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千年の神子  作者: 真咲
Chapter 2 -邂逅-
12/13

04.取引と条件




 なんで?


 なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで ――――――――――



 なんでよ!!!







 いまだ、ディアと獣が走り去った、闇色の森の先を凝視しながら、琴子は軽くパニックに陥っていた。




 なぜ、ディアは琴子を助けた?

 あんな恐ろしい獣に、あんなひょろっとして頼りない優男が、勝てるわけが無い。

 死ぬに決まってる。


 なのに、なぜ琴子を庇った?


 分からない。


 気味が悪い。

 気持ち悪い。

 

 混乱する。


 だって、この世界はいつだって琴子を拒絶して来た。

 否定、してきた。

 なのに ――――――




「なんでよ…」



 ふんわり、春のこもれびのような、あたたかな笑顔。

 自分とは天と地ほども違うような。きっと、誰からも愛される存在。



  ――――――――― 逃げて下さい!!!



(そうよ、逃げろって、あいつ言ってたじゃない)


 分かっている。自分は逃げるべきだ。ここで、ディアがあの獣に引き裂かれて死んでくれるほうが、琴子にとっては都合がいい。




 そんなことは、分かっている。

 分かって、いる。




 琴子は痛む足を叱咤しながら、ゆっくりと立ち上がる。ディアたちが去った先を一瞥し、しかしすぐに視線を逸らした。



「そうよ、 ――――――― あいつは死んでくれた方が、いいのよ」



 呟くと同時に、琴子は背を向けて駆けだした。

















「まっずいですねぇ…」


 ぽつり、呟きは闇色の空気に溶ける。

 そんなセリフとは裏腹に、ディアは背後に獣の気配を感じつつ暢気に頭をかいてみせた。

 表情に緊張感はひとカケラも見当たらない。


「こっちに来てくれたのはいいけど、そろそろ追いつかれそうな感じですし…」


 どうしましょうか…などと、困った風にぼやきながら、けれど足並みはとめない。

 大きくうねった大木の幹を軽やかに避け…あるいは蹴りつけ、生い茂る草に足をとられることもなく、ひたすら走り続ける。息は上がっていない。なんせ、ディアのモットーは『三十六計逃げるにしかず』 ―――― 要するに、『逃げるが勝ち』だ。

 足の速さは彼の唯一の自慢だ。つまるところ戦闘能力は皆無なのだが。

 しかしディアは、たとえ後ろ指をさされようが、馬鹿にされようが、臆病者と罵られようが、全くもって気にしない。にっこり笑って「えっ、そうですか? いやあ、照れるなぁ、ありがとうございます」と礼を言う、そんな人間だった。



「このまま朝まで追いかけっこはごめんこうむりたいですし…」


 ぼやいて、腰に巻きつけた革袋から、小さな火薬岩を取り出す。殺傷能力はないが、目くらましくらいにはなるだろう。

 躊躇なくそれを背後に放り投げると、爆音とともに、土煙が舞った。もくもくと立ち上る煙に満足気に頷き、ディアはさらに走るスピードを上げた。これで、少しは時間稼ぎができそうだ。

 森の奥深くへ、ディアは駈け出した。しばらく走り続けた頃だろうか、深い森の木々を切り開くように、ざっと視界が晴れた。


「あ」


 視界の先にはぽっかり浮かぶ丸い月が一つ。

  ――――― 崖だ。

 谷底から巻き上げる風に、ディアは眉を下げた。


 

「まいったなぁ…風上か」


 獣は匂いに敏感だ。このままでは見つかってしまう。

 もうしばらく追いかけっこは続きそうだと溜息をついたその時だった。




「動かないで」




 シンと澄んだ空気の中に響く、心地よい声音。

 ディアは思わず目を見開いた。


 


「きみ…」


 ちょうど、ディアの視界の右端…数メートル先に、先程逃がしたばかりの少女の姿があった。

 漆黒の闇に溶けるように、黒い外套の隙間から、真白い肌が垣間見える。月光にわずかに照らされるその瞳も、まがうことのない、闇色。ディアはしばしその姿に息をのみ、しかしハッとしたように声を上げた。


「なぜ、戻ってきたんです?!」

「うるさい!」


 思わず声を荒げたものの、なぜか怒鳴り返されてディアは開いた口をぽかんと開けたまま目を白黒させた。二の句が継げない。

 初めて聞いた少女の声は、凛としていて、透き通るように耳になじむ心地よいものだった。けれど、少女の顔は苦痛にゆがんでいる。 


「なんで…なんでよっ…! あんた、なんであたしを助けたの!」

「なんでって…」


 困惑するディアに構わず、少女はひとりごちるように、言葉を紡いでゆく。


「なんでよ、なんでよ!! あんた、知ってるんでしょう? 分かってるんでしょう?! あたしが、死を呼ぶ神子だって…! この髪もこの眼も、忌まわしいものでしかないって…!!」

「 ―――――― 」

「なんで助けるの! なに企んでるの!!」

「僕は ―――――― 」


 言いかけて、ディアは口を噤んだ。わずかな逡巡とともに落ちる沈黙が、ぴんと空気を張り詰めさせる。しかし、すぐにまっすぐに視線を少女へ寄せると、ディアはにっこりと微笑んだ。






「 ――――― 一目ぼれって、信じますか?」

「は…?」

「僕、君に一目ぼれしたんです」




 一目ぼれ…?


 少女はディアの言葉を復唱する。

 そうして、次の瞬間、少女の顔が真っ赤に染まった。




「ばっ…!!! なっなっ…!!」

 あわてふためく少女に構わず、ディアは笑顔のままで。

「君の言うように、君の髪色も瞳の色も、僕は気づいていましたし、知ってました。それが、何を表わすのか。でも、僕にとってはそんなこと、どうでもいいんです」


 言って、ディアは少女に何の躊躇いもなく近づくと、外套の隙間からこぼれる髪を一房手に取った。

 そうして、そのままゆるりと唇を寄せる。


「っ!!!」


 息をのむような、一拍の間の後。

 かーっと耳まで朱に染まった少女は、しかし次の瞬間ディアを両手で突き飛ばした。

 あっさりと身を離したディアを、少女はキッと睨みつける。その双眸にわずかな涙が滲んでいたが、顔は赤く染まったままで、ディアは思わず頬を緩めた。


「ばっかじゃないの!? そんなの信じると思う?! なに企んでるの! あたしに、これ以上構わないで!!」

「僕は、何も企んでなんかいませんよ? 本当に、君に一目ぼれしたんです…といっても、信じてはもらえませんよね」


 困ったように微笑むディアに、少女は苛立ちを隠さず舌打ちする。谷底から舞い上がる風が、少女とディアの髪を微かに撫でつける。しばし考え、そうだ、とディアは思い浮かんだ良案に口火を切った。


「では、僕と取引しませんか?」

「 ――― 取引?」

「ええ、取引です」


 胡散臭げに睨みを利かせる少女に頓着せず、ディアはにっこり微笑んで、まず少女の思い違いから正すことにした。


「君は、神子が忌まわしい存在であると言いましたね? でも、それは違うんです」

「…え?」


 びっくりしたように、少女は目を瞠る。寝耳に水だったのだろう。頬から熱の引いた少女の瞳が、困惑に揺れている。それを確認しつつ、ディアはさらに言葉をつづけた。


「神子は、国によってその解釈が違います。この国では、神子は確かに忌まわしい存在なのでしょう。けれど、他国では神聖な存在として崇め奉られていたりもするんです。だから、必ずしもその存在が悪しきものとは限らないんです」


 事実、ディアの故郷でも、神子は悪しき存在として伝わっているわけではない。ぐっと眉根を寄せて、何かを考え込む少女に、ディアはいよいよ、本題に入るべく唇を湿らせた。


「君が望むならば、僕は君が排斥されることのない安全な地…他国へと、逃れる手伝いをすることができます」

「!」

「もう予想は付いているかもしれませんが、どの国でも国境には検問が敷かれ、正式な通行手形なしに他国へ逃れることは難しい。けれど、幸い僕には色々ツテがあります。旅慣れてますから、何かと助言を差し上げることもできますしね。どうです? 悪い条件じゃないでしょう?」

「悪い条件どころか、条件が良すぎる…」


 低く唸るような声音に、警戒の色が浮かぶ。ディアは困ったように苦笑した。


「ええ、そうでしょうね。だから、ひとつだけお願いがあります」

「…なに?」


 緊張がピークに達する。それこそが、おそらく少女がもっとも聞きたかったことだろう。せかすような雰囲気に、ディアは再び微笑んだ。


「僕を、旅の共としてそばにおいてください。僕は、君と共にありたい。君を知りたい」

「 ―――― は…?」

「君のそばにいたい。それが、僕が君に出すたった一つの条件です」



 眼前で硬直する少女を、ディアはまっすぐ見つめた。偽りない、ディアの本心からの言葉だった。

 少女が視線を彷徨わせる。疑心、困惑、躊躇い…揺れる双眸に、様々な色が垣間見えた。

 それでも、淡くほのかに落ちる月の光が、少女とディアの影を長く伸ばしたその時、少女はすっと顎を上げ、ディアを見据えた。


「あんたを、信じるわけじゃない…」

「ええ」


 少女の呟きは、かたく、こわばったものだった。

それでも、ディアは躊躇なく頷いて見せる。


「僕を、利用してもいいんです」

「 ――――― っ」


 唇をかみしめ、歪められた少女のかんばせは、それでも愛らしく。

 ディアは右手をそっと差し出すと、もう何度目かになる微笑みを浮かべて見せた。


「僕は、ディア。君の名前を、教えてもらえますか?」

「…コトコ。鞍祇(くらぎ) 琴子(ことこ)


 そっと手をとり、囁くように告げられたその名に、ディアは“やっと、名前を呼べる“と笑った。


「これからよろしくお願いしますね、コトコさん」

「……」


 憮然とした表情の琴子と裏腹に、相変わらず微笑んだままのディア。その手を握り締めたまま、ディアは打って変わって「ところで」と先ほどから気になっていた事実を語るべく口を開いた。



「実はですね、のっけからなんですが、非常にまずい状態になってるんです」

「はあ?」


 顔をしかめて怪訝そうに声を上げる琴子に苦笑しつつ、ディアは「囲まれました」とだけ告げた。


「だから、いったい何 ――― 」


 言いかけて、言葉が最後まで紡がれることはなかった。琴子も気づいたのだろう。周囲の闇の中に無数に浮かび上がる小さな光の集い。


「ここ、風上だったんですよねー」


 あはは、とのんきに笑うディアに、琴子は眩暈を起こしそうになる。先程の獣が、今度は集団となって、自分たちを囲んでいるのだ。

 真っ青な顔色の琴子をちらりとみやり、ディアは「コトコさん」と声をかける。


「高いところは平気ですか?」

「え?」


 琴子の返事を聞くよりも先に、ディアの視界の端に地を蹴る獣の姿が過った。永くお預けをくらっていた獣が、ついにしびれを切らしたのだろう。巨大な体躯の猛々しい獣が数匹、こちらに向かって飛び上がっていた。

 琴子の顔が恐怖にこわばる。

 ぐっと土を踏みしめ、飛びかかる獣を横目に、ディアは琴子の手を握り締めたまま勢い良く空へ飛び出した。




 そう、つまりは、崖下へと ―――




「 ―――――― バっ…バカじゃないの!!! なんでそっちに飛び込むのよっ!!」



 宙に投げ出された二人の身体は、重力に則ってまっさかさまに落下する。




「大丈夫、下は川ですから!」

「大丈夫なわけあるかーーーっ!! ―――― っきゃああああぁぁぁっ!!!」




 鼓膜を劈くような琴子の怒声と悲鳴に、ディアはやはりのほほんと笑った。


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