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千年の神子  作者: 真咲
chapter 1 -追憶-
3/13

02.異形の獣



 響いたのは、鈴の音だった。

 響いたのは、深い、深い声だった。

 

 覚えているのは、長く伸びる、人の影と。そして ―――――――――

 








 








 








 ちりん ―――――― 、と耳に響いた音に、琴子はハッと顔を上げた。

 同時に、沈みかけた思考を浮上させる。

 竹林に囲まれた物寂しい小道は、バイト先への近道として常日頃から重宝していた。ほとんど人通りのないこの場所で、琴子はいつの間にか足を止めていたようだ。

 ふと視線を走らせれば、夕闇に染まる砂利道に、長い影が伸びていた。

 自分のものではない、他人の ――――――――― 。

 

 

 どくん、と鼓動がひとつ、耳の奥で木霊(こだま)した。

 

 

(やだ、痴漢、じゃないよね…?)

 

 動かない影を凝視する。視線を上げて、その影の持ち主を確認することが酷く恐ろしく思えた。

 この小道は、明るい昼間に良く使用していて、こんなに薄暗くなってから通ったことはなかったのだ。

 そう、人通りがない = 危ない と言うのは、昔からの不文律だ。琴子とて女なのだから、女としての危機感を持っていないわけは無い。

 だからこそ、普段は明るいうちにしかこの道は通らなかったと言うのに。

 

(うっかりしてた…。考え事をしながら歩いてたから、気づかなかったんだわ…)

 

 

 未だ、どくん、どくん、と心臓は早鐘を打つ。

 

 

 影は、動かなかった。

 

 

 いつまでたっても微動だにしない影を不審に思いつつ、もしかして自分の勘違いだったのだろうか、と微かに息を吐いた、その刹那だった。

 








 








「  ―――――――――  み つ け た 」

 








 








 声は、恐ろしいほどに、低く。

 しかし、恐ろしいほどに、聞き覚えのあるものだった。

 

 

(え?)

 

 

 聞き覚えが、ある?

 

 否。

 

 そんなはずは無い、自分は、こんな深い…深淵のような声に、聞き覚えなどあるはずがなかった。

 けれど、そんな琴子の思考とは裏腹に、記憶の中で、自分の深いところで、誰かが(もしかしたら、琴子自身が)それを否定しているような気がした。

 

 そう、琴子は確かに、この声に全く聞き覚えがなく、しかし、酷く聞き覚えがあった。

 

 

 

 視線をせわしなく彷徨わせ、狼狽する。

 訳が、分からない。

 けれど、背筋を這うような恐怖と安堵が、同時に全身を襲った。

 

 

( ――――――――― なに?)

 

 

 この感覚は、何なのだろう?

 

 混沌、と呼ぶに相応しい、陰と陽を織り交ぜたような、不思議な感覚だった。

 








 








「 ――――――――― かような…かような地に、おられたか」

 








 








 再び響いた『こえ』に、びくりと身体が強張った。

 ひゅーっ、ひゅーっ、と、か細い呼吸が自らの喉から紡ぎだされる。

 息苦しい。胸が詰まる。歓喜と、悲哀。

 

 なぜか視界が涙で歪んだ。

 

 

 

 カタカタと小刻みに震える身体を、自身の両腕で包み込むように抱く。

 そのまま、琴子は意を決して、影をなぞるように目線を上げた。

 

 ゆっくり。

 しかし、確実に。

 

 

 視線は、影から、影の持ち主へ。

 

 

「 ――――――――― っ…!」



 

 

 息を呑むほどの、戦慄だった。

 

 

 

 

 

(な、に…?)

 

 

 ごくり、ひとつ唾を呑み込んで、そのまま無意識に一歩後退する。目の前にいるのは、琴子の身体の半分ほどの大きさの、『獣』だった。

 

 

  ―――――― そう、人の形をした影を持つその主は、けれど、人ではなかったのだ。

 

 

 

 夕闇に煌く、鮮やかな、セピアと翡翠のオッドアイ。その視線は真っ直ぐ琴子に向けられ、瞳の奥には滲み出る歓喜の色が窺える。

 姿かたちは、まるで豹か虎のようだ。

 しなやかな手足と、長い尻尾を持っている。ふんわりとした毛並みは、金に近い、琥珀色。

 一見すれば、普通の動物にも見えるその獣の額には、鋭い一本の角が宙を貫いていた。

 

 

 見たこともない、異形の獣。

 

 

(怖い…怖い、はず…なのに……)

 

 じりっと、足元の砂利が音を立てる。

 それ以上、琴子の足は、一歩とて動かすことができなかった。

 








(あるじ)様…主様……、どれほど、お会いしたかったか…」

 








 獣の瞳から、一粒、涙が零れ落ちた。

 

「っ…!」

 

 胸が、痛い。

 獣が涙を零すと同時に、琴子の瞳からも、同じように涙が溢れた。

 

(なん、で?)

 

 獣の悲しみが、痛いほど分かった。獣の喜びが、哀しいほど理解できた。

 琴子もまた、獣に出逢えたことを、欣喜していたのだ。

 これ以上ないほどの、畏怖を携えて。

 

 ぼろぼろ、瞳から、幾つも、幾つも涙が頬を伝う。

 








()の地へ、共に帰還致しましょう、主様…」

 








 獣が一歩、前へと進み出る。けれど、琴子の足は、自然、一歩後ずさった。

 そんな琴子の行動に、獣は傷ついたように瞳を揺らす。

 

 

「 ――――――――― ご、ごめん…」

 

 

 声が。

 無意識の内に、獣に謝罪の言葉を紡ぐ。

 

 

「あたしっ…行きたいけどッ…行けない……!」

 

 

 半ば、叫ぶように言えば、獣がびくりと身体を震わせる。

 

 

「ずっと…ずっとあなたに会いたかった…。けど、会いたく、なかったよ…っ、 ――――――――― ティーダ…」

 

 

 嗚咽と共に零れた言葉に、獣も、そして琴子自身も、瞠目した。

 そう…、獣の名は、『ティーダ』だ。

 

 きりっと、鋭い痛みが、頭に響く。

 痛い、痛い、痛いっ…!!

  ―――――― 頭が、割れそうだ。

 

 

「っ…?!」

 立ち尽くすことすら困難で、思わずその場に座り込む。

 

「主様!!」

 

 獣が叫び、こちらへ駆け出した。

 しかし、琴子は怯えるように目を瞠る。

 

「来ないで!!」

 

 そう、来ないで。…来ないで。

 

 

「そっちには、行きたくない…! 行きたくないの…!!」

 

 

 喉から搾り出した悲痛な声に、獣が再び、瞳を揺らす。

 困惑、戸惑い、躊躇い。

 けれど、すっと向けられた真っ直ぐな視線が、決意に満ちて ―――――――

 

(ダメ ―――――― )

 

 獣は、自分を連れてゆくだろう。

 漠然と…、琴子は自身の直感に戦いた。

 

 

 ズキン、ズキン…。

 鈍い痛みは、未だ、衰えを知らない。

 

 

「主様…どうぞお許しください…、時間がないのです」

 

 

 一歩、一歩、獣が琴子へ歩み寄るのと同時に、痛みはますます鋭さを増す。目を開けることすら苦痛で、琴子は硬く瞼を閉じた。

 意識が混濁する。眩暈と吐き気が、琴子を襲った。

 

 

 硬く閉ざした瞼の奥。

 漆黒の闇の中、石造りの冷たい部屋が浮かぶ。

 天蓋付きのベッド。アンティーク調の家具。小さな小窓に揺れる、カーテン。

 

 窓の外に、ゆったりと立ち上る、黒煙と ―――――――――

 

 

 ダ  メ 、 コ レイ  ジ ョ ウ 見テ  ハ イ ケ   ナ イ ! ! 

 

 

 真っ赤なシグナルが。

 

(っ…!!!!)

 

 

 警鐘を鳴らした。

 

 

 

 ふと気づけば、目の前に気配を感じる。

 おそらく、あの獣なのだろうと、遠ざかる意識の中で琴子はぼんやりと悟った。

 

 

(もうっ、ダメ…)

 

 

 痛みが絶頂を迎えた、その刹那。

 

 

 ふっと、額に暖かな吐息を感じる。同時に、あれほど酷かった頭の痛みが、すっと溶けるようになくなったことに、琴子は喫驚した。

 驚きに目を丸め、眼前の獣を見据えようと顔を上げる。けれど、途端、目映い光の洪水に襲われた。

 

 

 

 ちりん、とひとつ、鈴の音が耳の奥に響く。

 

 同時に、琴子の意識は、(さざなみ)のように遠のいていった。

 

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