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第七話「森が哭く夜」5

「さ、これから魔物の巣窟、獣哭じゅうこくの森に入りますよー。ささっと抜けちゃいましょう」

 ミリアは言うと、手綱を打って馬車の速度を上げた。

 獣哭の森と呼ばれるその森は鬱蒼としており、どこか湿った獣臭が、風に乗って流れ込んできた。そしてあっという間に辺りは暗くなった。

「一応、魔除けのおまじない、皆さんにかけておきますねぇー」

 弾む様に言うミリアは、人差し指をピンと立てた。その指の先から紫の光が淡く現れ、それぞれの体目掛けて飛ぶと、優しく包み込んで、ふわりと消えた。

「これで魔物も少しは寄ってこなくなるはずです」

 そうは言われても、魔物の巣窟を抜けるというのは、非常に不安が残る。それはルナリスも同じようだった。

「大丈夫でしょうか」

 胸に手を当てたルナリスが、不意に眉を下げて言った。

「な、何がだよ」

 俺が聞くと、前方を見ていたルナリスは、こちらを見て教えてくれた。

「この獣哭の森は、ミリアさんの言った通り、獣たちの棲み処となっています。今はいいですが、夜になると獣たちの哭き声が聞こえ、活動が活発になりますので、それまでにここを出ないと――」

 そう言って黙ってしまったので、俺が「出ないと……な、何なんだよ」とその先を促すと、トウカがぼそりと言葉を足した。

「――喰われる」

「――っ!」

 突然のトウカの低い声に、背筋に冷たい物が走った。そちらを見ると、またしても目を細めて俺を見ていた。そして微かに口元を吊り上げ、猫の眼が、縦に細く伸びた。その無表情の仮面の下で、俺の反応を愉しんでいる気配がした。

 満足したのか、トウカはひと息ついて、背中を馬車に預けて目を瞑った。

 “喰われる”と言っても、トウカのこの余裕めいた雰囲気を見るに、きっと夜までにはここを抜けられるのだろう。それに時間的に厳しいのであれば、ミリアもここへは入らず、その手前で一夜を過ごすことを提案していたはずだ。そうしなかったのは、きっと“そういうこと”なのだろう。


 *****


 森へ入ってどのくらいだろう、俺の体内時計で、一時間ほど経過しただろうか。馬車は走らせているにも関わらず、未だに森を抜ける気配はない。それに鼻が慣れたのか、森に入った時の獣臭も、いつのまにか感じなくなっていた。本当に夜までに抜けられるのか心配になり、ガルドに聞いてみた。

「なあおっさん、森はまだ抜けないのか?」

「そうだなぁ、時間的に、そろそろだと思うんだがな」

 ガルドはそう言うと、中腰で立ち上がり、ミリアの方へ顔を覗かせた。

「なあミリア、まだ森は抜けな――」

 ――と、その時、底から突き上げる衝撃が走った。支えを失った俺たちの体は、一瞬浮き上がり、狭い車内で無造作に放り出された。気が付くと、箱の幌の部分に倒れ込んでいた。どうやら馬車が横転してしまったらしい。俺たちは急いで外へ出た。

 外へ出ると、ミリアも壮絶に飛ばされており、数メートル先でお尻を突き出した状態で突っ伏していた。

「おいおい大丈夫かよ」

 俺が駆け寄ると、ミリアはお尻をさすりながら立ち上がった。

「ごめんなさい、暗くてよく見えずに、あの石踏んじゃったみたい」

 指をさす先には、岩と言っても過言ではない程の大きな石が転がっていた。あれを踏んだと言うのか、そりゃあ横転しても仕方がない。そう思えるほどの大きさだった。

 しかしこのでかい馬車が横転したとなれば、起こすのも一苦労だろう。それに……。

「これは困りましたね。車輪の根元が、折れています」

 ルナリスは外れた車輪を持って、そこに当てがいながら言った。


 しばらくそこで問答し、ガルドの力でなんとか箱は起こせたが、車輪はどうにもならなかった。そこに留まっていては命に関わるので、強行で車輪が外れたまま引きずって進んだが、速度があまり出なかったせいか、見立て通りに事は運ばなかった。それどころか、夕刻にも関わらず出口の明るみすら見えなかった。

「おかしいな、もう抜けてもいい頃なんだが、光が見えてこないな。こりゃあ、夜までにここを出るのは難しいかもしれんな」

 ガルドが言うと、一気に冷たい空気が俺たちを撫でた。全員神妙な面持ちで、お互いを見合う。

「……まじかよ」

 手練れの三人が揃って顔色を曇らせた時点で、この状況の異常さは嫌でも察せた。

 その時、遠くで獣の哭き声が一斉に聞こえ始め、森の木々に反響した。



 第七話「森が哭く夜」 終わり


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