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千年の神子  作者: 真咲
Chapter 2 -邂逅-
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03.刻印師"ディア"



 ディアと名乗った青年に甲斐甲斐しく世話をされること、3日。琴子は彼から逃げるタイミングを見計らっているところだった。


「おはよーございます!」


 ノックの音が二度響き、続いて見慣れたディアの笑顔が、ドアの向こうから現れる。既に身支度を整え、ベットに腰掛けた状態のまま、琴子はちらりと一瞥をくれる。

 ――――― スマイルぜろえん。

 何となく、琴子の脳裏に某ファーストフード店の謳い文句が浮かんで消えた。そのまま視線を逸らすと、ディアが困ったように苦笑する。


「じゃあ、今日も食事と薬、置いておきますね」


 今日からは、ご飯は通常食です! と微笑むディアに、琴子は眼前に置かれたトレーを見つめた。

 彼が手に持つトレーには、昨日までのスープやお粥のようなもの(ペースト状の何かだった。米ではないのは確かだ。魚をすりつぶした様な感じもする)とは違って、もっと咀嚼(そしゃく)が必要なおかずと、ナン(インド料理のアレだ)のようなものが乗っている。これがここの通常食、らしい。そして、トレーの隅には薬。

 


 あれから、相変わらず琴子はディアの前では言葉を一言も発していない。しかし、ディアは何も語らない琴子とは逆に、ひたすら琴子に話し続けていた。


 ディアは、ここ聖王国レジェンドの首都のように大きな街から、名も無い小さな村まで、時には野宿などを行いつつ世界中を旅する、気ままな旅人らしい。元々"刻印師(こくいんし)"という技師だそうで、アクセサリーなどの宝石類への装飾から刺青(タトゥー)まで、ありとあらゆるものに刺繍を施すことを生業としているそうだ。旅の最中の資金繰りは、主に露天での刻印師としての仕事で成り立っているのだと言う。この街には長期滞在予定で、琴子が運ばれたこの家は借家として借りているらしい。どうりでディア以外の人の気配がしないはずだ。

 めざめた次の日、身体にこびりついた血や泥などの汚れを落とすよう、蒸しタオルを手渡されたときに、(頼んでもいないのに)ディアが勝手にべらべら喋りだした内容がそんな話だった。


 琴子はこの3日間、ディアをずっと観察していた。結果、琴子のディアに対する印象は、おっちょこちょいで激しくパニック体質、加えて気が弱い、というところに一時落ち着いていた。

 ディアはいつだって穏やかに笑う。物腰は柔らかく、言葉は丁寧で、常に"ですます"口調だ。のんびりしていて、正直よく今まで野宿で野党に襲われず、無事にやってこれたと思う。


 けれど、だからこそ琴子はディアに疑念が尽きなかったし、信用などできなかった。

 明らかに人が良さそうな笑顔は、琴子にとっては気味が悪かったし、甲斐甲斐しく琴子の世話をやく様子はどこか滑稽にも思え、得体が知れなかった。

 

 無償の善意など、ありはしない。

 だって人は誰しも自分が一番大事なのだ。

 この世界は琴子に、それを教えてくれたのだから。


 しかし ――――― なぜ、ディアは琴子に憎しみも怯えも、抱かないのだろうか?

 

 "死を呼ぶ神子"は、この世界で誰しもが耳にする御伽噺のようなもののはずだ。

 3日前、ディアが医師を呼んだときも、琴子はその可能性を思いだし、部屋のドアを押さえて決して中には入れさせなかった。以来、ディアは医師を呼ぶことを諦めたようだった。

 しかし、ディアも神子について知っているはずだというのに、彼は一向に琴子に害をなそうとしない。琴子の髪の色も、瞳の色も、まるで気にした様子もない。

 当初、食事や薬に毒でも盛っているのではないかと疑ってみたが、あまりに頑なに食事を拒む琴子に痺れを切らし、同時に琴子の懸念を察したように、ディアは琴子の目の前で皿に箸をつけて見せたのだ。


 一体、何を企んでいるのだろうか?

(気持ち悪い…)

 何より、落ち着かない。

(はやく…)


  ――――― はやく、ここから逃げなければ…。


 身体のだるさは抜けた。傷もこの3日である程度癒えている。痛みはほとんど感じない。

 もう、動くことも歩くことも、苦ではないだろう。


 ならば…。



(今夜にでも、夜の闇にまぎれて逃げよう)



  ―――――― 殺されてしまう前に。



 そっと、手渡されたトレーの食事に箸を付けると同時に、ディアが嬉しそうに微笑んだことに、生憎琴子は気づかなかった。










 夜はあっという間にやってきた。お(あつら)え向きに、雲は空を覆い、闇は月を消している。琴子の持つ、瞳と髪の色を隠すには、絶好のシュチュエーションだ。

 ベットから起き上がり、壁にかけられた黒い外套を手に取ると、琴子は窓からわずかに身を乗り出した。一筋の光すら望めない、漆黒の闇の向こうから、虫の声だけが微かに響く。

 

 ここが一階でよかった。


 小さく頷いて、…一度だけ、背後をふり返る。

  ―――――――― ふっと、脳裏にディアの微笑が浮かんで消えた。


(変なヤツ、だったな…。もう、関係ないけど)


 再び前を向くと、琴子は二度と後ろを振り返らなかった。

 暗い夜道を駆けながら、琴子は今後について考える。


  ――――――――― 即ち、これからどうすべきか。


 ディアが琴子の瞳と髪の色を知っている故に、この街にはもう留まることはできない。

 いつ、ディアが琴子のことを他の者に告げるとも限らないのだ。どこかへ移り住むしかない。


 せめて髪を染めることができればと思ったが、そんなことが、この世界の文化レベルで可能かすら琴子には分からないのだ。

 

 ならば、この瞳と髪を隠し、生きていくしかない。

 そう、琴子はもう、生きると決めたのだから。


 この街にやってきたときと同様、昼に動き、夜は休むか…しかし、瞳と髪の色をハッキリ識別できる昼間、明るい陽の光の下を歩き回るのは危険だ。できればそれは極力避けたい。だが、女である以上、夜出歩くには身の危険が付きまとう。こんなとき、自分が男ならば良かったとつくづく思わずにはいられなかった。なんと面倒臭いことか。

(そういえば、生理、きてないな…)

 おそらく一ヶ月以上、ここで過しているにも関らず、月の物がないことに今更ながら思い至る。

 琴子は元々不順な方だが…環境の変化に、身体がついていっていないのだろう。

(ああ、ホント、女って面倒くさい…)

 ぎゅっと眉を寄せて、顔をしかめる。

  ――――――― ああ、違う、思考が脱線した。琴子は首を振ると、再び考えを元に戻す。


 木を隠すには森の中、というくらいだから、この街のようになるべく人の多い所の、スラムにでもひっそりと身を寄せるのが望ましかった。小さな集落はきっと危ない。人口が少ないと余所者は目立つ。田舎ほど排他的なのだ。

 あるいは他の国へ…とも思ったが、それこそ、多分不可能だ。関所…検問があることは簡単に予想できる。山賊やゴロツキが蔓延(はびこ)っているのだ。多分、それを駆逐する騎士やら兵士やらもいるのだろう。なんとファンタジーな世界! 龍や魔物もいるのだろうか。まだ出逢ってはいないし、出逢いたくもないが。


 考えれば考えるほど手詰まりで、頭がイタイ。


 そこまで考えたときだった。

 ザッと、土を(なら)す音が響く。


( ――――――― しまった!)


 考え込みすぎて、気づかなかった。闇の中に、黄金(こがね)に光る双眸。喉を鳴らす、低い声。

 琴子の倍以上ある大きな獣が、正面に立ちはだかった。


「っ…!」

( ―――― 大きい…)


 風体は、どこか虎に似ているようにも思える。しかし、目の前の獣には尾が二本あった。しかも、獣の体長ほどの長さがある。

 ごくり、と自身の唾を呑み込む音が、嫌によく聞こえた。目を逸らせば、今にも襲いかかってきそうだ。

 慎重に、じりっとわずかに後ずさる。しかし、同時に獣も歩を進めた。


 琴子が持っているのは、ナイフ一本だけだ。

 あの ―――――――






                       ――――――――――――――――― て、めぇ…?!






 刹那。



「 ―――――――― っ!」

 



 自らの手で刺し貫いた、あの男の瞳が。

 肉を裁つ、あの感覚が。

 一気に脳裏に蘇る。

 


 背筋がピリピリした。恐怖で、小刻みに身体が震える。


(だめだ、おさまれ!!)


 恐怖にのまれる。それでは駄目だ。獣はそれを敏感に感じ取るのだ。

 浅く息を吐き出す。少しだけ、鼓動が落ち着いた。


  ―――――――― よし。


 ゆっくりと瞼を上下させた刹那、琴子は一気に駆けだした。

 背後で低い唸り声が響く。夜の獣道は、そこかしこに伸びる樹木の幹や、葦の長い草で走りにくい。こうなれば、羽織った外套も邪魔だった。なるべく木々が密集している方へ向かう。小柄な自分と違って、あの大きな獣には走りにくいはずだと予想を付けた。それは決して間違いではなかったようで、苛立たしげな声が背後から耳についた。

 一定の距離を保ち、琴子はひたすら走った。怪我をしていた足が、痛みを増してきたような気がする。


(拙い…)




 このままでは、捕まる!




 おそらく、その焦りがまずかったのだろう。


「っ?!」


 刹那、琴子は地面を走る太い幹に足を取られていた。

 とっさに両手をつく。ざあっと膝が砂をひっかいた。鋭い痛みに顔をしかめ、しかしすぐに背後に獣の気配を感じて琴子は慌てて後ろを振り返った。そうして、その距離に戦慄する。

 獣は、琴子の後ろ2メートルの位置で立ち止まっていたのだ。2メートル…それは獣にとって、一足飛びで琴子に襲いかかることが可能な距離なのだろう。


 闇夜に爛々と輝く飢えた双眸。

(だめだあたし ――――――― 死ぬかも)

 背筋にぞっと悪寒が走り、呑み込んだ唾がごくりと喉を鳴らす。


 ぴくり、獣の前足の指が動いた。


(あ、くる…)


 未だ起き上がることもできないまま、琴子は迫り来る獣に喉元を喰らいつかれる自身を想像した。




  ――――――――― カツン、とか細い音が、張り詰めた空気を切り裂いたのは、獣が琴子へ向かい飛び出そうとした、まさにその時だった。





「あ」


(え?)





 


 獣の米神にぶつけられたのは、小さな小石で。

 響いた呟きに驚愕し、琴子は視線を走らせる。


 ちょうど、琴子の右横。数メートルの距離の先に、びっくりしたように目を丸める、ディアの姿がある。








 



「あー…あたっちゃっ、た?」






 頬を引き攣らせ、思わずといった様子で零れた言葉を皮切りに、琴子の眼前の獣が低い唸り声を上げた。食事を邪魔されたことで、完全にディアを敵とみなしたらしい。その目は血走り、怒りに染まっている。獣がディアに向かって駆けだした刹那、ディアは叫んだ。




「っ ―――― 逃げてください!!」


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