第188話 対決
フロイトが待ち受けているのはオレたちの現在地と目的地である東京タワーの中間地点だ。
わき道を使って迂回することもできるが、そうしている余裕はない。
戦力は十分、対策も万全。フロイト相手に確かめたいこともある、対決は望むところだ。
気になるのはフロイト側の意図。叔父上の時と同じで、徹底して姿を隠していたやつがわざわざ姿をさらして妨害に来たということは何かそうせざるをえない理由があるということだ。
だが、その理由をさぐるのは後でいい。まずはこの再現世界でフロイトを捕らえる。謎を解くのはその後だ。
地下鉄の闇の先、とある駅のホームにフロイトは佇んでいた。
相も変わらずその姿は世界に開いた人間型の穴のよう。表情はおろか、服装から体格にいたるまでありとあらゆる情報がそぎ落とされている。理解できるのはそこに何かがあるというノイズのみだ。
だが、前回よりもはっきりと認識できている。オレの認識が変わったおかげか、あるいは、魔力も精神力もまだまだ充溢しているおかげか。どちらにせよ、今なら戦える、その確信があった。
「――よう」
なので、あえて何でもないかのように声を掛けてやる。一度は後れを取ったが、二度目はない。そう宣言するように。
当然、返事はないがどうでもいい。事情はどうあれ敵は敵だ。
「あれが、未来でのあなたたちの敵ですか」
「そういうことです。ここまで追っかけてくるとは思いませんでしたが」
「……少し斬ってみますか」
「勘弁してください。こっちにも意地があるので」
ユカリさんが娘と同じタイプの衝動に駆られているので、一応制止しておく。
まあ、できることならこのまま全員で袋叩きにしてしまいたいが、オレの推測通りならばフロイト相手には半端な数を用意しても逆効果になる。こいつと戦うのはオレ一人の方がいい。
「谷崎さん、リサ。あとは任せる」
「……うん。わかった。でも――」
「――ええ。また勝手に死んだら蘇らせてからもっかいぶっ殺すから」
リサの激励が洒落になっていない。覚悟と緊張に身が引き締まる。
そういえば前世で先に死んだのはオレだった。
前世でリサことゴマさんとオレは親友だった。一度も現実空間で顔を合わせたこともなかったけど、互いにそう思っていたと信じる。
なので、突然音信不通になったときにはすごく心配をかけた。オレは死んだときには誰にも迷惑をかけていないなんて傲慢にも考えていたが、実際には違った。
今度は、そういうわけにはいかない。オレのためにも、みんなのためにも、こんなところでこんな奴に道連れにされてたまるもんか。
「――させるかっ!」
フロイトの右手がおもむろに持ち上がる。瞬間、待機させておいた術式を発動させた。
フロイト周辺の影がボコりと盛り上がり、そのままやつの全身を呑み込む。
怪異『山本五郎左衛門』の影による牢獄。具象化した闇は重力を伴い、光さえも逃さぬ完璧な牢となる。
「いまだ! 先に行け!」
「応!」
オレの合図に応じて、厳徹殿を筆頭に皆は最短ルートを駆けていく。
その間、わずか3秒。しかし、その3秒間、オレの術は以前手も足も出せなかったフロイトを捕えてみせた。
事前に考えていた対抗策がうまく機能している証拠だ。となれば、フロイトの異能の正体もおのずと絞り込める。
ここまでは作戦通りに動きだ。
フロイトの足止め、もしくは捕縛をオレが担当し、ほかのメンバーにはこの異界そのものを解体してもらう。
叔父上と、そしてもう1人の身に何が起きるのかを見届けるのはオレでなくとも構わない。
リサはオレと同じ転生者だし、谷崎さんの推理力、情報理解力は原作キャラでも随一。2人ならばオレがいなくても答えにはたどり着ける。
一方、フロイトの相手は現状、オレにしかできないことだ。
術の発動からきっちり5秒後、影の牢が内側から破られる。膨大な光が闇を食い破り、その中心にはフロイトが立っていた。
……術そのものを解析して対抗手段を講じたか。それ自体も超高度な術式ではあるが、以前よりも何をやっているのか分かっている分、恐怖はない。
「何が起きたか分からないって顔だな。今度は一瞬で抜けられなくてびっくりしたんじゃないか?」
無論、表情など何一つとして分からない。分からないが、かすかに反応している、ように見える。
……前回の戦闘での接触のおかげか? 無意識下でオレはこいつのことを理解し始めている?
確かめるにはやはり戦うしかない。なに、準備は万端だ。対処法が有効だと判明した今なら戦いにはなる。そこから先は運次第だ。
「勘が宵とイうのも、厄介ダナ」
星の間で聞いたのと同じ音割れし、何重にも重なったノイズのような声。およそ人間の発するものとは思えないが、前回よりはまだ聞き取れる。
……ちくしょうめ。こいつの事なんて正直知りたくなんかないのに、どんどん解像度が上がっちまう。
だが、敵を知り己を知れば百戦危うからずという言葉があるように、こいつのことを理解しているのは有利に働いてくれている。それに伴う同情や哀れみは戦いの邪魔でしかないが、戦闘に際してそういうものを封じるのは術者の基本だ。
「――『電脳邪眼怨霊』」
次に顕現させるのは『S子』だ。
魔力が迸り、オレの隣に白い服を着た髪の長い女がゆらりと佇む。周囲の温度が若干下がり、非常灯がチカチカと明滅した。
普段は電脳魔としてオレのスマホに宿っている『S子』だが、『山本五郎左衛門』の影と混ざり合うことでより強大な権能を発揮することができる。
その権能とは『見る』こと。この一点に関していえば『S子』の異能はオレの手持ちどころか、『星名録』の中の式神たちでさえ凌駕している。
もっとも、こっちに策があってもそれを黙って見ているフロイトじゃない。
「させるとデモ?」
魔力の励起や意識の集中といった兆候一切なしでの異能の発動。オレの周辺の空間がひび割れ、その歪みが途上にあるすべてを引き裂いていく。
回避も防御も不可能。しかも、こっちは向こうと違って体を真っ二つにされたらやり直しはきかない。もっとも当たってやるつもりなどないが。
「よっと」
背後の影に一息に飛び込む。『山本五郎左衛門』の影の中は存在しない空間『マイナス空間』ともいえる場所だ。
その内部であればありとあらゆる干渉から逃れることができる。そこにいないものにはいかなる攻撃も通じない。当然、フロイトの攻撃も届かない。
そうして、オレは別の地点から再出現する。
疑似的な瞬間移動。この駅構内には『山本』の影が既に展開済みだ。つまり、ここでなら自由に回避運動が可能だ。
しかし、さっきの攻撃は星の間で叔父上が呼び出した『貪るもの』のものに似ていた。
『世界』そのものへの干渉と攻撃は最上位の怪異にのみ許された特権のようなもの。それを使える時点で人間の範疇からは半身以上はみ出している。
まあ、そこらへん今のオレは人のことを言えた義理じゃないのかもしれないが。
続けざまの攻撃を回避しながら、魔力を練り上げて、術式の構築を進める。
実戦で使うのは初めてだが、術理の実証は済んでいる。再現する権能と強化する式神という違いこそあるが、重要な部分はすべて体に記憶されている。自転車をこぐのと同じだ。勢いに乗ればあとはなんとでもなる。
「アンタの異能には見当がついている。だから、準備もした」
オレの挑発にフロイトは両手をかざし、より広範囲の空間を破壊する。
このホームそのものを崩落させてオレを巻き込む気か。悪くない手だし、実際有効だが、こっちのほうが早い。
「『電脳貞眩邪視殺界』」
術が発動し、景色が塗り替わる。
影に満ちた世界。そこに浮かぶのはすべてを監視する巨大な瞳だった。




