血の雨警報 敵は大本営にあり(6)
完全に王妃は狂っている。そう判断したリムリィは王妃を止めなければと考えた。だが、恐怖のせいか足がすくんで動かない。次の瞬間、王妃は天龍王の顔すれすれに懐剣を突き立てた。王の髪の毛が数本宙に舞う。その光景に肝を冷やしたリムリィが「ぎゃあ!」と短い悲鳴をあげる。だが王妃は周囲の様子など気にも留めずに天龍王の耳元で囁いた。
「今度はこの剣を心臓ではなく龍核に突き刺しますよ。」
そう言った瞬間、死んでいたはずの天龍王は飛び起きた。その場にいた王妃以外の全員があり得るはずのない光景に絶句して己が眼を疑った。起き上がった天龍王に王妃は満面の笑顔を浮かべた。
「おはようございます、もう死んだふりはしなくてよろしいんですか。」
「お、お、お、おはよう、フェリシア。そうだねえ、もう気が済んだから起きてみたよ。」
ガクガク震えながら天龍王は自分の妻に向かって微笑んだ。いや、厳密には微笑んだというよりぎこちない引きつり笑いであった。
「王様が生きてる!!」
驚きのあまりにリムリィは王の下に駆け寄った。生きている、幻覚ではない。
「どうしてですか、確かに撃たれて心臓止まってたはずなのに。」
「この人の心臓は最初から止まっているのよ。」
「心臓の代わりに龍核って臓器が動いてるんだよ。もっともさっきまで止まりかけてたけどな。」
リムリィの驚く様子に苦笑しながら天龍王は笑った。ただし傷口が痛まないわけではなく苦しそうに胸を押さえている。重症であるのは間違いではなさそうだ。
「…王。」
うつむき気味に現れた孤麗に天龍王は身構えた。凄まじい殺気のようなものを感じたからだ。自分が生きていたことを黙って死んだふりしていたことに怒っているのだろう。そう思って後退しようとしたところを王妃に捕まえられる。
「フェリシア。なんで捕まえるんだ。離してくれ。」
「孤麗ちゃんを泣かすから悪いんですよ。おなかを刺されるくらいは覚悟したほうがいいですよ。」
なおも孤麗は俯いたままなので表情が見えない。怖い、殺される。王は身の危険を感じた。だが孤麗は王に危害を加えることはなかった。
「王が生きてた――――っ!!!よかった、よかったよう……。」
そう叫んだ後に号泣し始めたのだ。天龍王は普段見せない側近の号泣する姿に恐怖を感じて引きつり笑いを見せた。場が騒然とする中で王妃は天龍王に話しかける。
「みんなに説明していただけますね。」
笑顔の威圧を食らいながら天龍王はポツリポツリと事の顛末を話し始めた。
◆◇◆◇
事の起こりは暗部からの報告だった。王を弑逆する動きを陸軍が見せている。その情報を聞いたときに天龍王は密かに考えていた計画を今こそ実行する時だと考えた。元々、陸軍内に亡霊の騎士団の内通者がいることは知っていた。だが、あえて泳がせていたのはこういった時の情報を引き出すためだ。敵にしてみればこちらの動きを把握したつもりだろうがそれを逆手に取ることで不穏分子の一掃に役立てる。それが天龍王の密かに立てた計画だった。あえて自分を暗殺させてクーデターを起こさせることで軍と貴族の中で誰が味方で誰が敵なのかをはっきりさせる。下手をすれば死に至る諸刃の剣の戦略。それを敢えて天龍王は断行したのである。司狼大臣の孤麗にすら打ち明けなかったのは情報がどこから漏洩するか分からなかったからだ。危険すぎると止められる可能性が高いことも打ち明けなかった理由の一つだ。最も本当に殺されるわけにはいかなかったので事前に暗殺を依頼された魔弾の射手とはしっかりと連絡を取った。暗殺を依頼された金額の同額を前金で払い、後の金額を成功報酬で支払うことで契約は成立した。最も演説が盛り上がる中で心臓を撃ち抜く。それが魔弾の射手に依頼した内容である。
王にとって予想外だったことは魔弾の射手が使用した弾丸が龍の力を打ち消すものであったことだ。実際にその弾丸で撃ち抜かれたせいで自身の心臓である龍核がその動きを一度停止し、仮死状態に陥ったのだ。実際は途中から意識があったのだが、自分が死んだことを本当に悲しむ人間が多すぎたために気まずくなって起きれなくなったというのが実情である。
そんな説明を終えた後に天龍王は恐々と孤麗を見た。
「…すまなかったな。お前に心配をかけようとしたわけじゃないんだが。」
「駄目です。許しません。」
涙で潤んだ真っ赤な目をしながら孤麗は冷たく言い放った後にそっぽを向いた。さっきまで号泣していたお前はどこにいったんだよ。しばらくは皆から村八分にされそうな予感がする。天龍王は小さく肩を落とした後に王妃に尋ねた。
「フェリシア、お前はいつから気付いていたんだ。」
「最初からです。早霧さんから計画のことは知らされていましたから。」
「あいつ…。」
考えてみれば『影の者』の総統として暗部を取り仕切っている早霧が王妃に計画を話さないわけがない。黙っていたのが全部無駄だったのかと天龍王は頭を抱えた。そんな夫の姿に王妃は楽しそうに笑った。
「大体、私の炎に耐えた怪物が銃弾くらいで死ぬわけがないでしょう。」
「自分の夫に化け物って酷くないか。」
「知りません。」
そんな夫婦漫才を見ていたリムリィだったが、あることに気付いて気まずそうに手を挙げた。
「あの、天龍王様。少尉殿は王様が生きていたことをまだ知らないです。必ず敵を取るという様子で東雲中将を討ちにいきましたから。」
その言葉を聞いた天龍王は背中をびくりと震わせた。全身を悪寒が走ったようである。
「…やばい。真一郎に殺されるかな、俺。」
あるいは本気で数発は鉛玉を食らうかもしれない。傷の手当てを受けながらも嫌な汗が体から流れるのを感じながら天龍王は来るべき少尉との再会に恐怖した。




