第6話 蒸気仕掛けの二輪
「うわああぁぁぁーっ!!!!」
クラウスは叫び声を上げながら自転車のハンドルを握った手に力を込めていた。絶対にこの手を離してなるものか。離したらたちまちの内に振り落とされてしまう。この自転車……いや、蒸気式自動走行二輪車から……。
「な、何だい!? ありゃあ…!!」
道行く人々も驚きの目でそれを見ている。無理もない、物凄い早さで蒸気と煙を吹き上げながら駆け抜けていく機械仕掛けの自転車だ。
「どいてくれえぇぇーっ!!」
― ― ― ― ―
…こんなけったいな乗り物を作ったのは機械技師である彼の父、フロイツ・ミューラーであった。フロイツは小さな工房を持ち、主に機械(ちなみにこの世界の機械と言えばまだ蒸気機関である)の整備や修理を請け負っていた。製造はしないが、呼ばれれば近郊ならどこへでも駆け付けた。収入は一般労働者よりは多かったが、何せ八人家族の大所帯なので暮らし向きはそうゆとりも無かった。それでも家族を飢えさせる事も無く養っていたのだから大したものである。
学園に入学してから何度目かの休日、クラウスが久しぶりに実家に帰ってみると父フロイツが妙にニコニコしていたので妙に思った。
『是非お前に見せたい物があるんだ』
『何だい父さん?』
『うん、まあとりあえず見てくれ。来い…』
促され、工房へとついて行く。その奥の部屋はいわばフロイツの「研究室」で、家族でさえ用が無い限りは立ち入らせなかった。そこに、それがあった。
『これは…っ!?』
『驚いたろう? 蒸気式自動走行二輪車……まあ、まだ正式な商品名は決めてないが……。構想十年、研究開発二年と半年だ。これこそ次代の市民の足・移動手段となり、我がミューラー工場(株)は一台飛躍を遂げる事は疑いない。そして私は立志伝中の人物となり……』
『誰が乗るんだよ? こんなもん』
得意げに妄想を膨らます父フロイツにクラウスは突っ込んだ。
『馬と馬車で良いじゃないか』
『お、お前!何だ!?その言いぐさは…! それでも蒸気機械整備工の倅か!?』
『頼むから量産なんてしないでくれよ。借金の山を抱えるのが目に見えてる』
『…いや、私にも考えはあるんだ。お前に協力して欲しい』
そう言ってフロイツは真剣な視線をクラウスに向けた。
『な、何だい?』
『まず貴族や富豪の子弟達に売り込むのさ。彼らは目新しい珍奇な物には目が無いし、概して文化と言うものは上層から下層への浸透の方がその逆よりも早い。上流階級の若者達がこのスチームバイクに乗って颯爽と街を駆け巡る姿……それこそが最高の宣伝になってくれるって訳さ。それを見た人々は「あのイカした乗り物は何だ?」となり、かくして我が社は商売繁盛、私は立志伝…………という訳でクロウ、こいつで学園に帰って皆に宣伝してくれ。頼むよ……
― ― ― ― ―
はぁ…とクラウスは内心ため息を吐きたかった(が、実際はそんな事をしている余裕も無かった)。フロイツは技術者としての腕は確かだが(それゆえ顧客からの信頼は厚いのだが)時たまこのような空想……いや妄想をし、しかもそれをその腕前で具現化させてしまうのだった。そしてその血は脈々と自分にも受け継がれているようだとクラウスは時たま自覚し(さすがに日常生活においてはセーブしているが)少し誇らしくもあり、また大いに困ったものだとも思うのであった……。
クラウスが正門を通り抜けて学園に入って来ると、案の定そこら中にいた学生達が何だ何だと集まってきた。一方クラウス当人はというと、もうフラフラの体で、しかも万が一転倒したり振り落とされたりした時の安全のために、どこから調達して来たのか、古い騎兵用の鉄兜をかぶっているという奇怪な出で立ちである。
「おいクロウ、何だいそりゃあ…!?」
「……いや、実はさ……」
クラウスは簡単に経緯を説明した。
「へぇ!ペダルを漕がなくても勝手に走るって訳か…!」
「何だか面白そうだな!」
「乗せてくれ!」
…さすが好奇心旺盛な貴族や富豪の子弟達である。クラウスから簡単な説明を受けると、すぐに乗りたい乗りたいとせがんできた。元よりそれが目的である。ギアチェンジなど複雑な操作はなどは無い。始動か、停止か、その二つだけだ。さっそく運動神経の良い一人の学生が颯爽と跨がって、エンジンを始動させ走り出した……ところが……
「うわわわわ…っ!? 何だこれ!? 早いしコントロールが効かな……ああぁぁぁ~~っ!!?」
「ハハハ…!へったくそだなぁ~……どれ、ちょっと貸してみな…………よいしょっと……これが始動レバーだな……って、うわああぁぁぁーーーっ!!? と、止めてくれえぇぇ~~っ!!?」
「何だ何だ、皆だらしないなぁ……どれ、貸してみな。僕は五歳から乗馬の訓練を受けてるからね。こんなもん……あああぁぁぁーーーっ!!?」
……誰も乗りこなせなかった。皆エンジンを始動させるや振り落とされるか、少し走ったと思うや制御不能で転倒したり近くの茂みに突っ込むという惨状であった(まあ幸い大ケガにはならなかったが)。そんな訳でスチームバイクもたちまちのうちにボコボコのガタガタになるわ、クラウスもクラウスでこれ以上試乗させて万一上流階級の子弟に大ケガでもされたら大変だと怖くなってくるわで、いい加減で引き上げる事にした。
ー ー ー ー ー
「……アハハ! そうか、そんな事があったのかい……いや残念だ。僕もその場に居合わせたかったな」
その後、寮に戻ったクラウスはミハイルに事の次第を話して聞かせると、彼は大笑いして言った。
「……そのスチームバイクってのにも乗ってみたかったなぁ……もう乗れないのかい?」
「…いや、よほど頑丈に出来てると見えて、まだ走行可能だよ。ただ、あっちこっちぶつかったり転がりまくったせいで車体が歪んじゃってるんだ。他にも修理と整備が必要な所がたくさんある。さっそく明日の放課後にでも手入れしてやろうと思う。その程度なら俺でも可能だからね」
「…そうか!じゃあ直ったら乗せてくれ」
「ああ、良いとも」
…さて翌日の放課後、クラウスとミハイルは授業が終わるやスチームバイクをしまっておいた倉庫へと足を運んだ。
「ほぉ!これが蒸気で走る二輪車か……」
「ああ……まったく我が父ながら妙な物を作ったもんだよ」
「……ちょっと乗ってみようか」
そう言うとミハイルはスチームバイクに跨がった。
「……おいおい!まだ駄目だよ」
「…このレバーが始動スイッチかな?」
勘でエンジンを始動させる。スチームバイクが動き出した。危ない!…とクラウスは叫ぼうとしたが……
「おぉぉ…っ!これは…!……ハハハ!何だ!楽しいじゃないかぁ…!」
「……の、乗りこなしてる……!」
クラウスは驚きに思わず目を見開いた。開発者の父フロイツを除けば、自分以外には誰も乗りこなせなかったスチームバイクを(しかもクラウスすら何とか走れるまでには少しの練習が必要だったのに)ミハイルは今初めて乗ったというのに見事に乗りこなしている。たまに少しフラつくが、それは車体の歪みのせいで、恐らく完全な状態だったらそれも無いだろう。間違いない…とクラウスは思った。このスチームバイクはミハイルのためにこの世に生み出された発明品なのだ。そうに違いない。それくらい人馬一体……いやこの場合、人車一体、あるいは人機一体と言うべきか……。
「……いやぁ~、楽しかったな。クロウ、君のお父上は天才だよ。これはきっと売れる。間違いないよ」
「いや、驚いたよミカ!このスチームバイクは君専用に決まったよ。みんな君みたいには乗れなかったんだもの。もちろん修理・整備は任せてくれ。……お陰で僕も父の夢を叶えてあげられるかも知れないという希望が沸いてきたよ。改良すべき点は大いにあるかも知れないけどね。とにかく暇な時にでも良いからこいつで街中を走り回ってやってくれないか」
「もちろん構わない。……ただ……」
「何だい?」
「…いや、交換条件という訳じゃないが、実は僕からも君に一つ頼みたい事があるんだ……」




