プロローグ
とある日を境に記憶を失ってしまった俺。
記憶を失ってから、よく変な夢を見る。
「私、本当は楓くんが好きなの」
「俺は……」
相手が誰かは分からない。
きっと、失ったはずの記憶を夢で見ているのだろう。
俺はそう解釈している。
***
俺、文月楓は、高校の入学式を終えて帰ろうとしている所、とある友人に話しかけられた。
「久しぶりだね。楓」
相手は小学生からの幼馴染である神谷綾華だった。
小学生を卒業するまで、毎日のように遊んでいたことは覚えている。
中学からは、やはり記憶が曖昧。
もはや中学の記憶に綾華はいない。
「ああ。久しぶりだな。綾華」
いわゆる、ボブと言われる髪型の綾華。
その髪は黒く、光で少し青ががって見えたりもする。
「中学生ではほとんど話してないもんね。楓はクラス何?」
クラス分けテストというのを事前にやらされているため、クラスはAクラスを一番上として実力順に配置される。
そのテストは学力だけでなく、運動面もテストされた。
俺は、A、B、C、Dと四クラスある中のCクラス。
下の方のクラスで、言ってしまえば実力がないクラスだ。
「Cだ。綾華は?」
「え、本当にCなの?」
目を丸くして驚いている様子の綾華。
「何かおかしな点が?」
場は一瞬沈黙に包まれる。
「ねえ、楓」
「なんだ?綾華」
「中学で何かあった?」
「どういうことだ?」
「いや、なんでそんなに無表情なの?口調も冷たいし。しかも、なんでCクラスなの?」
「そうか?それに、Cクラスはただの実力だ」
「いや、楓は小学生の時から誰にも負けなかった。最強だったでしょ」
俺は昔最強だったのか?
なににおいて最強とするのか?
「でも、中学二年生のある日、突然楓はテストの順位表から姿を消した」
「すまん。ちょっと言ってることがよく分からない」
「え?」
綾華は当たり前のように俺について述べている。
だが、俺はそれが本当かわからない。
「すまん。あまり、昔のことは覚えてないんだ」
「ど、どういうこと!?」
「そのままの意味だ」
「記憶喪失ってこと?」
「それに近い」
それに近いというのは、覚えてることもあるという意味だ。
「だから、違和感があったのね」
「多分な。俺が以前お前とどう接してきたのか、分からない」
「記憶をなくして、急に中学で姿を消したってわけ?」
「ああ」
「昔は最強だったのに、それも忘れて今ではCクラス?」
「恐らく」
「なーんだ。また楓が学校で無双するの、見たかったのにな」
「仮に俺がそんなに強かったとしても、無双できる保証はないだろ」
「いや、あるよ。楓のこと、私が一番よく分かってるから」
どうやら、俺と綾華はそれほど仲が良かったらしい。
「そんなに強かったなら、昔の強さってのも、取り戻してみたいな」
いつしか俺から消えていた過去の記憶。
それと共に失ったであろう実力。
それを、この高校生活で取り戻せるなら、その時が楽しみだ。
「だったら、楓が記憶を取り戻して、実力も取り戻して。それで無双するの、楽しみにしてるね」
そうだな。
記憶を取り戻して、実力も取り戻して。
そしてこの学校で無双するのも、悪くない。
ま、俺が本当に強かったらの話だけどな。
「ねえ、ほんとに記憶ないの?」
「ないって言っただろ」
「そっか……。」
「全部じゃないけどな。実際、綾華のことはわかるし」
分かることもある。
綾華とどういう関係だったかは分からないが、名前、存在は分かる。
「何が覚えてて、何を知らないの?」
「いや、分からない。なあ綾華。俺の中学の記憶にお前はいないんだが、実際はどうだ?」
中学で覚えてることなんかほとんどない。
俺が綾華と話した記憶は小学生で途絶えている。
「中一だね。最後に話したのは」
「そうか」
「本当に覚えてないんだ。じゃあさ、私が言ったあの言葉は覚えてない?」
あのこと。
もちろん全く分からない。
「分かんないか。頑張ったんだけどな」
「すまない……」
「いや、いいんだよ。別にいつだって言えることだし。じゃあ、今言ってあげるね」
「ああ。頼む」
綾華は一度呼吸大きめに吸って、それを吐く。
一度深く目を瞑って、目を開く。
やがて綾華の青みがかった黒い瞳と俺の目が合う。
「好き」
入学式の今日。
透き通った青空に、微かな雲。
その雲の隙間から差し込む光。
風に揺られ、桜の花びらがひらりと舞う。
その花びらが文月楓と神谷綾華の視線を一瞬だけ遮る。
そして、その桜が風に吹き飛ばされ、また互いの目が合う。
顔が真っ赤の綾華。
そしてその先には、告白を受けても変わらず無表情の文月楓がいた。