第二話「朱(あか)の詠唱」1
目を覚ますと、またも藁の天井が目に入った。
――ああそうだった、俺、どっかの世界に迷いこんだんだ。
そう思いながら、重い体を起こす。癒しの魔法のお陰かは知らないが、南アフリカで歩きまくった後の筋肉痛は、一切気配を見せていない。
昨日はルナリスに、俺が倒れていた場所に案内してもらい、その後ここへ帰ってきた。急ぎ足で帰ったお陰で、魔物とやらには出くわさなかったが、途中、ルナリスが本気で走り始めた時は、本当に時間がヤバかったんだろうなと悟った。そのペースについて行くことが出来なかった俺に対して、「ふ、ふざけてないで急いで下さい!」と言われたところを見ると、俺の体力は、この村の人たちと比較にも出来ないくらいに低いのかもしれない。何せ、“ふざけてないで”と言われたのだから。
そしてルナリスの首筋を気にして見ていたが、やはり何度見てもそこにはあった。魔法陣が。聞くとルナリスは、まだ十七歳だという。二十歳までは時間があるだろうに、何故浮き出ているのか。
不思議なことに、じいさんも気付いていない様子だった。ふたりの動きを見ていたが、じいさんがルナリスの後ろ側にいて、首筋が見えるであろう位置になってもいたが、それでもだった。
もしかして、俺にしか見えていないのか?
さて、今日でこの村での生活は二日目。現実世界に帰れるのがいつかは皆目見当もつかないが、とにかく毎日を生きるしかない。早いところ、この村の生活に慣れないといけない。
外へ出てみると、朝日の眩しさに一瞬目がくらみ、景色が白く滲んだ。
「あ、レンさーん!」
声の方を見ると、ルナリスが桶を重そうに運んで来ているのが見えた。俺はボサボサの頭を掻きむしりながら、ルナリスに歩み寄った。
「おはよう、俺それ持つよ」
桶をルナリスの手から取ろうとすると、ルナリスは大きな声で慌てふためいた。
「だ、大丈夫です! レンさんは、まだゆっくりしていて下さい。昨日たくさん走ったでしょう、お身体を壊されてしまいます」
始めこそ驚くほど大きな声だったが、終盤はいつも通りの、水を引く様な声に戻っていた。顔を伏せがちに、困った様に上目で見てくる。そんな顔で俺を見るな。責めてるみたいじゃねえか。
「そっか。それじゃあ、もう少し横になっとこうかな」
「はい、そうして下さい」
ルナリスは笑顔で答えた。
家に戻りながらも、周りで農作業をしている人たちを観察した。みんな日本人みたいな顔をしているが、その髪の色は様々である。金、白、赤、青、緑、茶、そして、黒。
じいさんばあさんで白髪が多いのは恐らく老いのせいだろうが、意外だったのは、日本顔に色んな髪色が混ざっていても、特に違和感がなかったことだ。その人の年齢問わず、だ。
家に入ると、ルナリスは俺をベッドへ促し、そそくさと炊事場へ駆けた。すでにふんわりと、いい香りが漂ってきている。何かを炊きながら水汲みに行っていたらしい。
昨晩も飯を出してもらったが、めちゃくちゃ美味かった。腹が減ってたってのもあるかもしれないが、味付けが絶妙で最高だった。料理は、豆を煮たものや焼き魚、それに汁物を出してくれた。これまでの調査先で、色んなものを食べてきたが、ルナリスの料理は間違いなくプロレベルだと感じた。俺が保証する。
ルナリスが料理をするところを見たくなり、近寄り肩越しに覗いてみた。ルナリスは困った様に、
「ね、寝ていて下さい」
と言ったが、俺はお願いして、その工程を見せてもらった。
しばらく見ていると、作っている物のそれぞれに、決まって同じ調味料を入れている事に気付いた。
「なあルナリス、さっきから入れてるそれ、何なの?」
ルナリスは、手に持った器を見せてきた。
「こ、これは、ミリフィカというものです。料理には欠かせない調味料です」
俺は「へぇ」と息を漏らしつつ、器に小指をちょろっとつけて舐めてみた。が、味はまったくしなかった。
「欠かせないって、これがそんなに大事な調味料なのか」
「ま、まあ、“わたしにとっては”ですが」
ルナリスは急に照れたように口をきゅっと結ぶと、焼いている魚の方へ向き直った。そして器を手早くひっくり返し、中の液体を焼き魚にさらりと流し落とした。液体は魚に広がり、表面を艶やかに濡らす。たちまちいい香りが、鼻孔に漂った。
舐めても無味ではあったが、焼けた途端に香りが生まれた。不思議だ。その香りは醤油に近いものがあった。
「おお、めっちゃいい香りするじゃん!」
俺が明るい声で言うと、ルナリスは嬉しそうに言った。
「あ、そうですか、良かったぁ! ミリフィカは、その人の好みの味や香りになる、魔法の力で精製された調味料なんです! どんな料理に使っても、食べる人が想像した味の、数段上の味に“感じさせて”くれるんです!」
「感じ……させる?」
「ええ、実際、料理が下手くそで、おじいちゃんには“お前はもう料理せんでええ。”なんて言われたので、それでこれを使ってるんです、あはっ」
あはっ、じゃねえよ。満面の笑みで嬉しそうに言うが、ルナリスに裏切られた感が半端なかった。あの温厚なじいさんにそこまで言わせるとは、こいつ……なかなかかもしれん。
そうは言っても、やはり食べると食が進んだ。麦飯みたいなやつも魚も汁物も、全て美味かった。実際は味気ないものを食べていると思うと少々悔しい気持ちもあったが、それで言うと、上手い飯というのも、本来味気ない物に調味料を加えているのだから、さして変わらないか、と言い聞かせた。
食べ終えて、最後に水を一気に飲み干した時、柔らかみと若干の甘味を覚えた。「流石に自然の水はうめぇなぁ」と言いながらグビグビのんでいるところに、
「あ、それにもミリフィカ入れてます」
と言われた瞬間、喉を流れていた水を吹き出した。
……そこにはいらねえだろうが。言いこそしないが、思念が伝わるよう目を細めてルナリスを睨んだが、満面の笑みで俺の目を真っすぐ見て目を輝かせていた。さも、「すごいでしょ、わたしが美味しくしたんです」と言いたげに。
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