から立ち去ろうとせずに手を振り続けた。




