果たせなかった約束 伝えられなかった言葉(2)
幼い頃の少尉は古くから仕える仲間たちから若と呼ばれていた。
両親の顔はよく覚えていない。彼が幼いころに二人とも亡くなっていたからだ。彼の父親は元々王家から与えられた所領を管理する貴族の一人であった。だが、敵対する貴族の策略に嵌り、その所領を取り上げられて失意のうちに死んでいった。地位を奪われて流浪の民となった少尉は物心ついた頃から戦場で傭兵として孤狼族の仲間たちと共に暮らしていた。彼にとっての育ての父は狸道という孤狼族の側近だった。狸道は巨漢だった。犬科の獣人であるはずの孤狼族にも関わらず太った外見から狸に間違えられることも多くて狸親父と野次られることも多かった。だが、傭兵団の仲間からの信頼も厚く父親のように慕われていた。場の空気を明るくするムードメーカー的な存在だった彼は少尉に臣下の礼を尽くしながらも実の父のように接してくれた。そんな狸道を少尉自身も父のように慕っていた。父親というのはこういうものなのだと教えてくれた存在、それが狸道だった。
少尉自身がいつの頃から狸道と一緒にいたのかは覚えていない。そもそも親の記憶すら曖昧なのだ。そんな彼のために狸道は両親の昔話を事あるごとにしてくれた。彼が昔話をするときの出だしは決まってこうだった。
「良いですか、若。御父上のような御立派な大人にならないといけませんよ。」
そう言われても記憶すら曖昧な人間の話などよく分からない。そう少尉が文句を言うと狸道は大げさに嘆いた。
「情けない。それでも白神家の跡取りですか。そのようなことでは旦那様に合わす顔がありません。よろしいですか…」
そういって狸道は白神家代々の栄華と父親の素晴らしさについて語ってくれたのだ。白神家は周辺一帯をまとめていた地方大名に宮家の姫が輿入れしたのがその始まりと言われている。ゆえに血脈を辿れば龍王家の遠縁にあたる。血脈的には由緒正しく代々の所領の統治も公正明大に行われてきた。白神の統治地には一つの大きな特徴があった。この地は他の土地で迫害された孤狼族の駆け込み寺であったのだ。他の統治地で行われる亜人差別を白神の当主は嫌悪した。ゆえに統治地では差別は行われずに差別することなく受け入れていった。自然と各地から行き場をなくした孤狼族が集まった。恩返しをするために孤狼族の多くは白神家に仕えるようになり、自然と歴史を経ていくごとに白神の軍は孤狼族の屈強な侍達で組織された精鋭部隊と進化していった。彼らはひとたび戦場に出れば主のためにその命を投げ出すほど強い忠誠を見せた。行き場がなく餓えや差別により死にかけていたのを救ってくれた主への深い感謝の念。それが彼らの行動原理であったのだ。
そんな白神家が取りつぶしになったきっかけは龍王家への謀反の疑いが持たれたことであった。今思えば豊かな白神の土地を狙った貴族たちの策略だったのだろう。公正明大、策略というものに疎かった父親は身の潔白を証明するために王都に向かった。だが無実の罪を着せられて投獄ののちに処刑されて躯となって帰還した。主をなくした白神の統治地を襲ったのは父を嵌めた貴族の率いる武装した軍隊であった。彼らは謀反を起こした疑いを大義名分にして白神の人間たちを皆殺しにした。少尉はその光景を覚えていない。殺される前に彼の母親が狸道に命じて幼い彼を逃がしたからだ。
この話をした後には狸道は必ず涙を流して必ずお家復興をいたしましょうと少尉に語ったのである。薄情かもしれないが、少尉はこの話を耳半分しか信じていなかった。このような流浪の暮らしをしている自分が貴族の生まれであること自体が信じられなかったからだ。ただ思ったのは自分を慕ってくれる孤狼族の臣下の暮らしだけは守っていく必要があると漠然と感じていた。




