「面白い」とだけ書く感想には価値がある
作者あるある。
「自分が書いた作品を自分で読むと、面白い」
あると思います。
プロが書いた作品よりも、自分が書いた作品のほうが面白いと感じた経験は、作者なら誰しもあることでしょう。
(……あるよね? 僕だけじゃないよね?)
作者にとって、自分の作品は、基本的にどれも素晴らしいものです。
ゆえに、作者という生き物は基本的に、自分の作品の良し悪しを客観的に評価する能力を持ちません。
作者にとって素晴らしい作品の数々は、周りの人から見れば、ガラクタ同然のゴミクズであるかもしれません。
作者が書いた作品群は、周りの人からは、ゴミの山のように見えるかもしれません。
だから、重要なのです。
読んだ人の「面白い」という言葉が。
それは、作者にとって「面白い」作品が、作者以外の誰かにとっても「面白い」作品であったのだと伝える、重要なメッセージです。
たくさんのガラクタの山の中から、一つを取り出して、「僕はこれがとても好きだ」と伝える行為です。
それは受け取った作者にとってみれば、自分の考える「面白い」が、ほかの誰かにも通じたのだという証左になります。
そして、その方向に進めば、少なくとも何人かの読者が「面白い」と感じてくれる作品が作れるであろうという、大切な道しるべになります。
一方、「つまらない」とだけ書く感想は、どうでしょうか。
これには、僕は否定的です。
例えば僕にとっては、プロの作品を含め、世の中の8割~9割方の作品は「つまらない」もしくは「あまり面白くない」、あるいは「どうでもいい」作品です。
これはもちろん、「僕にとって面白くない」というだけの話であり、その作品が「一般に」面白くないことを示すものではありません。
つまり、誰かにとって「つまらない」ものは、この世の中にありふれています。
そのありふれた「つまらない」作品に、みんなが「つまらない」と書いて回ることは、世の中に「つまらない」という言葉をあふれさせる行為です。
これは、世の中を少しだけ「つまらない」ものにする行為だと、僕は思います。
これに対して、「面白い」と思ったものを「面白い」と言葉に出す行為は、世の中を少しだけ幸せにする行為だと、僕は思うのです。
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