「妹に負ける悪役令嬢を演じてくれ」と婚約者に台本を渡されたので、卒業舞踏会で全文朗読いたしました
「クラリス。明日の卒業舞踏会で、悪役令嬢を演じてくれ」
王太子エドガー殿下は、夕食に誘うような気軽さでそう言った。
私の前へ、一冊の台本を滑らせる。
表紙には『卒業舞踏会における断罪の進行』と金文字で記されていた。
「……演じる、とは?」
「難しく考えなくていい。この通りに話せばよいだけだ」
殿下がページを開く。
第一場。王太子が公爵令嬢クラリスの罪を告発する。
第二場。クラリスは伯爵令嬢リリアへの虐めを認める。
第三場。王太子が婚約破棄を宣言し、リリアを新たな婚約者に選ぶ。
終幕。クラリスは泣き崩れ、観衆へ謝罪したのち退場する。
リリアは私より二歳下の異母妹だ。父が平民女性との間にもうけ、母の死後に認知した娘である。公爵家の継承争いを避けるため、父の弟である伯爵の養女となり、伯爵令嬢の身分を得た。六年前から妃教育を受けるため、私たちの屋敷で暮らしている。
「私がリリアを虐めたことにするのですか」
「事実かどうかは重要ではない」
「私の名誉に関わります」
「だからこそ価値がある。完璧なお前が罪を認めれば、誰も疑わない」
褒めているつもりなのだろう。
殿下は椅子へ深く座り、指を組んだ。
「リリアには民を惹きつける愛らしさがある。平民出身の母を持つ彼女を妃に迎えれば、開かれた王家を示せる。だが、お前との婚約をただ解消すれば、王家の都合だと批判される」
「そこで、私を悪役にするのですね」
「国のためだ」
便利な言葉だった。
「拒否した場合は?」
殿下の笑みが薄くなった。
「公爵家が王命に背いたことになる。お前の父上が管理する西部軍について、反逆の疑いを調べなければならないかもしれない」
脅しだった。
私は台本を手に取った。
欄外には、殿下の筆跡で細かな指示が書き込まれている。
『ここでリリアは震える』
『クラリスが反論したら、証人役の学生三名に嘘の証言をさせる』
『観衆が十分怒るまで待つ』
『公爵が娘を庇った場合、西部軍の監査を示唆する』
最後のページには、私の退場後の予定まであった。
『クラリスは北の修道院へ送る。移送中は面会禁止。公爵家には従順であれば二年後の釈放を約束する』
釈放。
罪を犯していない私を閉じ込め、恩赦を与えるつもりらしい。
「分かりました」
私が答えると、殿下は満足そうに笑った。
「やはりお前は賢い。台本は今夜中に覚えろ。明日は証拠を残さぬよう燃やしてから来るように」
「承知いたしました」
私は台本を閉じた。
「一字一句、間違えないようにいたします」
* * *
屋敷へ戻ると、私は父の執務室へ向かった。
台本を読んだ父の顔から、表情が消えた。
「軍の監査をちらつかせたか」
「はい」
「私の首だけなら差し出してもよい。だが、お前の名誉を売ることはできん」
「首も名誉も、差し出す必要はありません」
私は台本の最後に挟まれていた招待者名簿を広げた。
卒業舞踏会には、国内の貴族だけでなく、学院へ留学している隣国の王女と、三か国の大使が出席する。学院長は司法卿を兼任しており、卒業式の記録係もいる。
殿下は観衆を集めすぎた。
「お父様。明日は何があっても、私を庇わずお座りください」
「しかし」
「私には台詞があります」
その夜、私は台本を燃やさなかった。
読み間違えないよう三度読み返し、必要なページへ栞を挟んだ。
複写を大量に作る時間はない。そこで父の書記官を立会人とし、原本の各ページへ通し番号を付け、封蝋を押した。さらに原本が奪われた場合に備え、書記官が確認した写しを一部だけ作り、学院長宛ての封書に収めた。
明日は原本をそのまま読み上げる。筆跡も、欄外の指示も、王宮専用紙の透かしも、司法卿を兼ねる学院長にその場で検めてもらえばよい。
* * *
卒業舞踏会の大広間は、銀の星飾りで満たされていた。
卒業生たちは白と金の正装をまとい、家族や来賓が二階の回廊から見守っている。
私は濃紺のドレスで入場した。
予定では、最初の舞曲が終わった直後に断罪が始まる。
殿下はリリアの手を取り、広間の中央へ進み出た。
「皆に聞いてほしいことがある!」
楽団が止まる。
殿下は台本通り、苦悩をにじませた顔で私を見た。
「クラリス・ベルフォード。私は今日まで、君の行いを信じたくなかった」
第一場の始まりだ。
「だが証言はそろっている。君は妹リリアの教科書を破り、階段から突き落とし、温室に閉じ込めた。次代の王妃となる者として、到底許されぬ」
招待客がざわめく。
リリアが肩を震わせた。
台本の指示は『涙はまだ流さず、声だけを震わせる』だった。
「お姉様を責めないでください。きっと私が至らなかったのです」
その言葉を合図に、学院の学生三人が前へ出る。
「私は、クラリス様が教科書を破るところを見ました」
「階段でも、彼女が背中を押しました」
「温室の鍵を持っていたのもクラリス様です」
練習した声だった。
殿下は右手を上げ、騒ぎを鎮める。
「クラリス。罪を認めるか」
私は広間の中央へ歩いた。
手には、殿下から渡された台本がある。
「はい。すべてお話しいたします」
殿下の肩から力が抜けた。
私は最初のページを開く。
「第一場、王太子が公爵令嬢クラリスの罪を告発する。告発内容は三つ。教科書の破損、階段からの突き落とし、温室への監禁」
「クラリス?」
「欄外の指示。教科書は前日にリリア自身が破っておく。階段では転倒した日の記録が残っていないため、侍医に圧力をかけ診療記録を作らせる。温室の鍵は王太子が管理人から借り、クラリスの机へ入れる」
広間から音が消えた。
殿下の顔色が変わる。
「何を読んでいる!」
「殿下からいただいた台本です」
「燃やせと言ったはずだ!」
あまりに見事な自白だった。
二階の回廊で、隣国の王女が扇を閉じる音が響いた。
「続けます。第二場。リリアは震えながらクラリスを庇い、観衆の同情を得る。ここで殿下は涙ぐむリリアの肩を抱き、同情が十分に高まるまで十二秒待つ」
何人かが、思わず数え始めた。
「やめろ!」
殿下が台本を奪おうとする。
私は一歩下がった。
「学院長。司法卿として、この原本をお検めください」
私は台本を頭上へ掲げた。通し番号と父の書記官の封蝋は、昨夜から一度も開かれていないことを示している。奪われた場合に備えた確認済みの写しも、すでに学院長へ届けてある。
「これは偽造だ!」
殿下が叫ぶ。
「でしたら司法卿にご確認いただきましょう」
学院長が来賓席から立ち上がった。
「原本をこちらへ」
私は台本を差し出す。
学院長は数ページを読み、殿下を見る。
「殿下。この筆跡は、学院へ提出されたあなたの卒業論文と一致しているように見えます」
「似せて書いたのだ!」
「では、インクと紙の購入記録も調べましょう。王宮専用の透かしが入っています」
ページを灯りへかざすと、王冠の印が浮かんだ。
ざわめきが怒声へ変わる。
私は朗読を続けた。
「第三場。王太子が婚約破棄を宣言し、リリアを新たな婚約者に選ぶ。クラリスが拒否した場合、公爵家の西部軍に反逆の疑いをかける。公爵が娘を庇った場合、監査を示唆する」
父は来賓席から動かなかった。
ただ、隣に座る西部の将軍たちが立ち上がった。
「我らを反逆者に仕立てるおつもりだったか」
「違う! これはクラリスが――」
「さらに終幕。クラリスは北の修道院へ送る。移送中は面会禁止。公爵家には、従順であれば二年後の釈放を約束する」
母親たちが娘を抱き寄せた。
無実の令嬢を公衆の面前で罪人にし、家族への脅しに使う。次は自分の娘かもしれないと、全員が理解したのだ。
「お姉様、どうしてこんなひどいことを」
リリアが泣き出した。今度の涙は本物らしい。
「私は何も知らなかったの。殿下が、お姉様も納得していると」
「台本の四ページ目を確認してください」
学院長が原本を開き、リリアへ該当箇所を示した。
彼女は震えながら記された文章を見る。
「リリアには、クラリスが自発的に身を引くと説明する。ただし虐めの証拠作りについては本人の協力を得る……」
自分の名前と役割が、殿下の筆跡で記されていた。
「違うわ。私は、教科書を破っただけ。階段では転んだふりをしたけれど、温室の鍵なんて知らない!」
また一つ、自白が増えた。
「静粛に」
学院長の低い声が広間を制した。
「この場は王立学院です。虚偽の証言を行った学生、記録を偽造した者、そして計画を指示した者について、司法部が正式に調査します」
殿下の護衛たちが動いた。
けれど私を捕らえるためではない。殿下を来賓から離すため、その周囲を囲んだ。
「私は王太子だ! 命令したのは国のためだ!」
「国のためという一文も、台本にございます」
私が言うと、広間のあちこちから笑いが漏れた。
恐ろしい王太子ではない。
台詞まで読まれた、筋書き通りにしか動けない愚かな役者。
殿下はその瞬間、権威を失った。
「クラリス! お前は私の婚約者だろう!」
「第三場で婚約破棄を宣言なさる予定でしたね」
私は台本を閉じた。
「その台詞だけは、今ここでお願いいたします」
「何?」
「私との婚約を解消してください。皆様が証人です」
殿下は答えなかった。
代わりに、国王陛下が二階の特別席から立ち上がった。
顔は怒りで青ざめている。
「その婚約は王家の名において解消する。エドガー、お前の王太子としての権限も、調査が終わるまで停止する」
殿下の膝が崩れた。
台本にはなかった結末だった。
* * *
調査には一か月かかった。
殿下は王太子を廃され、王領の修道院で法と倫理を学び直すことになった。二年後に釈放される保証はない。
リリアは学院の卒業資格を取り消された。虚偽証言へ協力した三人も同じ処分を受けた。
父の西部軍には、反逆の事実がないことを国王陛下自ら公表した。
私は隣国の王女から、思いがけない誘いを受けた。
「うちの国で法務官にならない?」
舞踏会で扇を閉じた王女である。
「あなた、大使や司法卿の前で原本を読み上げ、広間にいた全員を証人にしたでしょう。剣を一本も抜かずに王太子の嘘を止めた。そういう人を探していたの」
「私は悪役令嬢だそうですが」
「最高じゃない。悪い王族へ台本を突き返せる法務官が欲しいわ」
私は初めて、声を上げて笑った。
半年後、隣国の王宮で働き始めた私は、条約や裁判記録を作る仕事を任された。
文書には必ず、誰が命じ、誰が確認し、誰が責任を負うのかを記す。
「細かすぎる」と文句を言う者もいる。
そんなとき私は微笑んで答える。
「書いておけば、あとで舞台の上で朗読できますから」
誰も二度と文句を言わなかった。
私の執務室には、あの台本が保管されている。
証拠としての役目を終えた今も、燃やしてはいない。
私を悪役にするために書かれた筋書きは、私が自由になるための最初の文書になったからだ。
物語を決めるのは、台本を書いた人ではない。
その台本を、どこで、誰に向かって読むかを選んだ人だ。
私は今日も、新しいページを開く。
そこに書く台詞は、もう誰にも命じられていない。




