白虎を継ぐもの(4)
リムリィが意識を取り戻して落ち着いたのを確認した後に少尉は孤狼族の英霊を伴って立ち去っていった。霊というものをはじめてみてしまい、面食らったリムリィはしばし茫然としていた。だが、徐々に意識がはっきりしてくると赤面した。先ほどの膝枕を思い出したのだ。あれほど間近に少尉殿の顔を見たのは初めてかもしれない。凛々しいお顔をしていたなあ。リムリィはそんなことを思いながら恥ずかしさを誤魔化すようにモップ掃除を始めた。掃除をしながらも思い出すのは昔の思い出だった。
リムリィにとって真一郎という男は血の繋がっていない父親のように頼れる存在だった。背こそそこまでは大きくないものの、奴隷商から自分を救ってくれた時の背中の大きさは今でも忘れられない。
奴隷商からなかば誘拐のように引き取られたリムリィはなし崩しに戦闘列車『ちはや』で働くことになった。今思うと大変だった。暴力こそないものの働かざる者食うべからずの姿勢の少尉の厳しい指導の下で働き出したリムリィはたくさんたくさん怒られた。蜂や蟻といった巨大混虫に襲われて怖い思いをしたことも数えきれない。
だが、窮地に陥ると何時も少尉殿が助けてくれた。怖くて泣きじゃくるリムリィを抱きかかえていつも慰めてくれるのは少尉殿だったし、みんなで食べるご飯が美味しいのだと教えてくれたのも少尉殿だった。箸の持ち方や礼儀作法、基本的な所作や立ち振る舞いの仕方。今思うといつリムリィが『ちはや』を離れて誰かまともな人間に引き取られてもいいように厳しくしてくれたのだと思う。
それが分かっていたからこそ、リムリィは厳しく接する少尉殿の事を嫌いになれなかった。実のところ、幼い時に一度だけ引き取られる話があった。このまま危険な列車の旅を続けるくらいなら裕福な貴族に引き取ってもらったほうが幸せだぞ。部隊の仲間達や少尉殿に説得させてもリムリィは首を縦に振らずに嫌だと言って皆を困らせた。散々言っても聞かないリムリィに若干呆れながら勝手にしろと言われた時は本当に嬉しかった。みんなと、少尉殿と一緒にいられる。そう思った。
実際、幼い頃のリムリィにとって少尉殿は怖いお父さんではあったものの大好きなお父さんでもあった。大きくなった今はどうなんだろう。
少尉殿に好意を向ける孤麗さんのことを考えると応援してあげたい気持ちの半分、もし孤麗さんに少尉殿というお父さんを取られたら哀しいなあと感じる自分がいるのをリムリィは自覚していた。だが、それを表に出すことはない。そんなことをすれば少尉殿や孤麗さんを困らせるからだ。だけど、そんなことを考えると胸の奥が痛くなるのはなぜだろう。
ファザコンなのだろうか、私は。そんなことを考えながらリムリィはいつものように床を水浸しにしながらモップ掛けを始めた。
◆◇◆◇
そんなリムリィの所作を少し離れたところから見つめている者がいた。孤狼族の英霊にして少尉の元妻である孤凜である。彼女はリムリィの姿をしばし眺めた後にゆっくりと浮かび上がると剛鉄の天井へと昇った。天井の床に胡坐をかいて座りながら頬杖をついた後に深いため息をつく。
『…悩み事かい、孤凜。』
『気配もなく背後に立つな、バカ兄。』
背後から声をかけられても振り向くことなく孤凜は後ろの兄に答えた。孤凜の兄の白孤は同じく霊体の妹を気遣いながら尋ねた。
『なんだか面白くなさそうな顔をしているね。』
『失った年月の重みを噛み締めているところさ。』
『…少尉殿、だいぶ老けたからね。』
『老けたぁ?失礼なこと言うなよ、年を取ったことで深みと男としての渋さが身に付いただけだ!あれを老けたなんて言うのは許さないよ!』
そう言ってムキになって怒る孤凜に白孤は苦笑した。そして続ける。
『やっぱり今でも若のことが大好きなんだね。』
言われた瞬間に孤凜は兄にからかわれたことに気づいて赤面した。この兄は昔からそうだった。いつも飄々としていて掴みどころがないくせに目ざとくて、人が悩んでいると小馬鹿にしにくる。そのくせ、こちらが悩んでいるといつも茶化しながらも話を聞いてくれる。それが白孤という男だった。実のところ、少尉殿に求婚されて悩んでいた時も相談に乗って背中を押してくれたのが白孤だった。正直うざったいところはあるが、反面で凄く恩義も感じているために邪険にすることはできなかった。白孤はそんな妹に苦笑しながらも忠告した。
『あまりひがまないほうがいい。どうせ僕らはいずれ消える運命なんだから。』
『分かってるよ、そんなこと。』
白孤の忠告は孤凜の胸に痛いほどに突き刺さった。同時にはっきりと自覚した。自分はリムリィという娘に嫉妬しているのだ。自分と違って実体を持って彼の近くにいるあの少女はかつての自分の立ち位置に近いところで少尉殿に接している。それが悔しくて歯がゆいのだ。もし自分に生身の身体があったならばあんな娘を近寄らせたりはしなかっただろう。
そんな醜い感情を持ったことを孤凜は恥じた。女々しいな、あたしは。もう終わったことなのに。せめてもう一度少尉殿と一緒に平和になった街を歩きたいななんて思ってしまっている。くそ。孤凜は自身に腹が立ちながら立ち上がった。
『あ―――っ!なんで死んじまったんだろうな、あたしは!』
『…孤凜、泣いているのか。』
『泣いてないっ!』
頬から伝う汗を必死で拭いながら孤凜は空を見上げた。腹が立つくらいに真っ青な青空だった。




