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果たせなかった約束 伝えられなかった言葉(11)

白孤と孤斬。

部隊の中核を成していた二人の死はあまりにも大きな犠牲だった。戦力的にも感情的にもあまりにも喪失が大きすぎた。追い討ちをかけるように後方の衛生兵から火急の報告が上がった。浅からぬ傷を負いながら彼は叫んだ。突如として押し寄せた陸軍の大部隊によって非戦闘兵のいる居住区と野戦病院が制圧された。それだけを告げると彼はその場に倒れ伏せた。すでに絶命していた。泣いている暇も与えないというのか。涙を拭いながら少尉は野戦病院に向かった。すでに野戦病院周りは武装した陸軍兵によって取り囲まれていた。彼らを直接指揮していたのは可神だった。


「これ以上、恐れ多くも王国の臣民たる我々が負けるわけにはいかぬ。孤狼族の精鋭たちよ。総玉砕せよ!旅順に総攻撃を仕掛けるのだ!」


やらなければ人質の命はない。はっきりとは明言しなかったがこの場を制圧しているということはそういうことだ。あまりに人としてあるまじき行いに凄まじい殺意が衝動的に起こった。だが、自分が切れてこの場で可神を殺せば人質は全て犠牲になるだろう。人質の中には幼子や女子供も多かった。彼らを殺させるわけにはいかない。少尉は駆け付けた孤狼族の侍たちを必死の思いで制した。そして振り返って立ち去った。背後から可神と陸軍兵達の嘲笑を浴びながら彼は思った。殺す。今生で討ち果たせぬとしても生まれ変わって畜生となっても必ずお前らを殺してやる。血涙を流す思いで少尉は立ち去った。

野戦病院から戻った少尉は孤狼族の仲間たちを集めて後衛で起こった事実を説明した。その上で総玉砕の突撃を求められていることも包み隠さずに話した。孤狼族たちは嘆き悲しんだ。陸軍に対する怨嗟の声が場を支配した。少尉すらそれを制することはできなかった。この場で殺されても仕方がない。そう思いすらした。収集がつかなくなった場を制したのは黒炎隊の紅虎だった。彼女は孤狼族の同胞たちに諭すように語り掛けた。


「やられたね。陸軍は最初から私たちを殺す気だったんだ。だけど奴らにとって予想外だったのはあたしらを率いているのがここにいる『少尉殿』だったことだ。この男のおかげであたしらは今日まで生き延びることができた。そうだろう、みんな!!」


紅虎の言葉に怒りに我を忘れていた多くの孤狼族たちは正気に戻った。確かにそうだ。少尉殿のおかげで我々は生きてこれた。周囲からあがる声に少尉自身は困惑した。やめろ。やめてくれ。聡明な彼にはこの話の流れの結末がすでに見えていた。それだけはやめさせないといけない。これ以上話させれば俺は彼らを殺すことになる。焦る少尉を紅虎は制した。その眼は全てをすでに悟りきっていた。


「この男の指示の元ならば私たちは道具ではなく人としての尊厳を持って死ぬことができる。陸軍の傀儡となって死ぬのではない、子や孫の未来のために戦うのだ!孤狼族の誇り高き侍達よ!今一度、陸軍の連中に思い知らせてやろう!蒼龍王国に孤狼族ありと言わしめんために!人としての誇りと尊厳を守りながら死ぬために!旅順をこれより総攻撃する!」


紅虎の言葉に大歓声があがった。死を恐れるのではなく名を汚すことを彼らは恐れたのだ。そんな彼らを死に導くことを止められなかったことに少尉は強い後悔を感じながら項垂れた。




              ◆◇◆◇   




そして最期の総攻撃が始まった。彼我の戦力差はあきらかに帝国側にあった。彼らにとっての誤算であったのは孤狼族側の士気の高さを察することができなかったことだ。彼らはすでに死兵であった。生きるために戦おうとはしていない。ゆえに保身を考えない勢いで攻撃を仕掛けてきた。それまでにない勢いで戦線が突破された。帝国兵は死兵と化した孤狼族に圧倒的な恐怖を覚えた。

そんな中で最初に散ったのは紅虎だった。彼女は戦場に凄まじい数の敵兵に怯むことなく立ち向かい、敵兵の血による大輪の血の華を咲かせた。だが、その代償はあまりにも大きかった。少尉たちが駆け付けた頃にはすでに黒炎隊は全滅し、彼女もすでに虫の息であった。血が流れすぎたせいだろう。目がすでによく見えない状態であった。少尉は彼女の手を取った。紅虎は相手が少尉だったことに安心したようだった。


「…あたしとしたことが…油断してこのざまさ。なあ、少尉殿。頼みがあるんだ。この戦いに生き残ることができたら…あたしの息子のコロのことを…たの…」


全てを言い切る前に少尉の手を握っていた紅虎の手から力が抜ける。最後に戦士としてではなく優しき母として紅虎は逝った。絶望的なこの戦いに生き残る自信など毛頭なかった。だが、生き残った暁には必ず貴方から託されたコロを守ろう。少尉はそう誓ってその場を後にした。

当初は12万いた孤狼族の部隊もすでに2万を切る状態になっていた。少尉たちの部隊もすでに精鋭と呼ばれる侍たちは数えるほどしかいなかった。そんな矢先、突撃の最中に敵兵の弾が少尉の太ももを貫通した。走っていた勢いのまま、少尉はその場に崩れ落ちた。傍らにいた孤凜はすぐに敵兵を屠ると少尉の下に駆け寄って彼を物陰まで連れて行った。簡易的な止血を行いながら孤凜は父である狸道を呼び寄せた。心配する二人を制するようにして少尉は立ち上がろうとしてバランスを崩した。そんな彼を支えるようにして狸道は静かに言った。


「駄目ですな。こんなに血が流れているのではまともに戦い抜けませんよ。」

「構うな!かすり傷だ!まだ戦えるっ!!」

「申し訳ありませんが少尉殿はここに置いていきます。」


思いもよらなかった孤凜の言葉に少尉は唖然とした後に激高した。冗談じゃない。こんなところで置いていかれるくらいなら死んだほうがましだ。俺もお前たちと一緒に戦って死ぬ。そう懇願する少尉に狸道と孤凜は困った顔をして顔を見合わせた。だが、少尉は折れなかった。狸道はそんな少尉の顔をじっと見つめた後に諦めたように頷いた。


「仕方ありませんな。」


そういって少尉を伴って立ち上がった。そんな側近の態度に少尉は内心でホッとした。だが次の瞬間に後頭部に衝撃が走った。意識を失いそうな眩暈を覚えながら何事かと狸道を見やると狸道はすまなそうに笑った。


「すこし強く当身をしました。戦いが終わるころには目覚めましょう。」

「ごめんなさい。こうでもしないと這ってでも貴方はついてきますもの。」


孤凜は哀しそうに微笑んだ。ふざけるな。お前たちだけ死ぬなんて許さない。俺たちはいつも一緒だっただろう。意識を失うわけにはいかない。そうなったらおしまいだ。そう必死に自らに語り掛けた。だが、狸道の当て身の衝撃は容赦なく少尉の意識を奪っていく。そんな主を困ったように眺めた後に二人は言った。


「私たちが死んでも私たちの想いを受け継ぐ若が生きていれば勝ちなのです。」

「子供の顔が見れないのは残念です。でも、貴方との日々は本当に私の宝物でした。」


最後に見た二人は本当に幸せそうに笑っていた。これから死地に向かうとは思えないほどに透き通った笑顔。それはまるで殉教者のようだった。その笑顔を必死に追いながら少尉の意識はそこで喪失した。




               ◆◇◆◇   




孤狼族の侍たちはそうして全滅した。旅順に割かれていた八割以上の戦力は彼らの活躍によって消耗させることができた。だが、そんな彼らの手柄さえ可神は横取りした。報告書における旅順攻略の王国側の人間の兵力の喪失は5千人程度であったという。その中に孤狼族の犠牲者の数は含まれていない。

報告書に書かれなかった孤狼族の犠牲者の数は12万5千人。残った2万5千人は野戦病院と後方の駐屯地で人質になっていた傷病者と非戦闘員であったという。彼らは決して勝者とはいえない。だが、孤狼族の兵士たちの犠牲があったからこそ彼らは生き延びることができたのである。


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