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第187話 地獄の門が開くとき

 『BABEL』の世界では当然『悪魔』も実在している。


 この世界における悪魔は数多に存在する『怪異』の一種であり、『悪魔のような』という比喩表現が一般社会に膾炙するほどの知名度がある。

 それこそ、サブカルやオカルトに造詣のない人間でも悪魔と聞けば蝙蝠の翅を生やし、角を持つ怪物の姿を脳裏に思い浮かべることだろう。


 一方、知名度イコール出現率といってもいいこの界隈において『悪魔』の出現率は例外的に低い数字を推移している。特にこの極東地域において悪魔の出現例はここ20年でわずか3件程度だ。

 ましてやその3件の場合も人間に取り憑く『悪魔憑き』としての出現事例であり、実体を伴っての顕現など過去の記録でも見たことがない。


 悪魔の本場ともいえる西洋圏でも悪魔憑きとしての出現は数あるが、実体を伴っての出現例は滅多になかったはずだ。

 

 これは悪魔が『地獄の住人』であると明確に定義され、それが人々の意識に深く根付いているためだ。『神』の定めた法は厳格であり、『試練』としての例外はありえても悪魔は基本的に地獄から出ることができない。それゆえ悪魔の『実体』を目にしたものは法の外の力を扱う異界探索者にもほとんどいなかったりする。


 だが、そんな特例中の特例が今目の前にいて、しかも、オレたちに襲い掛かってきている……!


「『マカミ・シシオウ』!」


 想定外もいいところだが、動揺はない。手持ちの式神の中から悪魔に対して有効な攻撃手段をもつものを選定するのにはコンマ1秒と掛からなかった。


 呼び出したのは純鉄の体をもつ『鉄神使くろがねしんし』。それぞれに狛犬と獅子の姿を象るこの2体はオレの式神の中でも最古参であり、汎用性も抜群だ。

 それに、洋の東西を問わず鉄は悪しきものを遠ざける力を持つとされてきた。悪魔にも有効だ。


 予想は的中した。2体の神使の牙は群れなす悪魔の肉体を容易く引き裂き、瞬く間に霧散させた。


 ……蝙蝠の羽に角、それに鉤型の尻尾。一般的なイメージそのままなところから見ても、こいつらはいわゆる『個体名』を持たない最下級の悪魔と見ていい。

 『インプ』、あるいは『ガーゴイル』か。悪魔の実物を実際に見るのは初めてだが、まず間違いないだろう。


 ほかの6人もすでに迎撃態勢を取っている。奇襲を受けた形ではあるが、この程度でどうにかなるようなみんなじゃない。


「――はっ!」


「――そら!」

 

 アオイさんと厳徹殿の斬撃が容易く悪魔を両断する。

 刀で悪魔を斬れるなんて伝承的な謂れはないが、二人ほどの使い手の剣士が振るう刃にはそれだけの力がある。


 谷崎さんとリサにしてもそれは同じだ。ダゴンの爪もアレスの加護を受けた牙も低級の悪魔程度は容易く滅してしまう。


 後衛もきちんと対応してくれている。叔父上の防護結界が貴重な回復役である朱子ちゃんをきっちりガードしていた。

 ……リサに言われてから見ると、確かに露骨なまでに叔父上は朱子ちゃんに寄り添っている。ちょっと手と手が触れあっているし、隠す気がないと言ってもいいかもしれない。プライベートの時のアオイほどじゃないが、かなりのべたべた具合だ。


 ………びっくりだ。現代の叔父上は考えが読めないというか、読ませない達人だったが、今の叔父上にそれはない。

 むしろ、今がこんな感じだから現代ではあのポーカーフェイスを身に着けたのか?

 

 …………愛はもっともわかりやすくもっとも強固な動機だ。人が変わるにしても、殺人にしても、あるいは、世界を滅ぼすにしても。


 …………いや、それよりも今はこの悪魔どもだ。


「――いくらなんでも妙ですね。悪魔だなんて」


 ユカリさんが言った。怜悧な顔に困惑と疑問が浮かんでいた。


 悪魔の群れ、最初の10匹に加えて増援として現れた3匹の殲滅に要した時間は10秒足らず。

 こちらの戦力を鑑みても、正直敵戦力は大したものではなかった。この異界全体で見れば最弱の敵集団だといってもいい。


 だから、問題はなぜ悪魔がここにいるのか。いくらこの異界がなんでもありの地獄絵図とはいえ、本物の地獄の住人がうろついているなんてのはさすがにスルーできない。


 実体のある悪魔は滅多に出現しない。それが複数体の群れで行動しているなんて何か理由があるはずだ。


「……どこかで『地獄の門』が開いてる」


 『この門を通るものは一切の希望を捨てよ』、そんなあまりにも有名な言葉が脳裏をよぎる。


 探索者界隈において地獄の門というのは、誰でも知っているあの巨大彫刻のことだけを指すのではなく一種の概念を指す言葉でもある。


 地獄の門、あるいは『冥界門』と言い換えてもいだろう。

 そも『黄泉平坂』に『冥府の国』、南米の『シバルバー』など神話体系の数だけ死者の国は存在し、そこに繋がる道も死者を封じ込める門も多数存在している。


 それらを総括する概念が『冥界門』。日本においてはお盆に開くとされる地獄の窯の蓋などもここには含まれる。


 だが、今回の場合は文字通りの地獄の門が開いている。日本やアジア圏に根付いている地獄ではなく、西洋圏で信仰される方の『地獄』に繋がる門が開いているのだ。


 …………上野公園のアレか?

 あそこにあるのはイタリアにあるものの複製であり、その成立になんら怪異の関与したものではないが、モチーフがモチーフだ。ありえる、かもしれない。

 

  でも、ここは仮にも東京だぞ?

 ……文化圏が違いすぎて依り代となるイミテーションがあるというだけでは門が開く理由にはならない。開いたからには開くにたる理由、あるいは、いわれとなる伝承や都市伝説があるはずだ。


 この異界の異界因となっているのはノストラダムスの予言であり、二体の大王だ。そして、そいつらの正体は依然として不明のままで…………うん? 待てよ?


「……『貪るもの(デバウワー)』はそもそも特定の形を持たない。逆を言えば、どんな姿形にもなりうるってことだ。だから、か? まだ形が定まっていないから、ありとあらゆる形の滅びを誘発している……?」


 一応の答えを声に出して客観的に確認を行う。言っていて背筋に怖気が走る状況だが、それしかありえない。これまでに遭遇した怪異の多種多様さにも説明がつく。


「なにをぶつぶつと……何か気付いたのですか?」


「まあね。とにかく急がないといけない」


 ようやくこの『99事変』において何が起きているのか理解できた。


 端的に言えば今ここで起こっているのは『世界滅亡コンペティション』とも言うべき事態だ。

 きわめて特殊な条件が重なったが故の大惨事。そもこの異界の異界因となっている予言自体が極めてあいまいであったうえに、そこに登場する2体の大王の正体に関しても曖昧模糊としていた。


 だから、予言には無数の解釈が成立し、大王の正体に関してもあまりにも多くの説が唱えられた。

 こういう状態は異界においてとんでもなく面倒な事態を引き起こす。有名なシュレディンガーの猫と同じだ。実際に何が世界を滅ぼすかは予言という箱が開くまでは確定せず、それまでの間は箱の中ではどんな事態でも起こりうる。


 だから、悪魔なんてものが跋扈している。予言にあるどちらかの王の正体がかの『反救世主』だとしたら地獄の門が開きかけるのは当然のことだからだ。


 ……大王の正体として現れる怪異は他にいくらでもありうる。今ごろ東京湾のどこかではなぞの海底遺跡が浮上しているかもしれないし、溶けた氷の中から地球を一巻きするほどの大蛇が目を覚ましているかもしれない。予言が成就するまでは、ありとあらゆる形での滅亡とその前触れが東京には出現しうる。


 いうなれば、東京というフラスコにありとあらゆる滅びの要素が詰め込まれ、誰が世界を滅ぼすかを競い合っているってわけだ。

 …………さんざん何でもありだと思っていたが、本当に何でもありだったか。


 オレがこれらのことを説明し終えると、全員が神妙な顔を浮かべた。

 当然と言えば当然だ。これから先どんな怪異が襲ってくるのか何一つとして予想が立てられなくなったんだから。

 

「……でも、まあ、やることは変わらねえんだろ?」


 重苦しい空気を断ち切るように厳徹殿が口火を切った。

 ……確かに、そうだ。事態の厄介さが分かったところで今更止まれないし、止まる気もない。


 もとから選択肢は一つ。あの空に開いた穴の直下に移動し、空間の穴を閉じる。予言の正体が何であれ現状取りうる対抗策はそれしかない。


「じゃあ、進もう。大丈夫だよ、このメンバーでならなんとかなるって!」


 最後に、朱子ちゃんがそう発破をかけてくれる。言葉一つだが、全体の空気が和らぐのが分かる。オレ自身も少しだけ肩の荷が軽くなった。


 ……こういう役目はオレには無理だ。原作では主人公『土御門輪』が、特殊探索班においては『凛』がこの役目を担っていたけど、この時代においては朱子ちゃんがそれを担当しているのだろう。


 こればかりはどんな優秀な術師や異能者でも向いてなければできないことだ。誰かに希望を与えて、足を進ませるのは簡単なように見えて、簡単なことじゃない。


 彼女が、朱子ちゃんがいれば、この部隊はどんな状況下でも進んでいけるだろう。そういう意味では安心ではあるが、それ以上に恐ろしくもある。


 彼女が、巫女田朱子が、『アレ』の正体であるならば、オレは――、


「――確かめるしかない、か」


 だが、思考より先に感覚がどうすべきかを判断する。

 山本五郎座衛門の影と六占式盤に生じたわずかな『空白』。これこそまさに、あの『星の間』で感じたものとまったく同じものだ。


 つまり、この先であの『フロイト』がオレを待ち受けている。ようやく対決の時が来たってわけだ。

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