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千年の神子  作者: 真咲
Chapter 2 -邂逅-
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02.めざめ



 バチッと、指先に鋭い痛みが走る。手元の大きな水盤に、ライラの鮮血が滴り落ちた。


「邪魔が入ったか…」


 小さく呟いて、薄っすらと微笑む。

 先刻、主とのやり取りを精神体で覗き見ていた琴子。

 彼女の精神にもぐりこみ、その奥底にライラは小さな砦を築いた。

 夢幻の砦。宿主の精神を崩壊に導くそれを、しかし、外部からの障害で打ち破られたのだ。

 ティーダの能力(ちから)は封じてある。ならば、砦を破壊したのは、別の人間と言うことになる。


「面白い」


 くつり。朱の唇を歪ませ、ライラは薄く華奢な肩を震わせた。















 闇の中に、仄かな蝋燭の灯火が揺らめいていた。窓一つ無い狭いレンガ造りの室内に、わずかに鼻をくすぐる黴の匂い。部屋の中央には、木目調の丸いテーブルと蝋燭が一つ。テーブル越しに向き合う形で、そこには二人の男が佇んでいた。


「 ―――――――― しくった」


 軽い舌打ちと共に、苛立たしげな呟きが零れる。硝子のような(あけ)色の瞳を持つ男は、思わず渋面を作った。歳の頃は、恐らく20代前半、だろうか。灰白色(かいはくしょく)の長い髪を無造作に首下で括り、背中の中ほどまで垂らしている。けれどそこに女々しさ少しも感じられず、威風堂々とした空気を纏っていた。


「逃げられましたか…。しかし、玉響(たまゆら)のことでございますれば、致し方ないことかと…」


 対面する男もまた、深い溜息をつく。先の男と違って、褐色の肌が印象的だ。腰には長剣を携え、鍛えられた体つきと、凛としたその様子から、武を嗜む者であることが窺えた。鮮やかに艶めく瑠璃色の髪は短く切り揃えられ、左の額の中ごろから顎まで、縦に伸びる幅1センチ程度の刀傷が痛々しい。ハシバミ色の瞳は、僅かな焦燥に揺れていた。


「ふん…。尻尾を掴ませぬか…忌々しいことよ」


 きつく唇を噛み締め、長髪の男が吐き捨てる。同時に、空間が(ひず)みをおこし、颯然と風を切る。眼前で、褐色の男…アデルが、ぎょっと目を見開いた。


「 ―――― エ、エンリル閣下ッ!」


 狼狽するアデルに、エンリルは一瞥をくれると、歪みは瞬時に凪いで掻き消える。


「 ――― まあいい。いずれ足取りは掴める」


 呟きは、宙に溶けた。

























 めざめは突然だった。

 目に映る、簡素な室内の天井を呆然と見据えながら、琴子は暫し身じろぎ一つせず、固まっていた。



(な、ん…だった、の?)



 あの、黒髪に黒目の、神子姫と呼ばれていた、少女は。

 否。違う。そうではなくて、  ――――――― ここは一体どこなのだ?


 目覚める前に、聞こえた、あの声は?





 そこではじめて、琴子は全身の力を抜き、ふっと息を吐いた。

 ゆっくり、冷え切った手足の先に、熱が行き渡る。身体は震えるほど寒かったが、全身にびっしょりと汗をかいている。あの、悪夢のような夢のせいだと、琴子は何となく悟った。


 そっと身体を起こし、辺りを見回す。

 上等とは言えないまでも、お日様の匂いのする清潔なベットで、琴子は今まで眠っていたようだ。

 部屋には琴子以外、誰の姿も無い。


 ベットのすぐ側の窓が開けられ、穏やかな風が、カーテンとサイドテーブルの花瓶に活けられた白い花を揺らしていた。

 屋外から、小鳥の(さえず)りも耳に付く。

 不意に、腕や足に巻かれた白い包帯が目に付き、琴子は息を飲んだ。



 夢じゃない。



 琴子が殺されかけたことも、 ―――――――――――――― 琴子が殺したことも。


 きゅっとシーツを握り締める。

 夢じゃないのに、ここは酷く長閑だった。





「目が覚めましたか?」

「っ!!」


 気配がしなかった!

 ぎょっと身体を竦め、琴子は慌てて声がした方向へ向き直った。


 恐らく6畳程度の室内に、たった一つの出入り口のドア。その側に佇むのは、鈍色の髪に飴色の瞳をもつ優男だった。麻の簡素な洋服に身を包み、穏やかな微笑を浮かべている。

 手には木造りのトレー。皿が二つ乗っており、微かな湯気と、ふんわりと食欲を誘う香りが漂っている。

 男は青年と呼ぶに相応しい、おおよそ、あの屈強な山賊たちには遠く及ばぬ華奢な(なり)をしていた。面立ちも、雄雄しいというよりは中性的。ぽやっとしていて、すぐさま襲われるということはなさそうだ。警戒心を解くわけではないが、琴子はわずかに肩の力を緩めた。


「大丈夫ですか? 君はこの聖都のスラムの小道に倒れていて、もう2日も眠ったままだったんですよ?」

「……」

(2日…そんなに?)


 じっと青年から視線をはずさず、睨み付ける。一歩でも男が近づけば、すぐさま窓から逃れるつもりだった。彼の手に持つ食事は、琴子の胃をいたく刺激したが、それでも微笑みながら刃を向けられたり、例えば食事に毒が盛られていたりしては、たまったものではないのだ。


 だんまりを決め込む琴子に、青年はきょとんと不思議そうに目を丸め、首を傾げた。



「あの、具合が悪いのですか? あ! 申し送れました、僕はディアといいます。気ままな旅人です。えーと、宜しければお名前をお聞かせ願えますか?」

「……」



「あの…?」

「……」



「えーと…」

「……」



「その…」

「……」







「あああっ!!!」


「?!」


 それまでの、ぽーっとした様子から一点し、突然声をあげた青年…ディアに、琴子はぎょっとした。

 一体何事だ!



「すすすすみません! ごはん、食べますよね?! 僕話すのに夢中になって…これじゃまるでお預けしてるみたいで…――― じゃない! あの、失礼ですけど、もしかして喋れないとか…? ああ、スープ冷めちゃった…じゃなくて、ごめんなさい、ちょっと僕混乱してて…お医者様呼んだほうがいいですよね?! すぐ呼んで来ます! あ!! あと、スープも温めなおして ――――――― 」


 一息に言い切って、否。言い切る前に部屋から出て行くと、直後、バシャンという、何かがぶちまけられる音と、ぎゃああという悲鳴と、それからバタバタと床を蹴る靴音が慌しく響き渡った。


(トレー、ひっくり返したのかな…)


 どうやらあの男は、かなり抜けた性格のようだ。琴子は丸めた目を二度瞬きさせた。
















 未だ未知の異世界の、長閑な春の一日に。





「…………変なヤツ」



 ぽつり、小さく呟いて。






 それが、琴子とディアの、ファーストコンタクトだった。

 

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