05.惨劇の雨
残酷な描写を含みます。
苦手な方は注意して下さい。
「さ、山賊だあぁーー!!!!」
言うが早いか、気づいた時には、森の端から馬を駆る多くの男たちが映った。彼らは一様に、獣の皮を上着代わりにはおり、肩や、胸、肘に甲冑をつけ、口元ににやりと薄汚れた笑みを浮かべている。
手に持つ武器は様々で、村人たちのような『農具』ではなく、人や獣を殺すために作られた、剣や弓や槍が主だった。
弓を持った数人が、家々に火矢を射る。炎はたちまち大きくうねりを上げ、辺りを包んだ。
「いいかぁ、てめえら!! 若い女は殺すんじゃねえぞ!」
頭目と思しき山賊の一人が叫ぶと、猛々しい雄叫びが四方から上がった。
一人、逃げ惑う若い男が応戦しようと簡素な剣を構え、けれど山賊は、剣ごと男を切って捨てる。
一人、荷物を抱えた老婆が、地を這いずるように跼り逃げる。その背中を、その心臓めがけ、山賊は何の躊躇もなしに長い槍で突いた。
一人、幼い少女が、もうすでに事切れた父親の手を握り締め、慟哭する。その首を、山賊は豆腐でも切るかのように、すっぱりと、いっそ鮮やかだと言わんばかりにもぎ持った。
山賊たちの誰しもが口を歪め、笑っている。瞳は濁り、暗く深淵に包まれているようだと、琴子は戦慄した。それは、ただただ、殺戮を楽しむ残虐な殺人鬼のように。
――――――――――― 狂ってる。
背中を、ひんやりと冷たい汗が一筋流れた。
琴子はニ、三歩後ずさり、そのままぺたんと地面に倒れるように座り込む。
「お、お前のせいだ!! このっ、死を呼ぶ神子!!」
不意に、それまで琴子の腕を掴んでいた村人の男が、取り乱したかのように手に持っていた鍬を掲げた。
「っ?!」
男の目は血走り、正気の沙汰ではない。
頭の中は真っ白で。男の瞳に滲む殺意が、どこまでも恐ろしかった。
震える両足を叱咤して、慌てて立ち上がろうとするものの、身体は硬直し、言うことを聞かない。
殺される。殺される。
―――――――――― 殺されるッ!!
硬く瞼を閉じて、身体を竦める。
そうして、死を覚悟した、その時だった。
ごとり、と"何か"が地面に落ちる音が聞こえた。
(な、に…?)
恐る恐る、瞼を開く。視界に、男の持っていた鍬が目に付いた。あの"音"は、鍬を落とした音だったのだと気づき、更に琴子は無意識に目線を上げた。鍬の先に、男の腕が見えた。
「 ――――――――― ひっ…!!」
悲鳴が喉につっかえる。
男は、目を見開いたまま胸から刃を生やしていた。
死んだ魚のように、虚空を見据える双眸。唇から、一筋、真っ赤な血が零れ落ちた。ズッと肉が刃に擦れる音が嫌にリアルだ。
そのまま、男の背後から、男を貫いた山賊は、その刃を一気に引き抜いた。
途端、男の胸の空洞から、琴子に向かって暖かな雨が降り注がれた。
――――――――― 血…?
瞬きすらできず、呆然と一連の行動を見据えた。
鉄の匂いがあたりに充満する。震える手で、そっと自身の頬をなぞれば、紅の鮮血がべっとりと指に絡みついた。
「あ…あぁ…あッ……!!!」
全身が恐怖で威竦み、視界が涙で滲む。
怖い、怖い、怖いッ…!!
酷い匂いに、今にも眩暈を起こしそうだ。
こみ上げる吐き気を抑えきれず、琴子は躊躇なく、傍らに嘔吐した。
数度咳き込んで、全てを吐き出しても、胸を襲う気持ち悪さは収まることはなかった。
「こりゃあ、悪いことをしたなぁ」
ふと、耳に低く響いた声に、琴子は反射的に「ひっ」と小さな悲鳴を上げる。
にたり、と唇をゆがめ、山賊が嗤った。
山賊は、琴子を上から下まで、舐めるように見据え、笑みを深める。
――――――――― 背筋に、ぞくりと悪寒が走った。
危険、危険、危険…!!
真っ赤なシグナルが、警鐘として、琴子に伝える。
逃げなければ。
殺されるより、もっと…もっと酷い、もっと恐ろしい目に遭うのだと。
理解した途端、それまでの硬直もかなぐり捨て、琴子は駆け出した。背後から、「おいおい、逃げんなよ」と低い声が木霊し、琴子を震え上がらせる。
数メートルも走らないうちに、琴子は馬に乗った男に追いつかれ、退路は完全に絶たれた。
(怖い、怖い、怖い…ッ!!)
「そう怯えるなよ、これからたっぷり、お楽しみの時間なんだ…」
馬から男が下りたつ。
半月に細められた、男の双眸と。緩やかに弧を描く、口元。
「こ、来ないでッ!!」
両手で胸元を握り締め、恐怖に震える。
「逃げるなよ。すぐ良くしてやるからよぉ」
にたり、男の卑下た笑みが深まった。
そうして、伸ばされるてのひらに、腕を掴まれる。
「い、やだっ!! さわらないでッ!!」
悲鳴とも、叫びとも覚束ない金切り声を上げて、琴子は反射的に男の手を叩き落した。途端、男の顔が怒りに歪む。
「 ――――――― このアマッ!!」
言うが早いか、渇いた音が空に響き、琴子の頬に、痛みが走った。
殴られたのだ、と。
あまりの衝撃にバランスを崩し、その場に倒れこむ。たった一発殴られただけで、脳震盪を起こしそうだった。ジーン、と耳鳴りが止まない。
「大人しくしてりゃあ、痛い目をみずにすむんだよ!」
そう怒鳴ると、男は琴子に覆いかぶさった。
首筋から、鎖骨へ、ざらりとした生暖かい感触が走る。
身体中を、ささくれだった指が這った。
「ひっ…!!」
(い、やだ…)
怖い、気持ち悪い、誰か…! 誰か、誰か、誰か!!!
わき腹から、胸元へ。
太股を撫で上げる指。耳元に感じる、荒い息。
「やあああぁぁっ!!!!」
もがいて、叫んで、手足をがむしゃらに動かして。その度、男は激昂し、琴子を殴った。山を歩き回った時にできた傷も、村人たちに石を投げられてできた傷も。裂けて、開いて、血が滲む。
けれど、琴子はそれすらも気にとめず、ひたすら暴れ続けた。
恐怖と、気持ち悪さに、涙が溢れてとまらない。
(誰か、誰か…!! 誰でもいいから、お願い…ッ!!)
「誰かッ ――――― 」
―――――― ここはお前の言う国でない
叫んで、ふと脳裏に蘇った老婆の言葉に、声が途切れる。
ただただ、琴子は涙の溜まった双眸を驚愕に瞠った。
( 『誰か』って、 ―――――――― だれ?)
そうやって、『誰か』に助けを求めて。
けれど。
結局、『誰か』なんていないことに気づく。
だって、ここは琴子の知る『日本』ではない。知らない世界。知らない国。知らない人。
―――――― そう、お前は正しく『千年の神子』
浮かんで。
―――――― 世界を闇へ導き、国を腐敗させ、邑を死に至らしめる
霞んで。
―――――― この国の未来を、守るのさ
重なって。
―――――― てめえ、見え透いた嘘を!!
幾重にも。
―――――― 神子は死を呼ぶ。
幾重にも、幾重にも。
―――――― お前のせいで、父ちゃんが死んだんだ!!
やきついて、はなれない。
―――――― 夜明けと共に、―――――― 殺す。
(……ああ、そうか)
――――――――― 殺 せ 殺 せ 殺 せ こ ろ せ !!!
そうか。…そう、だったんだ。
(誰も…)
そう、誰も。
「誰も、助けてなんて、くれない…」
小さく。
――――――― たった、独りきりなのだ。
「たすけてなんて、くれないのよ…」
小さく、呟いて。
ぷつり、
琴子の中で、何かが途切れる音が聞こえた。