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春の断層ーまたお会いしましたねー

作者: 雛雪
掲載日:2026/03/30

耽美小説寄りです。

セヴェリンは幼い頃から同じ夢を見ていた。

春、水のほとり、振り返る女の声——


「またお会いしましたね」


顔は思い出せないが、その言葉だけは記憶よりも確かなものとして彼の内に残った。

彼はやがて、それを未来の予感ではなく、すでに一度通過した時間の残響として信じるようになる。


婚約者エレオノーラは話を聞き終えると静かに言った。


「夢は夢でございます」

「違う。私は知っている」

「何を、でございますか」

「すでに起きたことだ」


彼女は短く沈黙し、

「殿下がそうお考えになることと、それが事実であることは同じではございません」

と答えた。


セヴェリンはその言葉に苛立ちを覚えた。彼に必要なのは判断ではなく、確証であったからである。



春の祝宴。

セヴェリンの視線は、遠くで微かに顔を上げたクララに向かった。

彼女の瞳が彼を受け止める前に、王子の中ではすでに確証が整っていた。


「どこかでお会いしたことが…」

「いいえ、殿下」


短く切れた答え。その従順な響きが、セヴェリンの胸の奥で静かに確信を育てた。

彼は目を細め頷く。 言葉は最小限で十分だった。すべては見て、知って、理解した——世界の輪の中で変わることのないものを。



婚約破棄は宮廷に亀裂を刻んだ。

王の怒りも宰相家の離反も彼の心には届かず、ただ春の光が揺れていた。


エレオノーラの声が静かに差し込む。


「それでも殿下はまた、あの輪を巡るのでしょう」

「輪とは何だ」

「選ぶつもりで、結局、同じ道を辿られることです」


セヴェリンは答えず、微かに眉を寄せるだけだった。

その沈黙の中で、彼の意志はすでに次の輪に向かっていた。



結婚は強行され、彼は王位継承の順位を落とされたのち、政務からも遠ざけられた。

だが、彼はそれを損失とは見なさなかった。

外部の秩序から切り離されたことで、内側の確信だけが純化されたように感じられたからである。



別宮での生活が始まると、彼はクララに過去を与え続けた。


「春の水辺で、君は私に『またお会いしましたね』と、そう言った」

「覚えておりません」

「思い出せる」

「いいえ……」


彼の問いは、愛の囁きではなく、解剖医が腐敗した組織を抉り出す際の下分けにも似た冷徹さを帯びていた。

否定の声は、彼にとっては音楽的な不協和音であり、内なる神殿を汚す卑俗なノイズであった。

彼は彼女の顎を掴み、その恐怖に歪んだ(かたち)の中に、無理やり「追憶の幻影」を接木(つぎき)しようと試みた。


やがてクララは否定をやめる。


「そのような気がいたします」


さらに時が過ぎると、彼女は先に言葉を探すようになる。


「春の、水辺で……でございますね」


彼が頷くと、その頷きが彼女の言葉を決めた。


「殿下は、どなたをご覧になっているのですか」


ある日、彼女はそう問うた。


「君だ」

「今の、わたくしでございますか」

「ほかに誰がいる」


彼女はそれ以上言わなかったが、その沈黙の中で、彼女自身の現在が静かに削られていった。



春、水辺。

光は薄く、まだ冷たい水面に砕けている。彼は彼女をそこに立たせるーー夢と同じ位置、同じ角度、同じ間合い。


「ここで、何と言った」


クララは震えながら、しかし以前よりも迷わずに口を開く。


「……また、お会いしましたね」


完全だった。

声も、間も、ほとんど誤差がない。

その完全さが、かえってすべてを空にした。


「違う」


セヴェリンは言った。

その一言は、完璧に調律された楽器を自らの手で叩き壊す至福の否定であった。

彼は現実の女が死に、純粋な観念としての「彼女」が自らの中で結晶化していく過程に、凍てつくような法悦を感じていたのである。


「何が、でございますか」

「今のは違う」


彼はそこで理解する。

彼女はようやく同じ言葉を発したのではなく、同じ形に整えられただけなのだと。

そこに過去はない。あるのは反復によって磨かれた空虚な輪郭だけである。



その夜、クララは言った。


「わたくしは、殿下の記憶の女にはなれません」


セヴェリンは沈黙する。


「けれど、それをお望みなら、わたくしは……」

「やめろ」


彼は遮った。

それは拒絶ではなく、最後の遅延にすぎなかった。



数日後、彼女は言葉を失う。問いにも応じず、ただ彼の言葉を待つだけの存在になる。やがて療養の名目で宮廷を去ることが決まる。

見送りの場で彼女は最後に一度だけ言った。


「……また、お会いしましたね」


わずかにずれていた。

そのずれだけが、彼女に残された唯一の現実だった。

セヴェリンは何も言わない。



春が巡る。

水は同じようにゆるみ、光は同じ角度で差し込む。彼は一人でその場所に立つ。そこに現れるべきものが存在しないことも、記憶と呼んでいたものが形式にすぎなかったことも、すでに理解している。

それでも彼は考える。

どこで誤ったのかではない。 どこまで一致させ得るかである。

彼はわずかに目を閉じる。 水面の光がまぶたの裏で揺れる。


「今度こそ、誤りのない形で」


その誓いは、祈りというよりは、次の獲物を屠るための研ぎ澄まされた刃の冷え冷えとした輝きを帯びていた。

彼は理解していた。彼女を「あの女」に近づければ近づけるほど、生身の彼女は摩耗し、透明な虚無へと透けていく。その磨り減った魂の残骸の上にこそ、純粋な記憶の伽藍(がらん)が打ち建てられるのだということを。

その「ずれ」への官能的な苛立ちこそが、セヴェリンを次の輪廻へ、より残酷で、より甘美な「再現の地獄」へと駆り立てる拍車となったのである。



遠くでエレオノーラは、じっとセヴェリンの背を見つめていた。

春の光が彼の肩に柔らかく降り注ぐ。 その光の中で、セヴェリンの目には変わらぬものを追う光が宿っていた——静かで、しかし確実に、終わりなき輪の中に踏み込む光。


しばらく沈黙が続き、エレオノーラはゆっくりと息を吐いた。 そして、低く、淡々とだけれども鋭く言った。


「殿下は——また、あの人を探すのですね」


セヴェリンは何も答えず、ただ一点を見つめた。 微かに揺れる春の影の中、彼の意志はすでに次の輪へと向かっていた。



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三島っぽいね
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