七
朝起きてリビングに降りると、まだ朝食の準備が終わっていなかった。母は珍しく早起きをしてきたぼくを見て、おや、という顔をしたが、すぐに食パンをトーストし始めた。父はヒゲを剃っていて、何となく目が合ったが、どちらともなしに目を逸らした。ぼくの家には、あまり会話がない。
「今日、何かあるのか」
と思っていたのはぼくだけだったのかもしれない。
「何もないよ」
そうか、と答える父。父と話したのはいつ振りだろう。進学の話をしたような気がした。その時も父は二つ返事だったことを思い出す。昔からこういう父が何だか怖くて好きになれなかったけど、今は新鮮な気持ちで接することができた。
母が微笑んで、ご飯できたよ、と言った。トーストとハムの他にスクランブルエッグが付いていた。気恥ずかしくなって、ご飯に夢中になっている振りをした。そんなぼくに、母はニコニコしながらお茶を出した。本当はコーヒーが良かったけど、入れ直す気になんてなれなくて、今日はお茶でいいか、と思い直した。
「行って来る」
父が言った。
「いってらっしゃい。帰りは遅いの?」
「いつも通りだよ」
玄関から出る際、父はぼくに「最近物騒なことが多いから、気をつけるんだぞ」と言い残して行った。続いて、すぐ母も出発するようだった。
「最近物騒だから、危ないことがあったら、すぐ逃げるのよ」
「大丈夫だよ」
一人になる。それから、ほっと胸のつっかえが取れる。ようやくリラックスできたのだった。
ぼくは昔から、あまり心配されるのが好きではなかった。彼らの言うことはありきたりなことばかりで、そういうつまらないことは聞く気になれなくて、一人でいる方が落ち着くようになっていた。親の心配は英語のリスニングみたいだ。親の心配と英語のリスニングが、ぼくの苦手なことだった。好きなこととか、得意なこととかに気づけない人はたくさんいるけど、苦手なことも同じくらい、気づけないものなのかなと思った。
ぼくの得意なことは何だろう。「雲」の得意なことは何だったのだろう。ぼくはまだ色々なことを知らなかった。今はそれで十分だった。
出発する時間にはまだ余裕があったけど、今日は少し早めに出ることにした。一日眠って、すっかり顔色の良くなった空がぼくを迎えてくれた。梅雨はまだまだ続くし、じめじめは収まってはくれないけど、少しずつ夏の匂いが近づいてきた。
信号が赤に変わろうとしていた。ぼくは駆け出した。横断歩道を渡りきった後で、歩道橋の向こう側で、白い入道雲が笑っていた。
持ち味を活かす、表現の幅を増やすの2点が難しい、難しいことばかりだ。