第186話 地下世界『恋愛』紀行
『BABEL』世界において、『地下』には様々な意味がある。
例えば死後の世界『冥界』という意味。古来より死者は土の下に埋葬されるものであり、そうであるからには地面の下の世界は死者の世界だ。
ほかにも『迷宮』、『別世界』、あるいは『過去への遡行』。珍しいところでは『空洞』、『理想郷』という意味もある。
なので、異界探索においては地下は鬼門だ。ハイリスクハイリターンすぎてまともな探索者ならば避けるし、近づこうともしない。下手に地下に降りれば、それこそ失われたジュラ紀の世界に迷い込むようにもなりかねない。
だが、今回に関しては地下を行くしかない。地上が地獄な分、地下はがら空きなんて甘い考えをしているわけじゃないが、ほかに東京タワーまで最速で接近するルートがない。ここが覚悟の決め所だ。
それに闇の世界である地下空間だからこそ使える手もある。
「――マッピングできた。路線図からは大分変化しているけど、逆に時間を短縮できる。ついてるよ」
今オレ達がいるのは無人となった地下鉄の駅だ。ここから東京タワーの最寄り駅は三駅隣に位置しているが、途中で線路図に存在しない路線がいくつも出現しており、事前に走査してなかったらどこかに迷い込んでいただろう。
また地下にいる怪異の位置と種類も把握できた。これで不意の遭遇以外は回避できる。
……渋谷方面にいる『恐竜』に興味がないと言えばウソになるが、今構っている暇はない。さすが『地下世界』。なんでもありだ。
「……式神を影に溶け込ませて、全域に広げたのか。もともと不定形とはいえ……すごいな……」
叔父上の感心通り、ここまでのことを短時間で把握し、しかも、ほかの誰にも逆探知できずに実行できたのは『山本五郎左衛門』の影を地下鉄の路線に沿って展開できたおかげだ。
といっても、さすがの妖怪の王でも地上ではここまでのことをやるにはもっと時間と魔力を食うが、幸いここは地下だ。
闇と影の世界は影そのものである『山本五郎座衛門』にはホームグラウンド。ここまでの無茶もそう難しくない。
「ついでに言えば、『六占式盤』にも連動させてます。コツは式神の特性を活かすこと。あとは契約で縛りすぎないことですかね、相手にもよりますが」
「……なるほど。君は初代と近いのか。どうやら我が一族はしばらくは安泰らしい」
…………叔父上に褒められるのは妙な気分だ。
現在のオレにとって叔父上は敵だし、親戚としても仲が良かったわけでも、好きだったわけでもない。
でも、この時代の叔父上は今の叔父上と何か違う。その何かが分かれば、だいぶいろんなものがはっきりするんだが……、
「同じくらいの年で、この差か……」
しかも、なにやらオレの術を見て落ち込んでいる。
ますますよくわからない。オレの術は前世の知識+二十年後の現代の知見ありきのものだ。
だから、オレがすごいわけじゃない。自分に才能がないとは言わないが、オレと同等の才能があってきちんと努力すればこのくらいの領域には至れる。
オレがほかの術師と違う点があるとすれば経験値位のものだ。それに式神にも恵まれている。普通は『山本五郎左衛門』なんて特級の怪異と契約なんてできない。
「道綱くんだって、すごいよ? それに未来の貴方の一族なんだから、落ち込むことなんてないよ」
と、そんなことを考えていたら、朱子ちゃんが叔父上を励ましてくれる。
うらやまし……じゃなくて、微笑ましい。あれだな、朱子ちゃん、もとい巫女田先生は本当に先生向きの性格をしていたんだな。周りをよく見ていて細かなことにも気づく。浄化の異能を抜きにしても彼女こそが叔父上の部隊の要だったのだろう。
『ねえ、やっぱりこの2人。かなりキテない?』
秘匿念話を繋いできたのは案の定、リサだ。
『キテるって、え、そういう意味で?』
『一目瞭然。ずっと距離感近めだし、この駅に入ってからはこっそり手を繋いでた。めちゃくちゃ、キテる』
『……なるほど』
…………思い返してみると、納得ではある。確かに2人の距離感は独特だし、手も時々触れ合っているが、その度にお互いにドギマギして引っ込めてたりもしていた。
…………あれだ、みんなににぶいと言われる理由が自覚できた。確かにオレの眼は色恋沙汰になると曇るらしい。おそらく、経験値のなさが原因だな、うん。そこら辺はまだ修行中、ということにしておこう。
ともかく、そうか、叔父上とあの巫女田先生が、そういう関係だったのか……、
初々しいうえに甘酸っぱい感じがする。正直、これが他人事なら凄い好みのカップリングだし、幸せになってほしいが、残念ながら身内なうえに結末をオレは知っている。
ああいや、必ずしも結婚することがカップルのゴールではないと思っているし、結ばれないからこそ美しい関係性もあると理解しているが、叔父上の場合は話が少し違う。
叔父上は八人目の魔人『フロイト』の手先になり、世界を滅ぼそうとしていた。巫女田先生と結ばれることもなく、新たな家族のために生きることもせずに、最終的には記憶まで失った。
……なぜだ? 今目の前にいる叔父上はまっとうに青春を謳歌している、ように見える。それがどうしてあんなことを――、
「アシヤミチタカ、何か問題でも?」
考え込み始めていると、ユカリさんに呼ばれる。
呼び捨てでフルネームだが、彼女に名前を覚えてもらえたのは光栄だ。この感じで現実世界でもユカリさんに認めてもらえるとありがたいんだが、そっちはそっちで一筋縄ではいかなそうな予感がある。
「いや、大丈夫だ。前進しよう、先導は任せてくれ」
それはともかくとして、今は考えていても仕方ない。なにせ、叔父上を変えるきっかけとなる出来事はこの1999年の東京で起きるんだ。それが起きるまでは与えられた役割を全うすることに集中しないと。
すでに周辺の探査は終えているが、それでも慎重に周囲を探りながら線路を辿っていく。なぜかついている不気味な赤色の非常灯以外の明かりはないが、問題はない。
『山本五郎左衛門』の影、オレの『六占式盤』、そしてリサの『嗅覚』。この三段構えなら大抵の相手は半径五十メートル以内に接近した時点で気付くことができる。
…………しかし、地下鉄を進むというのはオレのアイデアだが、こうして実際に進んでみるといい考えだったのか怪しく思えてくる。
無論、地上の方がやばいのは確かだし、論理的に思考すれば地下を行くしかないと結論付けるのものが大半だろう。
おそらく実際の事件でも『特殊探索班』は今と同じ動きをしてていたのではないだろうか。叔父上とオレは同系統の術師だ、同じ結論に至ったとしてもなにもおかしくはない。
…………だからこそ、嫌な予感が拭えない。
すべての事象がある一点に向けて収束している、そんな大きな流れを頭のどこかで感じている。
なんでそんなことがわかるのか、自分でも説明はできない。でも、分かってしまう。その流れに誰かの意志が介在していることも、どうしようもなく理解できてしまう。
踏み出す一歩が重くなるが、歯を食いしばって歩く。予感は予感でしかない、そう自分に言い聞かせるように。
「――蘆屋君」
ふいに誰かに呼ばれて振り返る。
谷崎さんだ。心配そうにこちらを伺う表情、どうやら内心の動揺が彼女に伝わってしまったらしい。
……未熟に過ぎる。隊長としても、人間としても。
『ごめん。ちょっと、考えてて』
『大丈夫。謝らないで。わたしも、そういうことよくあるし』
普通に話して声を反響させるわけにもいかないので、念話で言葉を交わす。
だが、谷崎さんには悪いが谷崎さんが励ましてくれているという事実だけでオレの中の不安は半分くらい吹き飛んでいる。
……でも、この懸念は共有しておくべきかもしれない。
『実は、すこしやばい予感があるんだ。地下に入ってから、強くなってる』
『それは、あのフロイト絡み? それともほかの?』
『たぶんフロイト絡みだと思う。どうにもここ最近の事件のせいで妙な因果ができてるみたいだ』
ため息交じりのオレに、谷崎さんが念話越しにくすりと笑ってくれる。たったそれだけで肩に乗っかっていた重圧がだいぶと軽くなった。
さすがは谷崎さんだ。彼女の言動にはマイナスイオンなど遠く及ばないほどの癒し効果がある。
『だとしても、大丈夫だよ。蘆屋君は1人じゃない。今だってわたしも理沙ちゃんもいる。わたしは、あんまり頼りにならないかもしれないけど』
『そんなことはない、絶対に。ありがとう、谷崎さん』
谷崎さんはすごい。これはオタクのひいき目を抜きにした事実だ。今日だけでも命を救われている。
『百目鬼』の邪視をあの一瞬で完璧に対処できるのは、この面子でも谷崎さんだけだ。オレもカウンターの術を組んではいたが、犠牲者が出るか、オレが呪いを肩代わりしなきゃいけない可能性は高かった。
それに引き換え、あの瞬間の谷崎さんの動きは完璧だった。『ダゴン』がいくら不可知域に達するほどのポテンシャルを秘めていても、その意志に同調して指示を出すには尋常ならざる精神力が必要だ。
……原作でもそうだったが、誰よりも谷崎さんは辛抱強く、また強い意思の持ち主だ。
己に掛けられた加護と正面から向き合うのは魂を削るような苦難。それを日常的に行い、それでもなお微笑むことができるから、谷崎しおりという人はこんなにも強いのだ。
…………そうだ、オレはいつでも谷崎さんを見習ってきたんじゃないか。だったら、不吉な運命程度に怯んでなんかいられない。この先何が襲って来ようともみんなを守り切ってみせる……!
『でも、そう考えると、フロイトの方がわたしたちに怯えてるかもしれないね。今は一人きりなわけだし……』
『……一人……谷崎さん、なんでそう思ったか聞かせてくれるか?』
しかも、谷崎さんは大事な気付きをくれる。彼女としては何気ない一言だったのだろうが、オレとしては目の前の闇が晴れたような思いだった。
『え? うん、だって、道綱さんの記憶がなくなっちゃったわけだし、なんとなくそうなんじゃないかなって……」
『そうか。うん、たぶん、そうだと思う」
そうだ、今のフロイトは一人きり、いや、孤独だ。他に協力者がいる可能性もあるにはあるが、きっとそうだという確信がある。この確信は今抱いている予感と同じか、それ以上に強い。
では、なぜ孤独なのか。
それは谷崎さんの言う通り、叔父上が、蘆屋道綱が記憶を失ったからだ。
であれば、答えは一つしかない。
でも、ありえるのか…………?
異能も性格も行動も何もかもが一致しない。確かに容疑者の1人ではあったが、その可能性は低いと考えていた。過去ではなく未来を知っているからこそ、そうとしか考えられなかった。
だが、論理的に考えたら、答えはそれしか――、
『止まって! 妙な匂いがする!』
思考が堂々巡りになりかけたところで、リサが念話で全員に対して警戒を発した。
遅れて、オレの六占式盤も奇妙な反応を感知する。
怪異だ、それも群れ。数は十体。
……なんだ、これ。なんでこんなのが、東京の地下にいるんだ?
『硫黄の匂い……? でも、どうして……』
リサもすぐに匂いの正体に気付く。彼女の驚愕はオレのそれと全く同じだ。
硫黄とともに現れる、蝙蝠の翼をもつ怪異。
アジア地域では、それも極東日本ではめったに出現しないこの怪異こそは『悪魔』といった。




