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果たせなかった約束 伝えられなかった言葉(8)

かくて可神大将の指示の下で旅順攻略は開始された。

可神が孤狼族に下した命令は恐ろしく簡潔であった。総員突撃。それが最初に出された命令にして最後の命令であった。指令を出された少尉たちは混乱した。それはそうである。これほど大規模な要塞を前にして地形や防御の手薄な箇所の斥候も行わずに攻撃指令を下すなど正気の沙汰とは思えなかったからだ。上告に対して作戦本部は沈黙した。どころか反論を許さないとばかりに少尉たちに向かって銃を向けて追い返した。

黙っていけばよし。でなければ銃殺刑だ。明確には言わなかったもののそういった明確な悪意が感じられる対応に少尉は激しい怒りを感じた。ならばやってやろう。作戦本部など無視して戦果をあげてやる。この時にのちに語り草になる孤狼族を率いた『獣の王』による殲滅戦の幕は切って落とされたといえよう。

出撃準備を終えた孤狼族を少尉は一か所に集めて演説した。貴様らを生かして帰すために俺に命を預けてくれ。短いがよく通る声で少尉は孤狼族に訴えかけた。その熱は前方から後方へ波のように伝播して凄まじい熱を帯びた歓声があがった。なぜか。それは少尉が孤狼族を道具ではなく人間として扱ったからだ。それまで虐げられた孤狼族は普通の扱いなどを受けることはなかった。道具はあくまで使い捨て。死んで当然であるという考え方が浸透していた当時の蒼龍王国の中で自分たちを生かして帰すために命を預けろなどという人間は誰一人いなかったのである。

その場の熱に誰よりも驚かされたのは演説を行った少尉自身だった。そこまで大したことを言ってないというのにこの熱はなんだ。戸惑う少尉に傍らの孤凜が耳打ちする。


「少尉殿にとっては何気ないことでも私たち孤狼族にとっては一種の事件だったのですよ、今の発言は。」


その時に孤凜は改めて自分が好きになった人がこの人で本当によかったと感じた。

少尉の激が効いたのか旅順初戦は凄まじい戦果を挙げる結末となった。銃弾の雨あられの中を凄まじい進軍で突き進む孤狼族の侍たちをフェンリル神聖帝国の兵たちは『地獄の番犬』の群れであると恐れた。銃が当たっても倒れずに向かってくる。手足がもがれても残った牙で敵の喉笛に噛みつく凄まじさは敵にとって恐怖の対象でしかなかった。

敵陣への進攻を行いつつ、少尉は斥候を向かわせることも忘れなかった。どんな砦にも弱点は必ずあるはずだ。今後の攻略計画を立てるためにはその弱点が必ず役に立つ。前線の指揮を執りながらも彼は人一倍目まぐるしく働いた。一つの戦場が苦境に立たされれば自身が部下を伴って救援に駆け付けたし、少尉の部下である孤凜や狸道達も獅子奮迅の活躍を見せた。そんな彼らを帝国兵は血に飢えた番犬どもと罵った。

戦果は確かに凄まじいがその日の夜を迎えてみると兵たちの負傷もかなりのものであることが分かった。いかに侍たちが精強であっても帝国の防衛ラインには何百、何千もの銃兵が待ち構えている。全ての弾を避けて敵陣深くに切り込むことは不可能だった。攻めるには何かしらの犠牲を伴う。それを少尉は誰よりも嫌悪した。しかしその犠牲を伴わなければ勝つことどころか生き残ることもできない。命を預かると言っておきながら兵たちを悪戯に死なせてしまうことに彼は強い良心の呵責を覚えて眠れなくなった。そんな彼を慰めたのは孤凜だった。すっかり姐さん女房となった彼女は眠れない少尉のために一晩中側についていた。そうした中でいつしか少尉はようやく眠ることができたのだった。




                 ◆◇◆◇   





旅順攻略が進むにつれて少尉たちは徐々に劣勢に陥ることが多くなった。敵兵の数は間違いなく減らしているのだが、それに伴う孤狼族側の消耗も激しかった。達人である紅虎や狸道ですら浅くはない傷を負うこともしばしばある状況では未熟な者から死んでいった。戦場で倒れたものの中には少尉たちより幼い少年兵も多くいた。その場で弔えないことを許せよ。戦いを終えた夜になるとそう言って少尉は一人涙した。気が狂いそうだった。兵たちの消耗を作戦本部に報告して増援を送ってもらうように何度も陳情したが可神は決して承認しなかった。

そんな中で少尉たちの部隊にも最初の犠牲者が出た。それは狸大吾だった。敵の伏兵に囲まれて逃げ場がなくなった少尉たちを救うために彼はその身に潜ませていた爆弾を取り出すと同時に敵陣深く切り込んで自爆した。別れ際に彼は必死に引き留めようとする少尉に笑いかけながら言った。


「仕方ないからじゃないですよ。僕が皆を助けたいからやるんです。」


そう言って少尉の手を振り払うと駆けていった。敵の銃弾を正面から受けて致命傷を食らいながらも彼は振り返った後に、


「…ようやく…あの時の恩を返せました。」


そう言って敵もろとも爆発した。わが身を切り裂かれるような悲しみを感じながら少尉は絶叫していた。だが、悲しみに浸る余裕もなく戦場は激化の一途を辿っていた。



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